華厳経 注釈リスト
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華厳経 注釈リスト
第一 寂滅道場会
第一章 世間浄眼品
ヴィルシャナ仏(Vairocana 光、太陽の意味。
毘
廬
遮
那
仏
び
る
しゃ
な
ぶつ
、
廬
遮
那
仏
る
しゃ
な
ぶつ
などと音訳す)は、華厳経の教主で、三世十万の宇宙と同体である。従って、シャカ仏もヴィルシャナ仏と一体である。
如来はサンスクリットでTathagata、「如より来生するもの」の意味。すなわち真如から来て衆生を教え導く活動的な仏。これに対して、仏はBuddhaで覚者の意味。どちらも同じように用いられる。
仏の三身は
法
身
ほっ
しん
、
報
身
ほう
じん
、
応
身
おう
じん
。法身は色も形もない真実そのものの体、報身は悟りを完成した体、応身は衆生を教え導くために現われる体。
蓮華蔵荘厳世界は、華厳経の教主ヴィルシャナ仏の国土で、ここではありとあらゆるものが蓮華のなかに包まれている。
第二章 廬遮那品
十方とは、東、南、西、北、東南、西南、東北、下、上。
衆生を教化するためにあらわれる如来の身体。
甘露の原語はアムリタ(amrta)で、不死を意味する。
結跏趺坐とは両脚を組んで坐るところの坐禅の姿勢。
仏の両眉のあいだにあるもので、つねに光明を放っている。仏の三十二相のひとつ。
仏の足の底の網紋で、三十二相のひとつ。
千
輻
輪
相
せん
ぷく
りん
そう
という。
業
ごう
とはカルマン(karman)、「はたらき」を意味する。衆生のはたらき、仏のはたらき、いずれにも用いる。前者では
生
死
しょう
じ
の迷いにおけるもの、宿業など。後者ではさとりのはたらき、清浄業など。
これから普賢菩薩の説法がはじまる。この説法は十段に分かれている。
荘
厳
しょう
ごん
の原語はアランカーラ(alamkara)、かざり、装飾の意味。
善知識とは、仏の教えを説き、人をみちびいて解脱を得させる聖者。
三世とは過去現在未来。
唐訳(八〇華厳)では大威光太子(あるいは童子)となっている。
菩提心(bodhi-citta)とは、さとりへ向かうこころ。
三昧は、
sama
dhi
(
サマー
ディ
)
、
禅
定
ぜん
じょう
、身心を統一集中すること。
はかり知れない時間。
神
通
力
じん
づう
りき
におなじ。超自然的な力。
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第二 普光法堂会
第三章 如来名号品
調御とは、心のはたらきを調整し、煩悩をおさえること。
サンスクリットでは、
Bha
ga
vat
ヴァ
ガ
ヴァット
、尊敬すべきもの、という意。
世
尊
せ
そん
と訳す。
福徳を生ずる田地の意で、如来をさす。
おもうとおりに成就し、満足する意。
娑婆世界は、煩悩や悪業に耐え忍ぶ世界、
忍
土
にん
ど
と訳す。
sa
ha
サ
ハー
(娑婆、たえ忍ぶの意)――
lo
ka
dha
tu
ロー
カ
ダー
トゥ
(世界)。
第四章 四諦品
なにかに追い立てられること。
愛著の対象がうつりかわること。
子供のような、無智のおこない。
束縛におなじ。
人生をさかさまにみること。
さわりのないこと。
出離の反対。迷いをはなれていないこと。
煩悩によって心が染まり、執着していること。
第五章 如来光明覚品
煩悩の火の消えはてた、心の究極のしずけさ。
真理の車輪をまわす、ということで、説法の意。
色・声・香・味・触の五境に対する欲。もしくは、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲。
すべてのことに耐えしのぶ智慧。
第六章 菩薩明難品
むなしくいつわりのもの。
むなしく、真実でないこと。
たいまつ、線香の火などをまわすときに見える火の車。
諸法の諸とはすべて、法は、存在するもの、真理などの意、ここでは前者、したがって諸法、すべての存在するもの。
事物の真理、真性。
福徳をうみだす田地、仏を指す。
仏法を護る天女。仏法をひろめ、寿命をのばし、怨敵を退散し財宝を施してひとびとをよろこばせる。
おこたること。解脱をもとめて努力しないこと。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つの波羅蜜。波羅蜜は「彼岸に到る」と訳される。
