掲示板の歴史 その六
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NO.134  繋がり(^^)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/21(Wed) 15:04:22


現状批判と復古運動、過度に複雑化した理論と、それに拘泥する姿勢への反動によるゼロという極端への回帰。
その繰り返しの歴史が、人間の本質を物語っているように思えてきますね。
バランスを摂るために極端化を繰り返す。
やがて、それらをすべて包括した上で超克しようとする動きが出て来る。
仏教という流れの繋がりが、大まかにですが分かりますね。

>中観唯識の煩雑難解な哲学的側面に対する批判勢力が、法華天台や華厳思想を生んでいったんじゃ

それはとても興味深い、そしてとてつもなく意外なご意見です。
私自身は、天台や華厳はもろに「教判」の中国仏教なので、中観や唯識はもちろんのこと、他のあらゆる仏教経典と思想をとことん調べ上げた上で、教理形態の統制と整理、そして選択を行なった結果として、更なる複雑化を余儀なくされた「煩瑣中の煩瑣」ともいうべき流れであると捉えております。

>禅で言う「不立文字」の立ち位置は、すでに中論などの空観思想の段階で「絶戯」「戯論を絶つ」「言妄慮絶」「離言絶」という言葉でもって、空海は位置づけています

「戯論批判」と「不立文字」は少し違うようです。
私から見ると、「戯論」は宗教的で形而上学的な解釈の無駄な複雑化とその正否についての議論であって、「不立文字」は経典を含めた一切の典拠の否定です。
つまり「戯論」といった場合、経典の記述は原理主義的で絶対的な権威を持ちますが[→ これは『般若心経秘鍵』を読めばお分かりになりますね(^^)]、一方、「不立文字」といった場合はその正反対の立場を採ることになります。

前者の「経典の絶対的権威」というのは、宗教である以上当然の在り方であり、現在われわれが恵まれているような考古学的契機のない時代でしたし、判断基準が経典しかあり得なかったことが大きく影響していたのは明白です。
これに対して後者の「経典権威の失墜」には、(当然多くの思想的背景が絡み合っているのですが)やはり偽経『大梵天王問仏決義経』に描かれている、あの有名な「拈華微笑」のエピソードの存在が大きかったのではないでしょうか。

記事No.135」に「戯論」「不立文字」関連の語彙とテキストをリストアップしていきますので、ご参照ください。