華厳経第三 トウ(小+刀)利天会
第九章 仏昇須弥品
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第十章 菩薩雲集妙昇殿上説偈品
十方世界の一々の菩薩は、それぞれ多くの菩薩たちをひきいて、仏のみもとに集まり、
そのとき
また、そのとき一切慧菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく十方世界を観察し、偈をもって次のようにいう。
また、そのとき功徳慧菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく十方世界を観察し、偈をもって次のようにいう。
また、そのとき善慧菩薩は、仏の神通力をうけて、あまねく十方世界を観察し、偈をもってつぎのようにいう。
また、そのとき真慧菩薩は、仏の神通力をうけて、生死のなかに流転しているのは、仏の御名を聞かないためである。現在の仏は、因縁によってできたものではない。過去、未来の仏もまたそうである。一切の諸法は無相[空・無我]であるというのが、仏の真性である。 その他、多くの菩薩が、仏の神通力をうけ、あまねく十方世界を観察して偈を唱えた。 |
第十一章 菩薩十住品
そのとき法慧菩薩は、仏の神通力をうけて、菩薩の無量方便三昧に入った。三昧に入り終わって、十方の無数の仏土のほかに、なお無数の諸仏を見たてまつる。これらの諸仏は、ことごとく法慧と名づけたてまつる。
そのとき諸仏は、おのおの右の手をさしのべて、法慧菩薩のあたまをなでたもうた。法慧菩薩は、三昧よりたって、もろもろの菩薩衆に告げていう。
@ 初発心住 もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)諸仏をうやまい、供養し、(2)もろもろの菩薩をほめたたえ、(3)衆生の心をまもり、(4)賢明なものに親しみ、(5)不退の仏法をほめ、(6)仏の功徳を修し、(7)諸仏のみまえに生まれることをほめたたえ、(8)方便によって三昧を学び、(9)生死の輪廻を離れることをのぞみ、(10)苦しめる衆生のために自ら帰依所となることを学ぶべきである。なぜならこれによって、菩提への心をますます強固にし、無上の仏道を完成しようと欲するからである。もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
A 治地住 もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)多く聞くことを求め、(2)欲を離れる三昧を修し、(3)善知識に近づいてその教えにしたがい、(4)語るときは適切な時をえらび、(5)心におそれをいだかず、(6)仏法の深い意味をさとり、(7)正法に了達し、(8)仏法のとおりに行い、(9)心の愚迷を離れ、(10)不動心に安住すべきである。なぜならこれによって、一切衆生に対して大慈悲を増長しようと思うからである。もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
B 修行住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)すべての衆生の世界、(2)真理の世界、(3)地、水、火、風の世界、(4)欲望の世界、(5)かたちのある世界、(6)かたちのない世界などを知ることを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、すべてのことがらにおいてきよく明るい智慧を増進しようとのぞむからである。
C 生貴住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)過去、(2)未来、(3)現在の仏法を認知し、(4)過去、(5)未来、(6)現在の仏法を修行し、(7)過去、(8)未来、(9)現在の仏法を身にそなえ、(10)一切諸仏の平等なることを観察すべきである。なぜなら菩薩は、過去、未来、現在の三世に明達して、心の平等を得ようとのぞむからである。
D 方便具足住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、衆生は、(1)無辺であり、(2)無量であり、(3)無数であり、(4)不可思議であり、(5)種々の形態をなしており、(6)空であり、(7)自在でなく、(8)真実でなく、(9)より所がなく、(10)自性がないことを学ぶべきである。なぜなら、菩薩は、自分の心が執著しないようにのぞむからである。
E 正心住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、ありとあらゆることがらは、(1)すがたのないものであり、(2)本性のないものであり、(3)修行することもできず、(4)実在的でもなく、(5)真実でもなく、(6)自性もなく、(7)あたかも虚空のごとく、(8)幻のごとく、(9)夢のごとく、(10)響きのごときものである、と知るべきである。なぜなら菩薩は、不退転の
