掲示板の歴史 その十六
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NO.371  浄土の知識
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2005/02/20(Sun) 19:18:48
□IP/ 4.27.3.43


最近、浄土思想の起源が何であるかなどといったことが気になってきた。
このスレッドでは、どの学者がどのような学説を主張・展開しているかなどを、手元にある僅かな資料から最大限に調べて整理してみたいと思う。

この記事[No.371]では、以下に辞典類から関連語彙の定義を引くことにする。
例によって、本文には下線・番号・改行等の編集を施す。
まずは岩波『仏教辞典』より。
 浄土[じょうど]

漢訳無量寿経の「清浄国土」を2字につづめた言葉。「清浄」は『史記』始皇本紀に「(国土)内外清浄」とある。また「浄刹(じょうせつ)」ともいう。この場合の「刹(せつ)」は、サンスクリット語kSetra(土)の音写。浄福なえ以遠の世界のことで、これにたいして、現実の世界は「穢土(えど)」と称された。穢土を凡夫の世界とすれば、浄土は仏の世界(仏界、仏国、仏刹)となる。
仏教思想史上、浄土は、

@ 「来世浄土」(往く浄土)
A 「浄仏国土」(成る浄土)
B 「常寂光土」(在る浄土)

の3種類に分けられる。

@ 来世浄土
来世浄土とは、死後おもむく浄土として、来世に立てられたもので、東西南北に想定されたが、阿弥陀仏の西方極楽世界(西方浄土)、阿シュク仏の東方妙喜(みょうぎ)国などが有名である。もとは仏陀崇拝の線上で考え出されたもので、来世他土仏思想に由来する。すなわち、この世に仏はいないが、死後の来世に他の世界に行けば仏に会えるということで考えられた浄土である。
阿弥陀仏の西方極楽世界に往生するという信仰が日本にいたるまで最も盛んとなり、死にさいして阿弥陀仏が迎えにくる(来迎)という信仰もおこり、それらを教理化して浄土念仏思想が発達し、浄土変相図や来迎図などの絵がえがかれた。「ひとへに浄土に生まれむことを欣(ねが)ふ」[新猿楽記]

A 浄仏国土
浄仏国土とは、「仏国土を浄める」意で、仏国土(buddha-kSetra)は本来、仏の統括する一切の世界をさすが、ここでは特に現実の世界にポイントが置かれており、したがって浄仏国土とは現実世界の浄土化を意味する。いわば、現実に成る浄土である。大乗経典には、常に菩薩が浄仏国土に努めると説かれており、現実の中で仏道実践に励む菩薩の努め(菩薩行)として立てられたものが、浄仏国土である。ひいては、現実社会の中で活動していた仏教徒によっておこされた大乗仏教において、最初に考えられた浄土ということにもなる。

B 常寂光土
常寂光土とは、一切の限定を越えた絶対浄土のことで、積極的にいえば、信仰を通して、ただ今、ここにおいて、つかまれ、ひたる浄土であり、その意味で、現実に在る浄土といえよう。これを説いたのは天台智で、『維摩経文疏』で四土を立て、最後に究極・絶対の浄土として常寂光土を置き、仏身にあてては法身の土とし、また「法性土」とも称した。「常寂光土」という呼称は、法華経の結経とされる観普賢経から取ったものである。現実世界は娑婆世界ともいわれるが、常寂光土は現実世界においてつかまれるということから、「娑婆即寂光」という表現が生れた。

以上3種の浄土説は、ときには矛盾・対立することもあった。たとえば、来世浄土は最も相対的・限定的なものであり、機根の低い者のための方便説で、真実説は、彼此・生死の限定を越えた絶対浄土としての常寂光土であるとし、来世浄土に基づいた浄土念仏に批判が投ぜられ、来世浄土そのものの絶対化も試みられた。本覚思想など現実肯定に立つ側からは、常寂光土が歓迎された。しかし、人が死にさいして、浄土に往生したいという願望をおこすことも、否定しがたい事実で、来世浄土を低次のものと評した智も、死にさいしては弥陀の浄土に往生することを念願した。日本にいたるまで、実際においては来世浄土の信仰が根強く続いたが、その背景には、このような人間の心情が関係している

 浄土教[じょうどきょう]

阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。「浄土」という語は中国で成語化されたが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」に由来するものであり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説かれている。しかし、中国・日本においては阿弥陀仏信仰の流行にともない、浄土といえば一般に阿弥陀仏の浄土をさすようになった。唐代の善導が「念念に浄土教を聞かんことを思い」[法事讃上]という場合の「浄土教」はすでにその意味である。浄土教は「浄土門」とも呼ばれ、日本では浄土宗・浄土真宗という宗派が成立した。現在は「浄土思想」「浄土信仰」という語も使われている。
浄土教は無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を根本経典とし、これを浄土三部経と称する。浄土教が成立したのは、インドにおいて大乗仏教が興起した時代であり、およそ紀元100年頃に無量寿経と阿弥陀経が編纂されたときに始まる。その後、時代の経過とともに浄土教はインドで広く展開した。阿弥陀仏や極楽浄土に関説する大乗経論は非常に多く、浄土往生の思想を強調した論書としては、竜樹(150-250頃)作と伝える『十住毘婆沙論』(婆沙論)易行品、世親(4-5世紀)の『無量寿経優婆提舎願生偈』(『浄土論』『往生論』とも)がある。観無量寿経はインドで編纂されたと見ることが困難であり、おそらく4-5世紀頃中央アジアで大綱が成立し、伝訳に際して中国的要素が加味されたと推定されるが、特に中国・日本の浄土教に大きな影響を与えた。
中国では2世紀後半から浄土教関係経典が伝えられ、5世紀の初めには廬山の慧遠(334-416)が般舟三昧経にもとづいて白蓮社(びゃくれんしゃ)という念仏結社を作った。やがて浄土三部経を中心として曇鸞(476?-542?)が『浄土論註』(往生論註)、道綽(562-645)が『安楽集』、善導(613-681)が『観無量寿経疏』を著し、称名念仏を中心とする浄土教が確立された。のち慧日(680-748)等が出て浄土教を禅などの諸宗と融合する傾向が助長された。
日本では7世紀前半に浄土教が伝えられたが、9世紀前半に円仁(794-864)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に移植した。やがて良源(912-985)が『極楽浄土九品往生義』、源信(942-1017)が『往生要集』を著して、天台浄土教が盛行するにいたった。良忍(1072-1132)は融通念仏宗の祖となった。天台以外でも三論宗の永観(1033-1111)や真言宗の覚鑁(1095-1143)のような念仏者が輩出した。平安末期から鎌倉時代に入ると、法然(1133-1212)が『選択本願念仏集』を著して浄土宗を開創し、弟子の親鸞(1173-1262)は『教行信証』等を著して浄土真宗の祖となり、一遍(1239-89)は諸国を遊行して時宗を開いた。こうして次々と諸宗派が現われたが、後の宗派は前の宗派に対する反逆の意図を示していない。親鸞の著作に「浄土真宗」とあるのは、現在の浄土真宗のことではなくて、法然の浄土教のことである。これら浄土教各宗は、その後それぞれ発達をとげ、日本仏教における一大系統を形成して現在に及んでいる。

 常寂光土[じょうじゃっこうど]

永遠・絶対の浄土を意味する。「常寂光」「寂光浄土」とも。智が立てた四土の中で、最後に置かれた世界。「常寂光土」という語は、智が観普賢経の「釈迦牟尼仏を毘廬遮那遍一切処と名づけ、その仏の住処を常寂光と名づく」ということばから取り、久遠釈尊の本身(法身)の世界(本土)にあてたもの。真に永遠な浄土は、此彼(しび)相対の限定的なわくをこえた絶対界であり、積極的にいえば、ただ今、この娑婆において感得される浄土であるという趣意で、娑婆即寂光と考えられた。日本では、「寂光の都」などという。「釈迦牟尼仏を毘廬遮那と名付け奉る。一切の所に遍じ給へる故に、その仏の住所をば、常寂光と名付く」[栄花 玉の台]「釈迦牟尼仏・毘廬遮那の国土、常寂光土なり」[60巻本正法眼蔵 法華転法華]

 浄仏国土[じょうぶっこくど]

仏国土を浄めると訓じられるもので、世界の浄土化を意味する。浄土思想の一種。般若経典以来、しばしば強調されたもので、その際、必ず菩薩が浄仏国土に努めると説かれている。つまり、大乗の菩薩行の一つであることを示している。大乗の菩薩行とは、個人的には慈悲利他の実践であり、社会的には浄仏国土の実践ということである。

 仏国土[ぶっこくど][s: buddha-kSetra]

「仏土」ともいう。仏の国、仏の世界のこと。菩薩の誓願と修行によって建てられた国で、大乗の菩薩たちはいずれも、すべてのものが救われる世界として仏国土の建設を願い、あらゆる努力を傾けるという。したがって、仏国土の建設とは菩薩行にほかならない。十方の諸仏とその国土が説かれ、十方諸仏、十方浄土という。浄土とは清浄なる国土ということで、仏国土のことである。また仏教の行なわれている国をさして仏国土という。「若し須弥を接って他方の無数の仏土に擲げ置かんも」[開目鈔]「夢幻(ゆめまぼろし)の中ぞと一念に仏国を願ひける心ざし、さりとては痛はしく」[浮・好色五人女4]。

 極楽[ごくらく][s: sukhAvatI]

