掲示板の歴史 その八
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NO.246  『秘蔵記』
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/06/21(Mon) 14:34:16


空海は『秘蔵記』において真言陀羅尼について次のように記している。
  • 法身には定[瞑想]と慧[智慧]との二つの立場がある。水をもってこれに喩えれば、澄み浄らかなるは定であり、一切の色と形を映すのは慧である。密教の所説によると瞑想の側には言説がなく、智慧のほとりには言説がある。水(のような法身の心)は澄み浄らかにして同時に色形を映すが、しかし願行[誓願と修行と]の風が波浪を起こし、これが「声」をなす。これこそが「真理を説く音」である。(『空海全集/第四』四八頁参照。パラ済)
  • 真言は何を体(本体)とするか。念慧(記憶の智慧)をもって本体とする。総持の力をもって一切の法門(教え)を記憶し保持して、量り知れないほどの長い時間を経ても忘れないからである。これは顕教の意味である。(同四九参照。パラ済)
また、空海は興味深いことに同著において、漢字と梵字との正邪を区別している。
つまり、漢字は妄想から転々と起こってきたものであるから邪であり、梵字は塵垢(煩悩)を離れた本性清浄の道理から起こってきたものだから正であるという。しかし、正語も仏教徒以外の者が用いれば悪法へと発展し、邪語も仏教に用いれば善法となるという。(同五七頁参照)