慈、悲、喜、捨、の四つの量り知れない心。
量りしれないほどの劫。一劫とは、長い時間のこと、八十里立方体の岩石を天女が羽衣で三年に一度なでて摩滅してしまうまでの間。
明らかにさとること。
持戒は戒律を守ること、犯戒は戒律をおかすこと。
第七章 浄行品
体の動作、口で語り、心で考える、という人間のすべてのはたらき。
以下、菩薩の多くの願いが説かれる。
すべては因縁によって行なわれているから、なにも執着すべきものがないこと。
色・声・香・味・触に対する欲。
以下、出家の菩薩の願い。
以下、菩薩の種々の願いが説かれる。はじめに坐禅の時の願い。
坐禅の正しい姿勢。
以下、起居における願い。
以下、道に関する願い。
欲界(欲望の世界)、色界(かたちのある世界)、無色界(かたちのない世界)ですべての迷いの世界。
以下、山水、樹木に関する願い。
以下、種々な人を見たときの願い。
以下、食事に関する願い。
如来を見たてまつるときの願い。
朝夕の願い。
第八章 賢首菩薩品
さとりに向かう心。
菩薩の人格形成を十の境地に分けて、その第八が不動地。くわしくは第二十二章十地品で説かれる。
菩薩が第十地をおわって成仏するとき、諸仏は、大悲の法水を菩薩の頭の上にそそぐ、これを
灌
頂
かん
じょう
という。
風止んで波静かなとき、万象はすべて海面にすがたうつすように、煩悩の波の滅した心海には一切諸法がことごとくあらわれる三昧を言う。
華厳とは、菩薩の「因行」の華をもって「仏果」を
厳
かざ
るの意味。
忍
辱
にん
にく
とは、ものごとに耐えしのぶことによって智慧をうみだすこと。
声聞(
sra
vaka
シュラー
ヴァカ
)とは、釈尊の説法を聞く仏弟子の意であるが、大乗仏教では、縁覚とともに小乗の人々を指す。声聞は、四諦(苦・集・滅・道)の道理によって悟るもの。
縁覚(
pra
tyeka
buddha
プラ
ティーカ
ブッダ
)は、十二因縁によって悟るもの。師なくして悟るから
独
覚
どっ
かく
とも言う。声聞とともに小乗の人々。
一つの小さなちり。
色・声・香・味・触に対する欲。あるいは、財・色・食・名誉・睡眠に対する欲。
小千世界、中千世界、大千世界をあわせてこのようにいう。ありとあらゆる世界の意。
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第三 トウ利天会
(トウ−立心辺に刀)
第九章 仏昇須弥頂品
釈尊のこと、釈尊とヴィルシャナ仏は一体になっている。
Sumeru
スメール
、古代インドの宇宙観によれば人間世界の中心をなす高山。
Kasyapa
カーシュヤパ
。過去七仏の第六位。
Kanakamuni
カナカムニ
。過去七仏の第五位。
Kaskucchanda
カーシュクッチャンダ
。過去七仏の第四位。
Visivabhu
ヴィシュヴァブー
。過去七仏の第三位。
Sikhin
シキン
。過去七仏の第二位。
Vipasyin
ヴィパシュイン
。過去七仏の第一位。
Dipamkara
ディパーンカラ
。久遠の音の仏。
錠
光
じょう
こう
如来とも言う。
第十章 菩薩雲集妙勝殿上説偈品
八つの正しい道。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。これによって涅槃に至ることができる。
思いはかることができないこと。
第十一章 菩薩十住品
bo
dhi
ボー
ディ
、さとりのこと。
不退転は、決して退くことのないという意。無生法忍は、不生不滅の真理を体得すること。
仏法の王、すなわち仏法の中心主体、いいかえれば仏。
第十二章 梵行品
身体の動作。
行くこと、とどまること、坐ること、臥すこと。
略して説くこと。
詳しく説くこと。
喩えをもって説くこと。
直接その主題を説くこと。
色(物や肉体)、受(感受)、相(表象)、行(はたらき)、識(こころ)。
蘊
うん
は、あつまり、グループの意味。
仏の特徴として三十二や八十を数える。
これは修行の段階で、四向四果という。たとえば、預流に向かうのを預流向、それに達したのを預流果。以下同じ。
三明とは
天
眼
てん
げん
、
宿
命
しゅく
みょう
、
漏
尽
ろ
じん
の三通であり、これに
神
足
じん
そく
、
天
耳
てん
に
、他心が加わると六通。
第十三章 初発心菩薩功徳品
生きものを殺さない、盗みをしない、よこしまな性関係を結ばない、うそをつかない、酒をのまない。