サンスクリット原語は「楽のあるところ」という意味で、阿弥陀仏の住する世界をさす。「極楽世界」「極楽国土」ともいう。漢訳仏典では「須摩題」「須呵摩提」などという音写語や、「安楽」「安養」という訳語も用いられている。漢語の「極楽」は中国古典では枚乗の「上書諫呉王」(『文選』39)などに「この上ない楽しみ」という意味で、また班固の『西都賦』などに「楽しみを極める」という意味で見え、さらに『淮南子』原道訓には「至極の楽しみ」という語が出てくるが、仏典では鳩摩羅什訳の阿弥陀経に用いられたのが初出である。
極楽世界を説く代表的経典は浄土三部経であるが、その一つの阿弥陀経によると「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という」と延べ、この極楽世界の楽に満ちた光景を描写している。無量寿経になると、その描写はいっそう詳しくとかれているが、これは大乗仏教一般において「国土を浄める」という菩薩道の実践によって実現される「浄土」の観念を有形的・具象的に表現したものであり、仏のさとりの世界をあらわしたものと考えられる。中国・二本では阿弥陀仏の浄土が他の仏の浄土にくらべて盛んに信仰の対象とされたため、「浄土」といえば阿弥陀仏の極楽をさす用法が定着するようになり、「極楽浄土」という語も広く流布するにいたった。
次は法蔵館『仏教学辞典』より。
 浄土(⇔穢土)[じょうど]

仏の住む場所はさとりによって形作られていてきよらかであるから、浄土、浄刹、浄界、浄国などといい、衆生が住む場所は煩悩でけがれているから穢土、穢国などという。大乗仏教では涅槃に積極的なはたらきを認めて、涅槃を得た無数の仏がそれぞれに無数の衆生を教え導くとするので、その仏の住む国としての浄土を説く。維摩経巻上仏国品には、心がきよまればすむ世界もきよまる(心浄土浄)といい、さとりを開けばこの娑婆世界が浄土となる(娑婆即寂光)とする。法華経の霊山(りょうぜん)浄土、華厳経の蓮華蔵世界、大乗密厳経の密厳浄土などはこの接に類する。また無量寿経などには、娑婆世界以外に現に存在し、あるいは未来に建設される浄土があるとし、これらは菩薩が本願によって構想し、永い修行を経て仏になるとき完成する国土で、そこに生れたいと願うものを生れさせるとする。他方にある浄土には、阿弥陀仏の西方極楽世界、阿シュク仏の東方妙喜世界、釈迦仏の西方無勝世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界などがあり、これら諸仏の浄土は娑婆世界から、それぞれの方角にあたっているので十方浄土という。浄土教では特に阿弥陀仏の西方浄土を重んじ、ここに生れることを説く。極楽世界とは須摩提(梵 スカーヴァティー sukhAvatI)の訳で、妙楽、安楽、安養、楽邦などともいう。この浄土が菩薩の修めた因行の報(むくい)としてできた報土か、あるいは仏が衆生を救うてだてとして仮に現した応化土か、またニシにあたって十万億土を越えた彼方に実在するのか、それとも衆生の心の中にあるのかなどについては諸説がある。浄土教では報土で西方に実在するとし、それに生まれる者の受ける楽として往生要集巻上本には

@ 聖衆来迎楽(しょうじゅらいごうらく)
  命終に臨んで阿弥陀仏や観音・勢至の二菩薩などが来て迎え浄土に導く
A 蓮華初開楽
  蓮華に託して浄土に往生[化生(けしょう)]してから、その蓮華が初めて開いて浄土の荘厳を見る
B 身相神通楽(しんそうじんづうらく)
  三十二相の身と天眼などの五種の神通[五通]を得る
C 五妙境界楽
  色声香味触の五境が勝妙である
D 快楽無退楽(けらくむたいらく)
  楽を受けることが窮まりない
E 引接結縁楽(いんじょうけちえんらく)
  さきに縁を結んだ恩人などを浄土へ迎えとる
F 聖衆倶会楽(しょうじゅくえらく)
  多くの菩薩たちと1か所にに会する
G 見仏聞法楽
  仏を見、教えを聞くことが容易である
H 随心供仏楽
  心のままに自由に十方の諸仏を供養する
I 増進仏道楽
  修行が進んでついに仏果をさとる

の十楽を説く。また極楽には辺地、疑城、胎宮(たいぐ)、懈慢界(けまんがい、極楽に至る途中にある国とも、また阿弥陀浄土の化土ともする)などがあり、仏智を疑うもののの生まれるところとする。また仏土ではないが、弥勒菩薩の兜率天や観世音菩薩の補陀洛山などをも浄土ということができる。

 仏土[ぶつど]

