掲示板の歴史 その十
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NO.307  (無題)
□投稿者/ みならい
□投稿日/ 2004/11/04(Thu) 16:03:28
□IP/ 140.128.96.237

>それについては、なぜそういえるんでしょうか。

まず、実際の口語がどうであったかということは、録音機でもない限り分かりませんが、少なくとも当時の口語に基づいていたというのは次の2点が傍証になると思います。第一には『論語』『孟子』は、それ以前の文『詩経』『書経』とかなり異なり、新しい文体は『論語』『孟子』の文体は当時の口語に基づき作られたと考えるのが妥当。『論語』より『孟子』の方が口語的だと言う人もいますが、それは修辞レベルの問題と言えると思います。第二には、中国語の歴史が文献資料を追って、その変化を確認でき、それは多くの場合、明らかな書面語の中に口語が散見するのではなく、その資料が全体的にそういう語法で書かれている。丘山氏も禅語録、変文から仏教漢文へ淵源が見出せるとしていますが、仏教漢文の淵源には更に、前の時代の資料に求めることができます。

>『史記』に見られる口語は、会話部分に時折散見するのみで、それは明らかに他の部分とは異なるものだと思っていたのですが、違うんですか。

これは実は非常に微妙な問題だと思うんですが、会話の部分のみ口語だとすると、地の文は何だ、ということになってしまいます。一つの考え方は古語、一つの考え方は簡潔化された口語です。この二つも文献資料だけでは、区別が困難ですし、司馬遷ら当時の著作者が理性的に分けていたかも分かりませんが。少なくともそれを口語ではないと言ってしまうことには問題があると思います。

『漢書』と『史記』の場合は、同じ内容で、『漢書』には助詞の使用が少ないなどの特徴があるので、『史記』の方が口語的という見方もあります。が、この違いは基本的に修辞レベルのものだと思います。

>>それを認めなければ、『孟子』と『史記』の語法、語彙に違いが存在することが説明し得ないですし、その緩やかな変化の延長線上に、『世説新語』があり、さらには唐詩があり、禅語録があるわけですから(丘山氏は口語というのを近代漢語というような意味でつかっているのかもしれませんが)。
>まあ文語も口語も変化しますからね。


上に続くんですが、それで口語が変化するのは、言葉というものはそういうものだという説明でもある意味片づけられるのですが、では文語(この場合書面語に限りますが)が何故変化するか、という問題を考えた場合、多くの場合口語(方言、外国語も含む)の影響を受けたと見做せます。それが部分的なことか、全体的なことかは、前にもちょっと触れましたが。

>四六文は、六朝時期の中国語を知る上で参考にならないということでしょうか。要するに、口語が少ないということでしょうか。

おっしゃる通りです。もちろん上古漢語と比べた場合、上古と中古に存在する幾つかの語法の違い(否定詞、疑問代名詞の位置、その他、助詞)で、上古のものを引き継いでいるということもあるんでしょうが、それよりも語彙の面で、見たものを素直に書くというよりも、字面の上で美しく見せるということに重点が置かれすぎているため、中国語史の上で知りたいことはあまり顕著に出てこないということかも知れません。きっと根気よくさがせば、面白い「口語的」な現象は見付かるんだと思います。

>古文体が復古して、散文体が一般的になるまで貴族の間で流行した文学形式であるとは聞いてますが。

恐らく中国人が、口語と書面語をはっきり意識的に使い分けるようになったのは(修辞的に簡潔な表現を求めたというのではなく)、ご指摘の唐宋古文の頃からだと思います。唐宋古文を読んでいても、これは古文と称しながら、漢代以前には見られない、唐宋の口語だ、と思われるものもありますが(語彙レベルではそれはしょうがないことですが、語法レベルでも)、そういう散見するだけの例と、先に挙げたような基本的に全体を通じてそういう語法で書かれている『史記』『漢書』というのは異なると思います。

ということで、一応、文献を通して得た中国語史の中で、六朝より以前の部分についても、必ずしも口語史ではないとは言えない、という見方もできるということしか言えないんですが(笑)。先にも書きましたが、本当の口語は録音でもしていないと分かりませんから。でも、逆に『史記』『漢書』が口語からかなり乖離して成立した文であるということは全く根拠がないように思います。