掲示板の歴史 その六
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NO.133  禅というもの
□投稿者/ さくらんぼう
□投稿日/ 2004/01/21(Wed) 13:19:37


 空殻様、大閑様、仏教の勉強をさせていただく素晴らしい機会を下さって、本当にありがとうございます。多忙な毎日の中にも、時折、思考を巡らしたり書籍を紐解いたりと、充実した一時が加わっている今日この頃です。
 さて、・・・。
 玄奘さんによって大規模な仏教の輸入が開始された中国ですが、それ以降、インドで昇華した仏教の諸思想が、順を追って中国へ入り込んでくる。結果的には、華厳、天台、密教の段階で終焉を迎えるのでしょうが、ともあれ、これらの諸仏教を純粋に移入定着させていこうとする国家事業の側面と、本来仏教が持ち合わせている風土適応型のカメレオン機能でもって、中国思想とうまく融合していこうとする側面があった。
 その結果、長安という大都市を中心に、エリートのための仏教(華厳天台)がもてはやされ、一部の特権階級のための仏教という性格が色濃くなってくる。菩提達磨にしても国家事業の一環として、まずは中央に入ってくる。
 一方庶民の救済こそ仏教の本来であることを、多くの出家僧達は理解していた。中央のエリート化、国家権力服従に対する批判勢力が徐々に生まれはじめ、その方向性は、中国の民族宗教である道教や儒教と深く結びつきながら独特の仏教を育んでいく。中国において、数多くの偽経が出現する由縁かもしれない。もちろん、この中には、地方の権力の圧制の元に育まれる仏教もあっただろう。一筋縄で説明できる中国仏教の歴史ではないようだ。
 中国の思想家「朱子」は、仏教の大乗経典はすべて老子や列子の説を盗んで作ったものだという。「廬山の慧遠の思想さえも老子や荘子の教えに過ぎないと。ところが、達磨大師以来、中国の仏教はすべて一掃され、不立文字、見性成仏、直指人心の禅が、儒仏道すべてを否定して、優秀な思想家達はすべて禅に傾注していった。禅学が栄えると、仏氏の学が衰える。」『朱子語録』巻126・・・と朱子さん言っているらしい。これは極端な偏見に思えるが、もしかしたら、中国仏教=禅、ということなのかも知れない。
*参照テキスト(「中国仏教研究の問題点」鎌田茂雄<仏教研究入門、大蔵出版中p179〜p194>)
 インドにおいて、アビダルマに対する批判意識が大乗仏教勃興の引き金の要因だとすると、同じように、中観唯識の煩雑難解な哲学的側面に対する批判勢力が、法華天台や華厳思想を生んでいったんじゃ無かろうか、と昨晩空海の般若心経秘鍵を読みながら思った次第。禅で言う「不立文字」の立ち位置は、すでに中論などの空観思想の段階で「絶戯」「戯論を絶つ」「言妄慮絶」「離言絶」という言葉でもって、空海は位置づけています。ところが、この境界にも重層があるようで、やはり、中観よりも唯識、唯識よりも天台、天台よりも華厳、と、奥深くなるようです。これが、「理智不二」「二而不二」とかいう言葉で帰結されたようですね。
 公案という方法も、知らず知らずの内に陥ってしまう戯論地獄から離れるための手段であったのかなあ、と思いました。禅仏教でさえ、言妄に陥る危険性があるわけだから。釈迦の瞑想、転法輪・・・、からアビダルマ仏教へと展開していったことを思えば、その釈迦瞑想の踏襲である禅にもその要素はあると。公案は、そこに大きな意義を見いだせるんじゃないか。なあ。