掲示板の歴史 その十
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■10 あらら(苦笑)
□投稿者/ 空殻
2004/09/18(Sat) 09:42:57

そいつは納得がいきません(^^;)
まず、アニメは何かの代用品として生まれたわけでもありません。
これは日本だろうとディズニーだろうと同じことです。手塚氏もディズニーも、アニメーションを作りたかったのであって実写の代用品を作りたかったわけじゃない。
そして、アニメは現在も演劇や実写の代用品としてあるわけでもない、というのが私の見解です。
無論、実写の代用品として機能させることは可能ですが、それは本来のあり方ではないのでは?
「アニメにしてはよくやった」という表現も、日本における映画の興行成績などに対してまったく無知な方の発言ですね。
米国ではアニメ市場はまだ発展途上なので、そういう場合に使われる言葉です。
また、北米で生活している限りでは、欧米の概念において

「芝居なり演劇なりは、人間が演じるtheatre pieceという一種類の概念しかなくて、どうしても、実写映画はそれの代用品、アニメは実写のさらなる代用品」

というのは当たってません。
たしかに欧米にて「人形劇」が文化財として認められたという話は聞いたことがありませんが、人形劇自体が存在しないわけではありませんからね。
ただ、映像学科にいた頃に人形劇についてまったく学んだことがないので、「忘れ去られた」概念といった方がよいかも知れない。

日本でアニメが蔑まれるのには外側と内側の要素があって(ここでいう外側というのはやはり先入見や偏見を持った人たちのグループ、内側というのはそういったグループを助長させる行動を取る人たち、すなわちオタクと呼ばれる人たちの中の一部のグループで、これらが相互に依存しあって根強い偏見を慢性化させる)、そこに「演劇の代用品のそのまた代用品」という作品自体の要素はまったく見られないのではないかと感じます。
アニメにはアニメの在り様があり、実写には実写の在り様がありますし、演劇には演劇の在り様がある。同じように人形浄瑠璃にはその独特の在り様があるわけであって、たとえそれが代用品であろうとなかろうと、娯楽として、または文化として充実しているかが問題になるのであって、一概に一括りにするのはいかがなものかと思います。
アニメと実写の関係と人形浄瑠璃と歌舞伎の関係を無理に比べるのは、あまり建設的ではないような気がします。