掲示板の歴史 その十六
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NO.381  「浄土」の由来
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2005/02/28(Mon) 18:35:03
□IP/ 4.27.3.43


以下は中国における「浄土」の語の由来について。
『インド仏教(3)』所収、正木晴彦「浄土」より抜粋。
要点に即して要約しつつ箇条書きする。
  • 漢訳経典で「浄土」が用いられる場合、そのサンスクリット語の原語は一応、何等かの形で「仏国土」を意味するbuddhakSetraに端を発するものと推定されてはいるが、梵語原典やチベット語訳にはそれに相当すべき用語を欠く場合も多々見られる。この事実は「浄土」が中国において成語化され術語化された言葉であることを物語るものである。それでは、この語によって表される思想内容そのものも中国で成立し、インドには元来存在しなかったかと言えば、決してそうではなく、「浄土」なる漢語で表現される思想は、インド初期大乗仏教において成立していrたものと考えられる。[この記述は田村芳朗「三種の浄土観」『日本仏教学会年報』第四二号(一九七六年、一七〜二九頁)を根拠とする]
  • 中国仏教史上で「浄土」が特に重要な用語になったのは鳩摩羅什(kumArajIva、三五〇〜四〇九。以下、羅什と略す)の漢訳諸経典に負う処が大きく、そこには「浄土」なる訳語が数多く見受けられる。[藤田宏達『原始浄土思想の研究』岩波書店(一九七〇年、五〇七〜五〇九)]
  • 羅什初期の漢訳になる『阿弥陀経』の訳文には、「極楽」(sukhAvatI)の語は一〇ヵ処余り登場するのに「浄土」の二文字は見当たらず、これは彼の『阿弥陀経』訳出時には、まだ、今日のように極楽をもって浄土であるとは理解していなかったことを示すものと言える。
  • 彼[羅什]の『維摩経』や『般若経』に見る浄土の思想が、その後の中国浄土教展開の原動力となり、それがやがて阿弥陀仏を中心とする念仏三昧等の実践と結合して極楽浄土の観念を形成し、前述の、曇鸞時代迄には、すでに「極楽浄土」の思想として成立し終っていたと考えられる。[羅什訳『大品般若経』では、十地の菩薩の修行階梯の大三地において五法行を行ずることを述べ、その第三に「浄仏国土亦不自高」と説いている(『摩訶般若波羅蜜多経』巻第六、大正八、二五六下〜二五七上など)。『維摩経』には、直心、深心等の各種の浄心によるもたらされる「菩薩浄土」(『維摩詰所説経』巻上、大正一四、五三八中〜下、要約)とあり、『法華経』には世尊は何時でも求めに応じて霊鷲山に出現するが、その土は怖れや苦しみや悩みがなく、安穏にして天人が常に充満する不毀なる「浄土」であるという(『妙法蓮華経』巻五「如来寿量品第十六」大正九、四三中〜下、要約)]
  • このように「浄土」を現実界とは別に設定する場合、諸仏、諸菩薩の浄土があり、その思想内容としては、インド初期の大乗仏教において成立していたが、「浄土」という言葉については羅什の漢訳仏典の果たした役割が大きい。
また、「浄土」の意味の限定の流れに関して、同氏は羅什の漢訳仏典によって顕在化した浄土の概念が「続く南北朝時代になると種々に展開し、さらに隋唐時代には阿弥陀仏思想による<浄土教>へと統合整理されて行ったのである」とした上で、前掲の藤田宏達『原始浄土思想の研究』(五〇八〜五一〇頁)と『日本仏教学会年報』第四二号所収の平川彰「浄土教用語について」(一九七六年、三〜六頁)を典拠に次のような大略を述べている(同じく要点的内容を挙げる。一部要約)。
  • 初期の浄土教は、浄土についての概念規定や存在位置などが必ずしも明確でないことが多く、要するに、死後にこの世の向うにあって仏、菩薩の住するかの国に生れんとする、当時の人々の朧ろげなる願望であったらしい。故に弥陀、弥勒など数ある中で、何仏の浄土であるべしと言う特定の浄土教ではなかった。
  • それが弥陀、弥勒の浄土往生に関する経典の訳出が重なり、その独特な教説が流布するにつれて、この二仏の浄土信仰が他仏のそれを圧倒した。南北朝時代には概してこの二仏の浄土教が並立していたが、中にはミロク像を造ってアミダ仏の浄土を願ったり、両仏の加護を併願するなど、まだ両者の区別、対立も余り画然としておらず、両信仰が混在していた。
  • やがて仏典研究の細密化と共に、それぞれの浄土の特色が明確化するにつれて、両浄土教は次第に対立的となり、随から唐初にかけて論争が激化した。
  • 抗争は阿弥陀仏浄土派側の優勢に終わり、若干の例外はあるが、阿弥陀仏の浄土教が主流となり、この派が「浄土教の名称を独占」するに至り、かくして中国浄土教の教理が確立した。
このように阿弥陀仏浄土教を主軸とする浄土思想が中国において確立したことによって、正木氏は「そこから遡って、インドで阿弥陀仏浄土教の拠り処となる『浄土三部経』の成立した時点をもって、浄土思想の成立時期と理解するようになった」(前掲書一四二)と述べている。