華厳経 第五会
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華厳経

第五 兜率天宮会 初部

  

第十九章 如来昇兜率天宮品

 この章から三章にわたって、第五兜率天宮会である。この第五会の中心は、十回向である。前の第四会の中心が十行であるからその行を、無上のさとりや衆生に回向していくという構想になっている。回向とは、さし向けるという意味である。この章、および次の章は、第五会の序文であるが、まず、本章では、如来が兜率天にのぼり、説法の準備がなされる。

 如来は、自在の神通力によって、これまでの、もろもろの会座をはなれずに、兜率天宮の一切方荘厳殿に、おもむかれた。
 そのとき、兜率天王は、はるかに如来のすがたを見たてまつり、殿上に、如来の師子座をしつらえ、種々のたからをもって、座をかざった。
 兜率天王は、如来のための高座をかざりおわって、はかり知れないほどの無数の、兜率の天子とともに、如来をむかえ、もろもろの妙なる華を雨ふらして、如来を供養した。
 また、不思議な香、かずかずのかずら、えもいわれぬ栴檀、うつくしい天衣を雨ふらして、如来を供養した。
 また、種々の香をたいて、その香気は、あまねく十方の世界に薫じわたり、そのなかで、無数の天子、天女は、ただ寂然として、ひたすら、如来の境地に、おもいをよせた。
 一切の天子、天女は、仏の神通力によって、仏を見ることができ、つぎのようにおもう。
「如来の出現に遭遇することは、なかなかむずかしい。わたしたちは、さわりのない智慧をそなえたまえる如来を、いま、見たてまつることができた」と。
 そのとき、他の国土から集まり来った、無数の天子、天女、また、無数の諸仏の国の、菩薩たちもまた、如来の無上のさとりを、見たてまつることができた。
 如来の身は、無量にして、はかり知ることができず、不思議な神通力をあらわして、衆生を喜ばしめ、あまねく、大虚空に充満して、衆生を善性に安住せしめる。
 如来は、無上の功徳をあらわし、その智慧は、きわめ尽くすことができず、その法身は、あまねく、衆生にしみわたって、へだてるところがない。
 如来は、衆生の能力にしたがってすがたをあらわし、その境界はすべての衆生をうけいれて、あまねく、衆生の活動を知り、衆生をして、まよいの世界を超越せしめ、ひたすら、無上のさとりへおもむかしめようとおもう。
 そのとき、天子、天女など、もろもろの神々が、如来身を見たてまつるに、その身の一々の毛の孔から、無数の光明がたなびき、一々の光明には、さまざまの色がほどこされている。
 また、如来身をみたてまつるに、その身から、不思議な光明の輪があらわれ、光明の輪には、不思議な色があって、十方無辺の世界をてらし、無数の神通力をあらわしている。
 一切の衆生は、如来の清浄の妙香をかぎ、自然に、不思議な偈をとなえて、世にもすぐれた如来の光明を、ほめたたえ、のべつたえても、ついに、その光明をきわめ尽くすことができない。なぜなら、一切の衆生は、如来の無尽なる自在力のなかより、生じているからである。
 そのとき、如来は、大慈悲をもって、あまねく、一切の世界をおおい、衆生をして、まだ信じないものは、信ぜしめ、すでに信ずるものは、その善性をのばし、善性をのばしているものは、清浄ならしめ、清浄なるものは、ますます成熟せしめ、すでに成熟しているものは、ついに解脱せしめよう、とおもう。
 兜率天王は、如来のために、師子座の設備をおわって、無数の兜率の天子とともに、うやまい、つつしみ、合掌して、仏に、もうすよう、
「世尊よ、よくお出ましになりました。どうか、お慈悲によって、この宮殿に、おとどまりください」と。
 そのとき、一切方荘厳殿は、自然に、えもいわれぬ光にかがやき、かずかずの宝をもって、かざられ、珠玉のあみが、その上をおおい、天衣の雨、栴檀の雨、妙香の雨、不思議な華の雨が、ふりそそぎ、たえなる音楽が、かなでられた。
 やがて、仏の威神力によって、すべての音楽は、寂然として、超えをひそめ、兜率天王は、三昧をみだされず、その善性をやしない、無上のさとりへの心をおこした。
 兜率天王は、仏の威神力をうけて、みずから、過去仏のみもとにおいてそだてた善徳を、おもいおこしながら、つぎのように、ほめたたえる、
「むかし、無碍如来あり、あたかも、満月のごとく、もろもろの祝福のなかの、最第一であった。来って、この荘厳殿に入りたもうた。それゆえに、この宮殿は、もっとも祝福されている。
 むかし、無辺如来あり、その智慧は、はなはだふかく、もろもろの祝福のなかの、最第一であった。来って、この金色殿に入りたもうた。それゆえにこの宮殿は、もっとも祝福されている。
 むかし、無量如来あり、その光は、はてしなく、もろもろの祝福のなかの、最第一であった。来って、この蓮華殿に入りたもうた。それゆえに、この宮殿は、もっとも祝福されている。」
 そのとき、世尊は、一切方荘厳殿の師子座にのぼって、結跏趺坐したもうた。






