掲示板の歴史 その六
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NO.136  Re: 繋がり(^^)
□投稿者/ さくらんぼう
□投稿日/ 2004/01/21(Wed) 16:39:29


> バランスを摂るために極端化を繰り返す。
> やがて、それらをすべて包括した上で超克しようとする動きが出て来る。
> 仏教という流れの繋がりが、大まかにですが分かりますね。


おう、さすがにうまく表現されますね。メモメモ。
何事もバランス感覚。バランスの取り方が微妙に巧みな人を、徳のある人?と
日本人は表現するのかも知れません。

> それはとても興味深い、そしてとてつもなく意外なご意見です。
> 私自身は、天台や華厳はもろに「教判」の中国仏教なので、中観や唯識はもちろんのこと、他のあらゆる仏教経典と思想をとことん調べ上げた上で、教理形態の統制と整理、そして選択を行なった結果として、更なる複雑化を余儀なくされた「煩瑣中の煩瑣」ともいうべき流れであると捉えております。


失礼しました。私得意の推論です。またここではインドにおける法華思想と華厳思想を言及しているつもりでした。言葉足らずお許し下さい。不勉強なのでここでは言及できませんが、世界観の広がりや物語性が、複雑化からの回避に思えたもので。

> 「戯論批判」と「不立文字」は少し違うようです。
> 私から見ると、「戯論」は宗教的で形而上学的な解釈の無駄な複雑化とその正否についての議論であって、「不立文字」は経典を含めた一切の典拠の否定です。


ご指摘ありがとうございます。まったくもって、私のいい加減な性格が露出してしまいましたね。いつもこんな感じで、感覚を信用しすぎているために失敗ばかりしています。指摘を受ければ、大きな違いであることに気づきます。は〜。
密教の観法には、よく「言妄慮絶せよ」という言葉の締めくくりがあります。具体的なイメージを膨らますための言葉を吐くだけ吐ききった後に、言妄慮絶!!主客不二と同時に、不立文字の背景をも一瞬のうちに包含する言い回しのような気がします。一瞬にバランスを保とうという。また、感覚的な書き込みになりました。ぺこり。

> 当然多くの思想的背景が絡み合っているのですが、やはり偽経『大梵天王問仏決義経』に描かれている、あの有名な「拈華微笑」のエピソードの存在が

やっぱり臭ってくるのは、中国思想。無為自然の道を尊ぶ道教や礼を重んじる儒教なんかの要素をうまく受け入れた仏教が禅宗となった。
不立文字という立脚も、公案の出現も、分別作業に埋没しているエリート仏教を、カーツ!とさとし、バランスを保とうとする流れだったのでしょうかね。

> 「記事No.135」に「戯論」「不立文字」関連の語彙とテキストをリストアップしていきますので、ご参照ください。

ありがとうございます。