掲示板の歴史 その九
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NO.263  十二因縁の定義
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/09/16(Thu) 12:48:31

初めまして、スターダストさん。
なんだかアグレッシブな書き込みですね。
正直申しまして、ちょっと引いてしまいます(^^;)
私自身は、仏陀と呼ばれた人物が「実際に何をいっていたか」といったことにはあまり興味がなく、どちらかというと、仏教という流れの中、彼が「いったことにされていること」を基底に誰がどんな社会的宗教的な影響を持ちえたのかを知りたい人間なので、あまりスターダストさんとは話が合わないかも知れませんね。
記事[No.255][No.256][No.257]の『阿含経』の引用にしても、まず具体的に『阿含部』のどのお経から引かれたのかが書かれていないことから始め、文脈的にどのような状態で説かれたことなのかもさっぱりですし、論拠にするにはあまりにも貧弱なのではありませんか?
No.255]は仏教では常識的な価値観ですし(とはいえ、やはり具体的な経典名は記して欲しい)、[No.256]は飛躍しすぎた解釈としか思えないし、しかもその引用にある言葉を実際に説いたとされるのは、私の知る限りでは「仏」ではなく「クマーラカーシャパ尊者」という人です(苦笑)
そもそも空である現実世界が「幻の如し」「化の如し」「夢の如し」という喩え方は仏教の常套なので新しい発見ではありませんし(『大日経』にも書かれてますね)、最新の記事[No.261]の十二因縁の定義に関しては、ある程度メイクセンスする説明だとは思いますが、その根拠が明記されていない。
今後はそういった個人的・宗教的解釈に基づいて「釈迦は実際には〜と説いていたのだ」と安易な断定をされるのは、こちらでは控えることにいたしましょう。仮にそれが正しいのだとしても、こちらではしていただきたくないのです。
基本的に、根拠をもっと詳細に書いていただけること、この点についてどうかくれぐれもよろしくお願いします。また下方に記す内容で明らかになるのですが、『新・佛教辞典』の引用は、文脈が分かるように書いていただくべきでした。

まず、同じく中村元博士監修の岩波『仏教辞典』から十二因縁の定義を引きますと、次のようになります。
  1. 無明=無知
  2. 行=潜在的形成力
  3. 識=識別作用
  4. 名色=名称と形態
  5. 六処=六入、六つの領域、眼耳鼻舌身意の六感官
  6. 触=接触
  7. 受=感受作用
  8. 愛=渇愛、妄執
  9. 取=執着
  10. 有=生存
  11. 生=生まれること
  12. 老死=老い死にゆくこと
そして、同辞典によると、説一切有部では(1)〜(2)を過去の因、(3)〜(10)を現在の果、(11)〜(12)を未来の果とみて「胎生学的に解釈する」とあり、この場合、スターダストさんが中村元氏を批判する形で『新・佛教辞典』から引かれたのとまったく同じ内容になります(^^;)

★説一切有部における十二因縁の解釈★

@無明=迷いの根本の無知
A行=無明からできて次の識を起こす働き
B識=受胎の初一念
C名色=母胎の中で心作用と身体が発育する位
D六入=眼耳鼻舌身意の六根が具わって、まさに母胎を出ようとする位
E触=2〜3歳のころで、苦楽を識別することなく、物に触れる位
F受=6〜7歳ごろから苦楽を識別して感受するようになる位
G愛=14〜15歳以後、種々の欲望が現れて苦を避け楽を求めようとする位
H取=自分の欲するものに執着すること。
I有=生存の意味で愛取と共に未来の果が定まる位
J生
K老死

このように文脈を明確にせず、「説一切有部における」という断り書きをつけ加えずに、あたかもそれが仏教学界における常識であるかのように紹介して、「中村元に代表される仏教学」を批判されるのは卑怯です。

