掲示板の歴史 その十二
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NO.319  数息観
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/12/19(Sun) 21:32:28
□IP/ 4.27.3.43


以下は『岩波仏教辞典』による数息観の定義。
数息観 すそくかん [s: Ana-apAna]
原語の漢訳語で、音写では「安那波那(あなはな)」または「安般(あんぱん)」という。出入の息を数える観法。出入の息を数えることによって、心の散乱を収め、心を静め統一する方法で、五停心観(ごじょうしんかん)の一つ。ヨーガの行法としてインドで古くから行なわれていたのが仏教にも取り入れられたもの。最初期の漢訳仏典の一つである後漢(25-220)の安世高訳の大安般守意経上に「安般守意に十黠あり。数息・相随・止・観・還・浄・四諦と謂う」とあって、中国にも非常に早い時期に伝えられている。
同様に、『仏教学辞典』より二項目引用。
すそく‐かん 数息観
(梵)アーナーパーナ・スムリティAnApAna-smRtiの意訳。念出入息と直訳し、持息念とも意訳する。アーナーパーナは安那般那、安那波那、略して安般と音写する。五停心観の一。出入の息の数をかぞえて心をしずめる観法で、正定に入るためにこれを修める。これをさらに多種類に細分して拡充したものが十六特勝である。

じゅうろく‐とくしょう 十六特勝
十六勝行ともいう。呼吸を数えて心の散乱を除く精神統一法(数息観)を多種類に細分拡充したもので、十六種の特に勝れた観法という意。内容細目、順序、解釈に不同があり種々の説がある。
いま成実論巻十四によれば、

@ 念息短 まだ心が粗雑で散乱しているから呼吸が短いが、その短い呼吸に心を集中して意識的、自覚的に呼吸する。
A 念息長 同様に心が微細になれば呼吸も長くなるのを観ずる。
B 念息遍身 肉身が空であることを知り、気息が身に遍満するのを観ずる。
C 除身行 身体的行為を除くことで、心が安静になって粗雑な息が滅する。
D 覚喜 心に歓喜を得る。
E 覚楽 身に安楽を得る。
F 覚心行 喜から貪心が起こることの禍を知る。
G 除心行 貪心を滅し粗雑な受を除く。
H 覚心 心が沈まず浮き立たないのを知覚する。
I 令心喜(りょうしんき) 心が沈めばふるい起こして喜を生じさせる。
J 令心摂(りょうしんしょう) 心が浮きたてばこれをおさめ静める。
K 令心解脱(りょうしんげだつ) 心の浮き沈みを離れて解脱する。
L 無常行 心が寂静となり一切の無常を知る。
M 断行 無常を知って煩悩を断つ。
N 離行 煩悩を断って厭い離れる心を生ずる。
O 滅行 厭離して一切の滅を得る。
人文書院『気の伝統/調息法を中心として』(鎌田茂雄、一九九六年)では、仏教修道の基本である数息観と、それに付随する形で五停心観その他について書かれている。
以下、記事[No.320][No.321][No.322][No.323][No.324]では、同テキストの記述に従ってその内容を纏めて紹介したい。

まずは、鎌田氏による数息観の定義(趣意)
パーリ語AnApAna-sati(安那般那念)で、出入の息を念ずる観法。
あらゆる呼吸法の基本で、吐く息と吸う息を十まで数え、十までいったらまた繰り返して数える。これを何回か繰り返していると自然と気持が落ち着き、精神が統一されるようになる。基本であるだけに、これは坐禅のみでなく、いたるところで応用できる。たとえば就寝時に行なう寝禅や、歩きながら行なう呼吸法などにもこれを適用できる。