掲示板の歴史 その十四
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NO.343  密教と原始仏教
□投稿者/ snafkin
□投稿日/ 2005/01/08(Sat) 20:22:13
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はじめまして、snafkinといいます。義仙さんの紹介でこちらに来ました。

一般的に、密教は神とか、仏とかを究極の実在と想定し、それとの神秘的合一をめざして、さまざまなサマタ瞑想(対象集中型瞑想)をおこない、瞑想対象に関する三昧(対象との主客合一状態)を完成させることを目的にしています。これを神秘主義と呼びます。

ところが、原始仏教および、中観派仏教は、究極の実在の存在を否定します。それも単なる「概念」の一つに過ぎないとするわけです。これらの仏教は究極の目的自体が密教=神秘主義とは異なり、ヴィパッサナーといわれる瞑想技術、あるいは空の観法を用いて無常、無我の認識、あるいは一切法の空の認識に至ろうとします。それによって真の涅槃が得られるとするわけです。これらの仏教は神秘主義を否定していると言っていいでしょう。

釈尊の仏教は、密教一般とは根本的思想が異なると言えましょう。特に、密教技法を逆手にとって空の認識に至ろうとするチベット・ゲルク派の密教は、いろいろな宗教の中に存在する密教思想とは、目的が本質的に異なっていると言わなければならないのではないでしょうか。