掲示板の歴史 その十一
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■16 アリストテレス派のミメシス
□投稿者/ 空殻
2004/09/20(Mon) 13:42:46

日本大学英文学会のサイト【http://www.chs.nihon-u.ac.jp/eng_dpt/esanu/news_letter73.html】では、文理学部教授の原公章という方が、「さようなら、文学?−文化と社会をめぐって−」と題する公開講座の要旨を書いているのですが、本題として「ミメーシスをめぐるプラトンとアリストテレスの対立」を挙げています。以下は該当部分の引用です。

「プラトンは『国家』で、文学は「模倣」であって実際の知識ではなく、しかも文学に描かれる悪を思慮のない若者が模倣する危険性をソクラテスに言わせています。それに対して「模倣」は人間の本能であり、「模倣」によって人は学ぶことができると対抗したのが、『詩学』のアリストテレスです。悲劇は「哀れみ」と「恐怖」の感情を浄化するというカタルシス論が、結局は文学の弁明となっています。プラトンも、問題は受け手の側にあって、文学そのものは「神の霊感」の生むものであることを認めています」

なるほど、プラトンはミメーシスを完全な悪と考えていたのではなく、それを扱う人間に問題があるとしていたわけですね。
でもそれでは、「現実の存在者が既にミメーシスであり、芸術はさらにそれを模倣するミメーシスのミメーシスに過ぎない(から国家をダメにするので詩人は追放せねばならない)」という山形大の表現とは矛盾するなあ(^^;)

それにしても、この人は「模倣」という表現を、なんの抵抗もなく使いすぎているのではないかという気がいたします。
実際、アリストテレスとプラトンとでは結局どちらが勝ち残って、どちらが欧米の概念として主流なんだろう・・・?
如月さんは「プラトン以来欧米では云々」と言っていたけど、プラトンの排他的主張よりも、アリストテレスの寛容な主張の方が後の芸術作品に大きな影響を与えたというのは山形大が書いていなくても容易に想像できることですし。

やはり、アリストテレス派の方が有力なのではないかなあ。