掲示板の歴史 その八
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NO.247  『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/06/21(Mon) 15:54:45


入唐時代あるいは大宰府観世音寺滞留中に空海が書き残したであろう作品が「断片的に伝来し、これを覚鑁が編集しなおしたものではないか(村岡空)」と推定される『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』(略称『宗秘論』)という書物がある。空海の真作を疑われるだけあって、この書に書かれている主張もスタイルも、他の空海の著作とは著しく異なっている。どのように異なっているかというと、ここに書かれている内容が、さわりの部分のそのまた一部分を除いてことごとく一般の大乗仏教の域を出ていないのである。これはもしかすると、空海の没後に部分的に起こった、真言宗の「教義的退化」を示すものなのかもしれない。
参考までに、以下に幾項か関連部分を引いておく。
  • すべての仏法のなかで勝れたもののうちで、最も勝れているのは真言密教である。文字や言語は真実であって、作為なくして本来真である。悟ることが出来るのはただ菩薩のみで、二乗(声聞乗と縁覚乗)の人には説かない。(菩薩は)多くの生涯に仏を供養したので今世においてそのように聞くことが出来た。如来秘密の教えが述べられているのは『大乗経』である。仏法にはもともとすがたがない(無相)であるとはいえ、そのはたらき(功)として次の四種の悟りの智慧(般若)を立てる。「聞持(教えを聞いて記憶すること)」「修行」「思惟(継続的に思い量ること)」「光三昧(智慧を象徴する光の瞑想)」である。包括的に三世を通じる弁舌を現わして、一切の仏を生み出す。(『空海全集/第四』一二四頁参照。パラ済)
  • 仏が述べておられる諸々の教えは、みな衆生の素質に適している。陀羅尼の福利(福徳と利益と)は広いので、ひたすら人に聴かせる。あらゆる法は一つの法であり、多くの尊格は一尊である。身体、言葉、意を浄らかにして煩悩を除く。それ故に三密門(身体・言葉・意の三つの秘密のはたらきの教え)と称するのである。(同一三一)
  • 文字は陀羅尼をあらわすが、陀羅尼は文字ではない。姿なき法身は、俗世に現生した報身と応身と本来は同じものである。(同一三二参照。パラ済)
  • 文字には差別があるとはいえ、修行して実証するときには真理に同化する。細かな言葉も粗い言葉もことごとく第一義(究極の真理)にたちかえる。(同二二五頁参照。パラ済)
  • 真言にすでに誤りがあって、文句はしばしば不揃いである。(同二三二頁参照。パラ済)
  • 聖と凡とは心は等しくないけれども、真と俗とは相違しない。(同二三三頁参照。パラ済)
  • このようにして文章と教えとはよく意義を表している。文字を離れればそのときが真の解脱である。そなたは、どうして空しく名辞・言語にとらわれて、その理法を思わないのか。虫を彫るような細工では文字はできてももとより文章を知らない。不生を説くとは言っても、不生の起源を知らない。無相を論じるとはいっても、どうして無相の法門をさとるであろうか。如来のいわれるところを、これを大方(大乗)という。どうして空を覚るものはこれが一つのすがたに等しいことを知るであろうか。(同二三九頁参照。完全引用)