  

第二十章 兜率宮中偈讃品

 この章は、前章とともに、第五会の序文であるが、ここでは、種種の菩薩が、仏の神通力をうけて、仏の世界をほめたたえる。

 無数の国々の、無数の菩薩たちが、それぞれ、自分の一族をひきいて、仏のみもとに参詣し、つつしみ、うやまいて、礼拝し、十方にみちあふれて、結跏趺坐した。これらの菩薩たちは、かつて、それぞれの仏のみもとにおいて仏道を修行しており、今では、はかり知れないほどの仏の真理を完成している。
 そのとき、仏は、両方の膝から、無数の光明を放って、あまねく、十方一切の世界を照らしたもうた。もろもろの菩薩たちは、そのために、如来の神通力の自在なることを、見たてまつることができた。
 これらの菩薩たちは、ヴィルシャナ仏が、かつて菩薩の道を行じ、はかり知れないほどの多くの仏法を修めたときの善知識である。
 菩薩たちは、つねに、諸仏のさとりと神通力をねがい、みずから、こわれることのない法身となり、さわりやへだてのない三昧に入り、不可思議の仏を見たてまつることができて、心に執著することがない。
 菩薩たちは、つねに、諸仏にまもられ、仏の神通力によって彼岸の世界に達し、すみやかに、無上のさとりを完成して、如来の根底に入り、その清浄の法身は、仏の住みたもうところに、みずからも住んでいる。
 そのとき、金剛幢菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく、十方世界を観察し、つぎのように、ほめたたえる。
「如来は、大願力によって、自由自在の仏法を、あらわしておられる。
 この法は、不可思議であり、ただ、彼岸に達しているものだけが、諸仏の境地を、見たてまつることができる。
 形にあらわれた身体は、如来ではない。音声もまた、如来ではない。しかし、形や声をはなれずに、仏の自在力は、はたらいている
 仏は、ここへ来ることもなく、かしこへ去ることもなく、ただ、清浄の法身が、自在力をあらわしている
 もし、菩薩が、一切の智慧をもとめ、おのずから、無上のさとりを、完成しようとおもうなら、まず、まさに、そのこころを浄くし、つぶさに、菩薩の行を修すべきである。」

 そのとき、堅固幢菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく、十方世界を観察し、つぎのように、ほめたたえる。
「仏の世界は、はなはだ深くして、説くことができない。すべてのことばが、たえはて、清浄なることあたかも虚空のごとくである。
 仏の説きたもうところの法は、はなはだ深く、因縁にしたがって、清浄身をあらわしておられる。
 このような大乗の智慧が、すなわち、諸仏の境界である。もし、この智慧を求めようとおもうならば、つねに、仏に親しむべきである。
 もし、清浄のこころをもって、すべての諸仏を供養したてまつり、つねに、倦むことがなければ、ついには、仏道を完成するであろう。
 尽くすことのできない功徳の蔵によって、菩提心は深められ、もろもろの疑惑をはなれ、仏をこころに思いうかべてあきることがない。」

 そのとき、夜光幢菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく、十方世界を観察し、つぎのように、ほめたたえる。
「十方もろもろの世界の、一切の衆生は、あまねく、仏の清浄な法身を、見たてまつることができる
 たとえば、一心の力が、種々の心を生ずるように、仏の一法身は、諸仏の種々の身を生み出している。
 法身は、二つとなく、また、自性もなく、きよめられ、かざられて、十方世界に、あらわれないところはない。
 法身は、あたかも、虚空のごとく、その功徳は、尽くすことができない。それは、ただ、諸仏のみの境界である。
 三世一切の仏は、その法身、ことごとく清浄で、衆生に応ずるところにしたがって、あまねく、すがたをあらわしておられる。
 仏は、いまだかつて、わたしは、このようなすがたになろう、というおもいを生じたことはなく、ただ、自然に、衆生に応じておられる。」

 そのため、離垢道菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく、十方世界を観察し、つぎのように、ほめたたえる。
「諸仏の智慧の光は、円満にして、世間をきよめている。
 もし、ひとが、衆生の数にひとしい諸仏を、見たてまつろうとねがうならば、如来は、一切に応じたまいて、しかも、ここへ来ることもなく、かしこへ去ることもない
 もっぱら、仏の境界を念じて、無量のこころをおこせば、見たてまつるところの、もろもろの如来はそのかず、こころとひとしい
 如来は、衆生のために、衆生に応じて、法を説きたまい、あまねく、仏身をあらわしておられる。
 一切の諸仏は、無量の自在力をもって、衆生のおもいに等しいだけの仏身を、あらわし、種々のすがたによって世界をきよめておられる。」



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初版:2003年5月20日