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NO.323 『坐禅三昧経』に見る数息観
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/12/19(Sun) 21:40:00
□IP/ 4.27.3.43
同氏は、『坐禅三昧経』の要点として、同経典の特徴でもある「丹田呼吸の重視」を挙げている。
- 『坐禅三昧経』
- 別名『菩薩禅法経』、略称『禅経』。
後秦の鳩摩羅什訳。
禅法を専修して解脱すべきことを説いたもので、治貪欲法門(不浄観)・冶瞋恚法門(慈心観)・冶愚癡法門(因縁観)・冶思覚法門(数息観)・冶等分法門(念仏観)の五門禅の教えなど修道の次第を開示する。数息観に関しては、『達摩多羅禅経』(記事[No.321])に同じく「無常観を得やすいからである」と説いている。
第四「思覚を治する法門」
- 若し、思覚偏に多ければ当に、阿那般那三昧の法門を習うべし(冒頭)
- 阿那般那(anApAna)とは出入息を観じて三昧に入ることで、これには「初習行」「巳習行」「久習行」の三種の修行法がある
- 数息観を行なうのは無常観を得やすいからである
- 心を数えれば諸の思覚を断ずることができる
三種の阿那般那
- 初習行
若し初習行ならば当に次のように教えなければならない。一心に念じて入息出息を数える。或は長、或は短、一から数えて十に至る。
- 巳習行
もし巳習行者ならば、一を数えて十に至り、息の入出に随って、念と息とを倶に一処に止めることを教える。
- 久習行
もし久習行の者にならば、この安那般那三昧は数・随・止・観・転観・清浄の六種(六妙門)に分けて説く。
六妙門
- 数息門
一から十まで呼吸を数え、乱れた心をおさめる。
- 随息門(anugama)
息を数えることなく、呼吸にしたがって心を散乱しないようにする。
- 止門(sthAna)
心を平静にし、邪念を離れて心を一つの対象に集中させること。
- 観門(upalakSaNA)
対象を明らかに観察すること。
- 還門(vivartanA)
転ともいう。観察する心を反省し、その空なること、すなわち実体がないことを知ること。
- 浄門(pariSuddhi)
心によりどころを持たず、妄想の起こらないようにすること。
上記で呼吸に関係しているのは(1)〜(3)である。
六思覚
- 欲思覚
- 恚思覚
- 悩思覚
- 親里思覚
- 国土思覚
- 不死思覚
(*この不死思覚が無常観を得るために重要な項目である)
前三項目を麁思覚、後三項目を細思覚といい、浄心を求めて正道に入らんと欲する者は、まず麁思覚(麁病)を除去し、次に細思覚(細病)を除かねばならない。これらがすべて除かれて初めて一切清浄の法が得られる。六思覚を除き無漏道を得るためには、心を世間を厭い、常に正観を続けて煩悩を除いていかなければならない。
不死思覚(自分は死なないという無意識的な思い込み)を除くためには、死の存在をとことん実感せねばならない。
- 数息法を得れば、つぎに
- 随法を行じて諸の思覚を断じなければならない
と説かれているらしいが、これが正しいならば、他の思覚を断じてこれを行なうためには矢張り、数息観をまず行なう必要があるといわなければならない。
鎌田氏は第三項目「止法」について、「丹田呼吸という観点からみて重要」であると主張している。どうやら同経典には次のようにあるらしい。
- 止法とは、意を風門に住せしめて、入出の息を念ずるなり心を風門すなわち丹田(臍の下の下腹部)に集中する。そして、それによって諸思覚を断じて心の散乱を防ぐことができる。数と随の息の時は心はまだ不安定で散乱している。止になればすなわち心は静かに安定する。心を一処に集中すれば、息出づる時は臍心胸咽より口鼻に至り、息入る時は口、鼻、のど、胸より臍(臍下丹田のことだと氏は解釈する)に至るを知ることができる。この如く心を一処に繋げた状態を名付けて止と為す。
- 入息には身中乃至足指や体中の毛孔にまでも遍く水が砂に入るように感じ、息の出る時には足から髪に至るまで、毛孔にまでも水が砂に滲みてゆくように覚知する。一切の毛孔から体全体で呼吸をするのが大切である(同三三頁)
このように、丹田呼吸からさらに身体呼吸を説くのが同経典の特徴なのだという。