掲示板の歴史 その八
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NO.179  「声字実相」の定義
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/02/02(Mon) 15:49:52
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以下は資料引用。
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法蔵館『仏教学辞典』より。
声字実相
真言宗の教義。音声文字それ自体が実相に他ならないということ。如来の三密にいては、身語意の三業はもともと平等であまねく宇宙全体にみちみちており、森羅万象はことごとくこの三密をまどかに具えて本来的には仏であるが、衆生はこのことを自覚しないので、如来は音声(声)によって教えを説き、文字(字)によって教えを表してさとらせようとする。だから、声字は如来の語密であり、それは如来の身密である実相(もののありのままのすがた)と全く等しいのであって、声字がそのまま実相である。しかも、五大はすべて音響をもち、十界はみな言語を具え、六塵はことごとく文字であり、法身は実相であるから、声字実相とは法仏平等の三密、衆生本有(ほんぬ)(本来具有している)の曼荼羅を表す(空海の声字実相義)。
この定義を読む限りでは、「文字の不用」を教義とする禅宗に対して、真言宗は恰も「文字の至高」を教義としているかのように見えます。
まさしく正反対な立場のように見えなくもない。
実際のところはどうなんでしょう?