気になる一言
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気になる一言

仏教関係書籍(学術書や仏典など)にみられるちょっと気になる言葉を列挙するコーナーです。ただし、管理人は文字通り「なんとなく気になった」だけであって、かならずしも掲載項目に賛同していたり、それを実行してみようと考えているとは限りません (新規入力順)
『仏教の思想2/存在の分析(アビダルマ)』「はしがき」
(そのころ、)テーゼ(正)、アンチテーゼ(反)としての中観、ジンテーゼ(合)としての唯識というトリアーデ(三つ組)が、いつのまにか頭の中にできあがっていて、このトリアーデと、ヨーロッパ近代哲学(合)というトリアーデとの対比に、私は強い関心をいだくようになっていた。
この二つのトリアーデの対比については、本書ではほとんど立ち入った考察を加えなかったが、哲学的思惟の進化の過程に見られるある種のパターンを、そこから読みとることができるのではあるまいか、と私は考えている。(13ページ目、上山春平)

『華厳経 廬遮那品第二』
怠惰なものは、ふかい方便の海を解(わか)ることができない。努力精進の力が完成することによって、仏の世界は浄められて行くのである。

『ダンマパダ』
二二七  アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。
二二八  ただ謗られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。

「ラトナーヴァリー」第一章・三
信仰という道によって法を享受し、知慧という道によって法を真実に理解する。
この両者のうち、知慧が主要であり、信仰はそれに先行する。
(筑摩書房、瓜生津隆真訳『仏典1 世界古典文学全集6』三四九頁)

中村元訳 『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』
八四  自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。
一〇〇 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
一六六 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
(二〇〇四年六月八日)

空殻著 『秘蔵崩懌』
しり知り職り識って智の初めに暗く、わすれ忘れ諠れ愃れて忘却の終りに冥し(含笑)
(二〇〇四年四月五日)

空海著 『声字実相義』(筑摩書房刊、松本照敬訳注)より
五大皆有響 [五大にみな響あり (五種の構成要素にみな響きがある)]
十界具言語 [十界に言語(ごんご)を具す (十種の世界に言語がそなわっている)]
六塵悉文字 [六塵ことごとく文字なり (六種の対象はすべて文字である)]
法身是実相 [法身はこれ実相なり (真理の体現者はあるがままのすがたである)]
(二七四頁)

今枝由郎訳 『サキャ格言集』「IX章 教法についての考察」(岩波文庫)より
437
すべての対象に巧みで
瞑想により心を柔和にし
正しい法をよく学習する人
彼はすべての功徳の畑である。

438
愚者は学ぶことを恥ずかしがり
賢者は学ばないことを恥ずかしがる

だから賢者は年老いても
来世のために学問する。

439
智慧がないという理由で
愚者は学問をしない

考えてみれば智慧がないからこそ
愚者は一層努力すべきである


440
前世で学ばなかったので
今生で愚者なのを見て
来世で愚者に生まれるのを
今生で苦労しても努力して聴き学ぶべきである。

441
瞑想すれば聴き学ぶ必要はない、と
愚かで度量の小さい人は言う

聴き学ばずに瞑想だけに
励んだところで畜生の修行である


442
因果の法には例外はない、とは
一切智者のすぐれた教えである。
学ばずに全智にいたるなら
因果の法がどうして真実か


443
聴き学ばない瞑想は
暫くは成就してもすぐだめになる

金銀はよく溶けても
火から離せばすぐ硬くなる。
(一九〇〜一九二頁)

『解深密経』<無自性相品第五・偈頌>
万象は仮の和合に過ぎず
差別は迷いの計らいなり
万象無我の実在
これ即ち真如
ここに三種の無自性を説く
もしこの真理を究め悟らずんば
正道を失い壊って
仏の正覚に至り得ず。
この三の無自性の真理を悟る外には
一の真理あることなし
仏の道はこの一乗による

一日賢人偈[七月二十八日]
人は過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。およそ、過ぎ去ったものは、すでに捨てられており、また未来はまだやって来ていない。
そこで、知者は現在のことがらをいたるところで正しく観察し、揺がず動かずして、それを修習すべきである。
今日こそ、なすべきことを熱心になせ。だれが明日、死の訪れることを予知できようぞ。けだし、人はだれでも死魔の大軍と戦わないということがないからである。
熱心にして、昼夜に怠らずに住するこのような人、実にかれを善き聖者たちは「一日賢人」とたたえる。
[早島鏡正著『ゴータマ・ブッダ』二九五頁引用、『中部経典』V、PTS一八七頁以下]

法句経(ダンマパダ)十七 怒りの章[七月二十八日]
二二一 怒りをやめよ。高慢を捨てよ。すべての煩悩を超克せよ。名前と物にとらわれず、無所有(むしょう)になった人には、苦しみの追随することがない。
二二三 怒らぬことによって怒りに勝ち、善をなすことによって不善に勝ち、施しをすることによって物惜しみに勝ち、真実を語ることによって虚言に勝つがよい。
二二四 真実を語れ。怒るな。わずかなものでも乞われれば与えよ。これら三者の行いによって、人は神々のもとに生まれるであろう。
[早島鏡正著『ゴータマ・ブッダ』二七一頁引用]

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Copyright (C) 2003 空殻
初版:2003年5月20日

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