掲示板の歴史 その二
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NO.47  密教法具について
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/10/31(Fri) 17:37:49
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/gallery/buddhistarts.html

こんにちは、環さん。
書き込みありがとうございます。
チベット製、ネパール製の金剛杵の類は、原価の関係で日本人にとっては安いです。上に紹介したセットで三五ドル(約四千円)でした。
一方、日本製のものは二万、三万円など平気でするため、購入するのには覚悟が要ります。(ただ、先程日本の法具専門店多羅庵のサイトを覗いてみたところ、どうやら日本で購入するとネパール製の価格も二万円くらいにつり上げられてしまうようです……嘆かわしい哉、ボッタクリです)

これら法具について書く前に、先日、ゲストブックにて密教について教えて欲しいといわれていたのでそちらから説明します。
まず、密教とは秘密仏教の略で、仏教発展の最終形態のことです。
密教を外の仏教と対比して、顕教(けんぎょう)に対する密教とする立場がありますが、それは飽くまでも日本密教諸派の側に立った考え方なので私個人はこれを密教の定義として採用したくありません。ただ、確かに密教は全仏教的な立場を採り、他宗派の教理を遍く包括する教えであるため、一般的にはそのように説明する向きが多いと思います。
密教にはその経典の登場や修行方法、教理の在り方の変遷などによって初期、中期、後期の別があり、また流布する地域によって在り様が変わってきます。端折りますと、初期は雑密(ぞうみつ)といって、理論的に体系化されないまま、修法だけが説かれた段階、中期は七世紀頃にインドで起ったとされれ、大乗仏教特有の空観・唯識・如来蔵などの思想に基いて展開、教理と実践が体系的に纏められ整えられた段階、後期は経軌タントラの発展に伴い修行方法が生理的(時に性的)なものに変質していった段階といってもいいのではないでしょうか。
日本に伝わったのは『大日経』『金剛頂経』に基く教理と実践によって代表される中期密教です。
中期・後期の密教の基盤になるのが三密というコンセプトで、これはつまり

意密(心に仏を念じ、仏が観じ思うことを思おうとすること)
口密(仏の言葉を口ずさむこと、真言)
身密(仏の所作をすること、印契)

の三つをいい、これら三つの秘密を、秘密の正統な継承者のもとに行なうことによって「効率的に成仏することが出来る」とする教えです。「加持」、つまり仏、法界の側とこちら側の双方の働きかけによって「成仏」するのですが、そこに生じる力を操ることが密教修法の根本であると考えられます。そして、この教えは観照(禅定)や修法の過程において象徴の駆使を重んじるため、特殊な器具、すなわち金剛杵をはじめとする法具の使用を必要とします。
この「象徴の駆使」という概念は、個人的身密によってカバーしきれない動作や神秘的事象を法具に託し、簡略化して補うという意味があると思われます。

密教法具にはその象徴的意味によって大別すると、次の四種があるようです。
1)煩悩を討ち滅ぼすもの
2)眠れる仏性を覚醒させるもの
3)俗塵を焼却し清浄身を顕現させるもの
4)諸天諸仏を供養するもの

私が掲載した写真は、厳密にいうと実はチベット製のドルジェではなくネパール製のヴァジュラ(金剛杵)というものだったのですが、これらは呼び名こそ違えどどちらも元々同じもので、(1)煩悩を討ち滅ぼす役割を持ちます。もとはインドで実際に使われていた武器であり、バラモン教の神インドラが魔神ヴリトラを倒すのに使ったと伝えられるヴァジュラを模倣したものとされております。
一方、ティルブ(金剛鈴)は一種の楽器で、(2)眠れる仏性を覚醒させるものであり、またその妙音で諸仏を喜ばせるという意味において(4)諸天諸仏を供養するものとすることも出来ます。

密教法具の形や配列は流派によって異なり、作法もまた秘密とされるため、どのように用いるかは不明な点が多いです。
法蔵館『密教大辞典』によると、『蘇悉地経』に「行者手に三鈷杵を執らば毘那夜伽も障難を為さず、又護摩及び念誦の時、左手に之を持ちて能く諸事を成就す、故に杵を善成就者と号す」とあり、そのため金剛界九会曼荼羅の第三微細会の諸尊は皆三鈷杵の中に描かれ、また醍醐流の護摩などの修法で常に三鈷を持つのもこのためだとあります。
こういった経典や儀軌の記述に基く、象徴的で宗教的な解釈、捉え方によって秘伝が生じ、それに合わせた形で作法が生じるため、その数は恐らくおびただしいものではないかと推察します。

また何かご質問がおありでしたら遠慮なくお寄せください。