掲示板の歴史 その十四
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NO.362  金剛界
□投稿者/ 義仙
□投稿日/ 2005/01/20(Thu) 18:36:56
□IP/ 219.164.110.11

>>[snafkin]特に、密教技法を逆手にとって空の認識に至ろうとするチベット・ゲルク派の密教は、いろいろな宗教の中に存在する密教思想とは、目的が本質的に異なっていると言わなければならないのではないでしょうか。
>[空殻]中期の『大日経』ではかなりしつこく空が説かれていますし、またチベット密教ではゲルク派以外にもカギュ派とニンマ派と、ほとんどすべて宗派の修行階梯に異系統ながら空観が取り入れらています。仏教密教はこの空=縁起を架け橋にして、通常の仏教と根本的に繋がっていると考えることができます。


正木晃著『密教』(講談社選書メチエ)でこのようにかかれています。
すでに指摘したように、『大日経』の場合は、大日如来にしても、胎蔵マンダラにしても、すべてが「空」なるものとして、あらわれていると説く。ところが、『金剛頂経』が説く如来たちの世界、つまり私たちがそこに合一すべき理想の世界は、須弥山のはるか上空に、私たちの側の条件とはまったく無関係に、仏教の用語をつかえば、根器にかかわらず、それ自体が「空」ならざるものとして、時の経過とも無関係に、つねに存在する
理想の世界にほかならない金剛界は、無限の過去から、それが本来あるべき色究天王宮という場に、ほとんど無数の如来たちの集合体として存在していた。それが今度は、歴史上のブッダの成道によって、須弥山のはるか上空によ浮揚する金剛摩尼宝頂楼閣という場に、いままさに大日如来となったブッダを中心とする金剛界大曼荼羅として、あらわれたというのだ。(P139)