仏が在住し、支配し、教化する国土。仏国、仏界、仏刹ともいう。仏身に対する解釈の相違により諸説がある。

@ 有部では、仏土とは釈迦仏の生誕した娑婆世界(この世)を意味する

A 三論宗では、吉蔵の大乗玄論巻五に、土には不浄・不浄浄・浄不浄・雑・浄の五種があり、この五土は衆生の業によって感受する点からいえば衆生土というべきであるが、いずれも仏の教化する国土であるから仏土と名づけるとし、これに

 (1)凡聖同居土(ぼんしょうどうごど、凡夫と聖者が共住する)
 (2)大小同居土(阿羅漢・独覚と大力菩薩とが共住する)
 (3)独菩薩所住土(菩薩のみ住む)
 (4)諸仏独居土(諸仏のみ住む)

の四位があるとする。

B 法相宗では法性土・受用土(じゅゆうど)・変化土の三土、またそのうちの受用土を自受用土・他受用土に分けて四土を立て、自性身・受用身・変化身の所在する土とする。このうち法性土は法性の理を土といったもので身と別のものではない。自受用土は仏の無漏の第八識の上に現れた無限の境地で、仏以外の者には測り知ることができない。他受用土は十地の菩薩を教化するために、変化土は地前の菩薩・二乗・凡夫を教化するために、変じ現された土であって、衆生は仏によって変じ現された土を増上縁として自心変の仏土を見るわけで、仏によって変じ現された土自体は無漏であるが、衆生が見ると心のあり方によって有漏とも無漏ともなる。ただし自心によって変じ現された仏土は仏によって変じ現された土がなければ存在しないから、仏の変じ現した土は衆生を教化する悲のはたらきがあるといえるのである。

C 天台宗では、

 (1)凡聖同居土
 (2)方便有余土(ほうべんうよど)
 (3)実報無障礙土(実報土)
 (4)常寂光土(寂光土)

の四土を立て、

 (1)凡夫と正邪が共に住む土
 (2)方便道である空観と仮観を修めて三界に生まれる因である見思(けんじ)の惑は断った(絶無にした)が、無明の惑を断っていないために界外の変易生死(へんにゃくしょうじ)を受ける蔵教の二乗、通教の三乗、別教の三十心の菩薩などが生まれる土
 (3)真実の法である中観を修めて無明を断った別教の初地、円教の初住以上の菩薩が生まれる土
 (4)仏果をさとった仏の存在する土で如々法界の理に外ならず身土不二である

とする。

D 華厳宗では、別教一乗の立場では、因分可説の土を世界海、果分不可説の土を国土海とし、全宇宙は蓮華蔵世界であり、十身具足の毘廬遮那如来の教化する国土であるとする。

E 真言宗では、密厳仏国・十方浄土・諸天修羅宮の三種を立て、法身・報身・等流身の住する所とし、上・中・下の三品(さんぽん、三類)の悉地を得た人がそれぞれ受ける土とするが、その体は不可得で、凡夫の見る穢土そのままが密厳仏国であるとする。

F 浄土教では、阿弥陀仏の仏身に法・報・応の三身があるという点からすれば、土には法身土(法土)・報身土(報土)」・応身土(応土)の三土があるといえるが、正統的見解よりすれば阿弥陀仏は報身仏であるから、その浄土である極楽は報土であるとする。また、浄土真宗では、報土について真実報土と方便化土を分け、化土は報土のはたらきである点において報土におさまるが、しかも衆生を導くための方便としてあるとする。
以下は辞典ではないが定方晟『須弥山と極楽』より。
つぎに「仏国土」を説明しよう。宇宙にはたくさんの仏がいて、それぞれ固有の国土を所有して、教化にあたっている。その国土は「仏土」とも「浄土」とも呼ばれる。その代表的なものは阿シュク仏の「妙喜国」、薬師如来の「浄瑠璃世界」、阿弥陀仏の「極楽浄土」である。また仏土ではないが、仏土に似たものとして、弥勒菩薩の「兜率天」(もともと六欲天の居所の一つであるが、仏となって出世するまえの菩薩の控えの場所でもある。かつてシャカがここから贍部洲へ降ったし、いままた将来の降下にそなえて、弥勒が控えている)や、観音菩薩の「補陀洛山」(インドの南方海中にあるとされる)がある。娑婆世界はシャカムニ仏の「仏土」であるようだが、浄土ではなくて、むしろ穢土である。これらの浄土の中で、のちに断然有名になるのが極楽浄土である。
「仏土」は大乗仏教において、生まれた概念である。『倶舎論』では、すでに説明したように、仏は三界から脱出して無に帰している。この完全に無に帰すること(「無餘涅槃」という)が、小乗仏教徒のめざす最高の境地である。彼らにとっては、仏がまた形を有し、仏国土にあって活動するということは考えられない。ところが、大乗仏教では、仏たちは仏国土の建設をめざして修行し、仏国土を建設しおえたなら、迷える衆生をそこに導きいれるために永遠に活動をつづける。(一三四)