ちなみに、早島鏡正著『ゴータマ・ブッダ』によれば『律蔵』「大品」の記録には、ブッダは菩提樹の下で七日間、坐禅したまま解脱の楽しみを享受しつづけ、その瞑想から出た夜に三回、再び十二因縁を順逆に観察したとありまして、十二の縁起とは何かが次のように引用されております。
無知(無明)によって形成作用(行)があり、形成作用によって識別作用(識)があり、識別作用によって名称と形態(または精神と物質)があり、名称と形態によって六つの感覚作用(六処、眼耳鼻舌身意)があり、六つの感覚作用によって対象との接触(触)があり、対象との接触によって感受作用(受)があり、感受作用によって愛執(愛)があり、愛執によって執着(取)があり、執着によって生存(有)があり、生存によって出生(生)があり、出生によって老と死、愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。このようにして、この苦の集まりがすべて生起する。
しかし、無知を残りなく遠離し止滅すれば、形成作用も止滅する。名称と形態が止滅すれば、六つの感覚作用が止滅する。六つの感覚作用が止滅すれば、対象との接触が止滅する。対象との接触が止滅すれば、感受作用も止滅する。感受作用が止滅すれば、愛執が止滅する。愛執が止滅すれば、執着が止滅する。執着が止滅すれば、生存も止滅する。生存が止滅すれば、出生も止滅する。出生が止滅すれば、老と死、愁・悲・苦・憂・悩も止滅する。このようにして、この苦の集まりがすべて止滅する」
そこでブッダはこの意義を知って、つぎの詠嘆の詩句を唱えた。
「修行に努め瞑想に励むバラモン(真の修行者という意)に、
もろもろの理法が顕現するならば、
かれの疑惑はすべて消滅する。
原因との関係を明らかにした縁起の理法をさとったのであるから」(一一四〜六頁)
岩波書店『仏教入門』(三枝充悳著)によりますと、これはどうやら編集者の創作であるらしいということです。
パーリ律は十二因縁を、パーリ『ウダーナ』の散文は十二因縁に右のフレーズを添えて、釈尊の菩提樹下の成道の内実とし、十二因縁をさとって覚者(ブッダ)となったと記すけれども、右の教説の展開を丹念に検討すれば、最終の完成品を遡って始元に置こうとした、この二種の編集者の作為的な意趣が明白といえる。(一〇九〜一一〇)
また、梶山雄一氏はその論著「インド仏教思想史」において『阿含経』系経典が「ブッダ自身の教えを秘めているとともに、部派の哲学であるアビダルマに連なる要素を多く含んでいる」と述べて、アーガマからアビダルマへの発展に貢献した初期経典の理論のうち主要な項目の一つとして縁起説の「成立」について触れています。
縁起説は本来は、あらゆる苦が原因・条件によって生起し、存在し、原因・条件の消滅によって消滅する、という真理を説くものであった。先に第二節で見たように、『スッタニパータ』の「二種の観察」においては、あるいは、苦は無明によって生ずる、といわれ、あるいは、苦は識によって生ずる、といわれ、あるいは、苦は渇愛によって生ずる、などと苦の生起をある一つの原因に求める文章が数多く並記されていた。しかしやがて、和辻哲郎氏が指摘したように、苦の原因を一つのものに求めるのでなく、二つ、三つの原因の系列に求めるようになり、無明―執着―苦、あるいは、五蘊の無知―愛―有―苦というような因果の系列が説かれるようになる。苦に先立つ因果の系列の項目数はさらに増えて行って、愛(渇愛)―取(執着)―有―生―老病死憂悲悩苦という形をとるようになる(『雑阿含』二八三、二八五)ここでは愛の前に味着の語もあるから、この形は五支縁起といってもよいし、六支縁起といってもよい。
(中略)
こうしてついに十二支縁起が成立する。(「インド仏教思想史」十九〜二十一)
三枝氏もまたこのことについて『仏教入門』で説明しておりますが、『インド仏教の思想史』という項目で、「十二因縁が確立したのちに、この説を推進するグループ内では、その各支を捨象して、<これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる、これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する>(このなかの<これ>も<かれ>も、イダムという一語の格変化による)というストック・フレーズが派生し、パーリ五部と漢訳四阿含には、その一部の省略をふくんで、合計三十九回も説かれる(一〇九〜一一〇)」と述べられてます。

いろいろとご紹介してしまいましたが、こういったことをざっと見てみただけでも、ブッダと呼ばれた人が実際に十二縁起を説いたか否か自体が問題にされていることから、その発展過程を研究するというならまだしも、真意がどうのを考えることはそれほど建設的であるとは思えませんし、この掲示板における話題としても不適切な範疇に入ります。
参考にしていただければ幸いです。