F 不退住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)一は多であり、(2)多は一であり、(3)教えによって意味を知り、(4)意味によって教えを知り、(5)非存在は存在であり、(6)存在は非存在であり、(7)すがたを持たないものがすがたであり、(8)すがたがすがたを持たないものであり、(9)本性でないものが本性であり、(10)本性が本性でないものである、と知るべきである。なぜなら菩薩は、あらゆることがらにおいて方便を得ようとのぞむからである。
G 童心住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、[1]すべての仏国を知り、[2]観察し、[3]震動し、[4]持ちつづけ、また、[5]すべての仏国やその他すべての世界にいたり、[6]量りしれない真理を問答し、[7]神通によってさまざまな身体になり変わり、[8]無量の音声を理解し、[9]一念のなかに無数の諸仏をうやまい、[10]供養することを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、種々の方便によって、すべてのことがらを完成しようとのぞむからである。
H 法王子住
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)法王注3の住するところ、(2)法王のたちいふるまいの作法、(3)法王のところに安んずること、(4)たくみに法王のところに入ること、(5)法王のところを分別すること、(6)法王の真理をもちこたえること、(7)法王の真理をほめたたえること、(8)法王が完全に真理を実現すること、(9)法王のおそれることのない真理、(10)法王の執著をはなれた真理、などを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、すべてのことがらにおいて、さまたげられない智慧を得ようとのぞむからである。
I 灌頂住 もろもろの仏子よ、この菩薩の実体は知ることができない。すなわち、かれが冥想に入り、神通自在であること、かれの過去未来現在の智慧、諸仏の国をきよめる智慧、かれの心の境界など、ことごとく知ることができない。すべての衆生や、ないし第九の法王子住の菩薩さえも、これを知ることができない。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十種の智慧を学ぶべきである。すなわち、(1)過去未来現在の智慧[三世智]、(2)一切の仏法の智慧[一切佛法智]、(3)真理の世界はさまたげられないという智慧[法界無障礙智]、(4)真理の世界は無量無辺であるという智慧[法界無量無邊智]、(5)すべての世界を照らし[普照一切世界智]、(6)もちこたえ[能持一切世界智]、(7)充実せしめる智慧[充滿一切世界智]、(8)すべての衆生を分別する智慧[分別一切衆生智]、[(9)漢訳ではここに「一切種智=ありとあらゆる種類の智慧」があるが、玉城訳ではこれが抜けている。書き忘れか]、(10)無量無辺の仏の智慧[智佛無量無邊智]、などを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、ありとあらゆる種類の智慧を身につけようとのぞむからである。 |
第十二章 梵行品
正念という天子が、法慧菩薩にたずねて言うのに、
@ 身
A 身業
B 語
C 語業
D 意
E 意業
F 仏
G 法
H 僧
I 戒 以上のように、菩薩は十種のことがらを観察すべきである。
また、過去はすでに消滅し、未来はまだ起らず、現在は空寂であって、はたらく主体も、果報を受ける主体もないと知れば、つぎのような問題が生ずるであろう。梵行とは一体なんであるか、それはどこにあるか、有であるのか、無であるのか、かたちのあるものか、かたちのないものか、精神的なものか、精神的でないものか。
【如来の十力】
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第十三章 初発心菩薩功徳品
帝釈天が法慧菩薩に問うていうのに、
そのとき、法慧菩薩は、あまねく十方世界を観察し、衆生のまよいやけがれを除いて、ひろく解脱を得させようと思うがゆえに、また、みずからの深くて清浄な功徳を現わしだそうとおもうがゆえに、仏の神通力をうけて、つぎのように偈をのべる。 |
第十四章 明法品
そのとき、精進慧菩薩が法慧菩薩に問うて言うのに、
【怠惰をのぞく十種の法】
【清らかな十種の法】
【一切諸仏をよろこばせる十種の法】
【菩薩が安住する十法】[玉城訳では省略。書き忘れか]
【すべての境地を完成する十種の法】
【菩薩の行いを清らかにする十種の法】
【菩薩の行を清浄でもっとも勝れたものにする十種の法】[玉城訳では省略。書き忘れか]
【十種のきよらかな願い】
【十種の修行】
仏子よ、菩薩はいかにして、その求めに応じて衆生を教化するのであろうか。
【十波羅蜜】
仏子よ、菩薩はこのように、もろもろの波羅蜜をきよめ、もろもろの波羅蜜を完成し、衆生のむかうところにおうじて法を説く。むさぼりのつよいひとには、欲をはなれよ、とおしえ、はらだちのはげしいひとには、平等観をおしえ、よこしまな見解のひとには、因縁観をおしえ、小乗をねがうひとには、寂静の行をおしえ、大乗をねがうひとには、大乗を荘厳することをおしえる。
仏子よ、また菩薩は、三宝注10をさかんにおこして、とこしなえに絶えないようにしている。 |