掲示板の歴史 その十六
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NO.375  浄土教の背景
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2005/02/22(Tue) 13:41:24
□IP/ 4.27.3.43


筑摩書房『人間の願い 無量寿経』(早島鏡正)によると、浄土教の成立と展開を究明するためには、次の三項目を考慮に入れなければならないという(一四〜五)。
  1. 浄土教の背景的基盤のうちの外的面。
    浄土教が生まれ育ったインドの風土、社会、文化に関する基盤の探究。
  2. 浄土教の背景的基盤のうちの内的面。
    仏教一般と浄土教との関係を知る面。
  3. 浄土教の特質と浄土教の展開の究明。
    通常、浄土教の研究といった場合のものがこのなかに含まれるが、前二者の問題の探求を前提としなければならない。
@ 浄土教成立の外的基盤(一六〜)
  1. 生天福楽思想
    インド民衆が抱いていた共通の思想。ゴータマ・ブッダが「施・戒・生天の三論」を説いたのは、これを考慮に入れたためと考えられる。
  2. 輪廻と業報説、輪廻と解脱
    全インド的な宗教理念。生天福楽思想と密接な関係をもつ。
  3. 汎神論と一神教的信仰形態
    人により、時代によって、特定の神が最高神となるという消長変遷、一神教的色彩をもちつつ多神教的であるインド神話・宗教の基盤的特徴の上に仏教は立っていた。
  4. 出家修行者と在家信者との関係
    インドの宗教生活一般の通念と慣習とに基づきつつ、仏教はその歴史的展開の過程を通じて独自の対出家・対在家の立場を打ち出した。インド以来、仏教の出家修行者は「行に生きる在り方」、在家信者は「信に生きる在り方」を代表するものであった。
  5. 外来民族の侵入とその文化との接触・交流
    ペルシア、イラン、ギリシャ、サカなどのインド侵入と同化による新たな文化形成や海外貿易の隆盛に基づく金使用の普及など。
  6. バラモン教復興とその文化の影響
    紀元後のバラモン教の復興に伴ってインド文化が興隆し、例えば大乗経典についていうと、それまでプラークリット(民衆語)で書かれていたものが標準語のサンスクリットでなされるようになり、内容も表現形式もバラモン文化への対応を見せた[そもそも、サンスクリット語は学問的に過ぎて世人に通じた言葉ではなく、バラモン階級の用語でもあるためブッダによって排斥されていた(中央公論社、長尾雅人編『大乗仏教』三四頁、取意)]。同文の繰り返しが目立つのもその一例で、インド文学一般に通じてみられる代表的表現形式の一つである(早島氏はこれを文学面と宗教面の両側面からこの「繰り返し」を重要視している)
  7. インド民衆の宗教意識一般
    @ 信仰を育成した素材としての説話文学
      ジャータカ物語(前生譚)やアヴァダーナ文学(民間説話文学)といった説話文学が、経典普及を促進した。
    A 富・幸福・無病をうるという功徳利益観
      インド人にとって人生の目的とはダルマ(dharma、真理)、アルタ(artha、実利、現世利益)、カーマ(kAma、性愛)の実現であり、さらにモークシャ(mokSa、宗教的解脱)の実現をもって究極とするが、彼らにとってはモークシャでさえ精神的なアルタであった。
    B 信仰の易行化・単純化の傾向
      単純化は本質の抽出によるものであると考えられる。
    C 輪廻よりの解脱
    D 開祖の超人化・神格化
    E 臨終来迎思想
A 浄土教成立の内的基盤(二七〜)
  1. 大乗仏教一般に共通なもの
    @ ブッダ観の変遷
    A 仏教の真理性の開顕への努力
    B 声聞の実践道と菩薩の実践道との明らかな区別
    C 無相と有相、真実と方便などの二諦的思惟、とくに妙有的・具象的構想による経典の叙述

  2. 浄土教に固有なもの
    @ 信仏と見仏の大乗的展開としての浄土往生観
      『スッタ・ニパータ』でバラモンの学生ピンギヤの述懐に「わたしは、ブッダにお目にかかっていらい、日夜、ブッダのことを思って忘れることができません。わたしは、ブッダの在(いま)す方へ向かって、日夜、ブッダを念ずるばかりであります」とある。これを受けて「信仏とは見仏であり、聞仏である」つまり人格的ふれあいにおいて信の確立がある、と早島氏は語る。
    A 諸行往生と念仏往生の二立場
      初期『無量寿経』においては出家者中心の色彩が濃いため、諸行往生が中心であるが、後期に移行すると諸行でなくて念仏一行となり、見仏ではなく称名を中心とするように展開する。
    B 本願思想の展開と他力救済論
      『無量寿経』は、本願の数が初期から後期にかけて、二十四ないし四十八へと増広している。大乗の菩薩思想の根幹をなすものが「菩薩の本願」であり、浄土教はこの菩薩道の特異な展開として広まった。早島氏は本願を「菩提心の浄土的展開である」とも述べている。
    C 衆生乗としての主体的実践の追求
      衆生乗とは浄土教を指して「あらゆるいきとしいける者の救われる教え」であるという意味で使われる語。人間の主体的実践を追及する点において浄土教は「本願思想」と内容的に離れるものではなく、後代の祖師の浄土理解の変遷を見ても、浄土教が仏の救済を強調しただけの単純な「救済宗教」ではなかったことが分かる。