五戒(前註)の前の四つに、つぎの六つを加える。二枚舌をつかわない、悪口をいわない、おべっかをいわない、貪欲をおこさない、腹を立てない、よこしまな見解をおこさない。
色界(かたちのある世界)における、第一・第二・第三・第四禅定。
慈・悲・喜・捨の、はかり知れない心。
無色界(かたちのない世界)における、空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想非非想処、の四禅定。しかし欲界、色界、無色界とも、迷いの世界。
十二因縁によってさとりを開くもの。これは小乗のさとり。
第十四章 明法品
決して退くことのない位。この位は、無上のさとりへ通じており、まずここに到達することが仏道の第一の要件。
対立の世界をすべて一如と見るところの菩薩の教え。
波羅蜜とは
Para
mita
パーラ
ミター
、究極のさとりにいたること、到彼岸と訳す。
施波羅蜜とは、ひとにものを施すことによって究極のさとりにいたること。以下おなじ。
無効用とは、こころになんの意図もなく、ひとりでに働きだしてくること。
般若とは智慧の意。
荘厳とは、かざるという意。この意味は深い。
弁才力とは、道理を弁別する能力。
第六の般若波羅蜜も智慧であるが、それが根本智であるのにたいしてこの智は、それにもとづく差別智を指す。
三宝とは、仏宝、法宝、僧宝。
六和敬とは、僧がたがいに協調し、敬愛しあう六つの法。身、口、意の三つのはたらきによって慈悲をおこない、利益を分かち合い、戒律をたもち、正しい見解を有すること。
金剛定とは、金剛のような、もっともつよくて深い禅定。菩薩が仏になる最後の位の禅定。
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第四 夜摩天宮会
第十五章 仏昇夜摩天宮自在品
この章註なし。
第十六章 夜摩天宮菩薩説偈品
三悪道とは、地獄、餓鬼、畜生の三つの最低の世界。
五蘊とは、五つの集まりの意味で、色、受、相、行、識を指す。色は肉体的なもの、受相行識は精神的なもの、これで身心のすべてが含まれる。
第十七章 十行品
善伏とは、煩悩をよく統制し、克服すること。
善根とは、善の果を生み出す因。善の根本。
福田とは真実の幸福を生み出す田。
発心とはさとりに向かう心をおこすこと。
五欲とは色、声、香、味、触に対する五つの欲。
不退転とは、決してあともどりしないこと。
帰依とは、宗教的なよりどころ。
宿業のむくい。
因陀羅網
とは、インドの
帝
釈
殿
たい
しゃく
でん
にかかっている網で、その一々の網の目に
珠
たま
が結ばれており、その無数の珠がたがいに映じあっている。尽きることのない縁起をあらわす。
第十八章 十無尽蔵品
不生
とは、すべてはいまだかつて生じたことがない、という意味で、これを体得することが、菩薩の基本的な智慧である。
顛倒
とは、見解がさかしまになっていること。
慚も、つぎの愧も
、罪をはずること。慚と愧を区別する場合もあるが、ここでは区別していない。
法身
とは、色もなく、形もない真実の仏身。
陀羅尼
は、
dha
rani
ダー
ラニー
で、保持することの意。教えを心に保持して忘失しない力、あるいは、修行者を守る力のある文句。
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第五 兜率天宮会
第十九章 如来昇兜率天宮品
この章註なし。
第二十章 兜率宮中偈讃品
この章註なし。
第二十一章 十回向品
福田とは福徳を生み出す田地。
寂滅とは、煩悩の心が、全くしずまるまること。
無碍とは、滞りなく流れて、さわりのないこと。
不退転の位とは、けっして退くことのない、かならず悟りに至ると決定した境地。
荘厳は、かざること。仏道においてかざることは、きよめること。
法身とは、色もなく形もない仏身そのもの。
刀杖とは、刑罰のための刀や杖。
釈尊は、菩提樹のもとに坐して、さとりを開かれた。
五蘊とは、色、受、相、行、識、のそれぞれのあつまり。色は肉体的なもの、受相行識は、心的なもの。
善知識とは、よきみちびきて。
普賢菩薩は、文殊菩薩とともに、ヴィルシャナ仏の代表的な菩薩である。
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初版:2003年5月20日