掲示板の歴史 その八
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NO.232  果分可説
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/05/14(Fri) 21:12:39


華厳宗の『十地経論』や『五教章』に「因分可説、果分不可説」という言葉がある。
これはすなわち 「悟りの境界は如来にのみ分かり得ることであって、それをそのままの形で説き表すことはできないが、因位(悟りを得ようとする段階)の人に対してはその能力資質に応じて説き示すことができる」 という意味である。

ちなみに、これに禅宗の「不立文字」を当て嵌めると「因分不可説、果分不可説」と表せるのではないだろうか。「以心伝心」によらなければ、いずれも「不可説」ということである(しかしながら、実際の伝統自体が同方針から常に逸脱し続けてきたことや、この「逸脱の歴史」が貴重な文化の数々を生んできた事実などに関しては、最早いうまでもないだろう。またこの方針自体が本来の禅宗の在り様とは全く異なるものである可能性が高いこともまた述べた。【掲示板の歴史/その六】参照)。

これらに対して、真言宗では「果分可説」を主張している。