掲示板の歴史 その十
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NO.305  (無題)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/11/04(Thu) 12:41:44
□IP/ 4.27.3.43

みならいさん、書き込みありがとうございます。

>一般的にいうとこういう表現になってしまうのかもしれませんが、何をもって口語とするか、ということと、実際の話し言葉と文章語の距離の捉え方によって、見方は変わってくると思います。

なるほど、文章語と口語の境界線はそれほど明瞭ではないというわけですね。
中国語学では文章語と口語を分けて考えていると思ったのですが・・・

>『孟子』や『史記』なども、その時代の口語に基づいて書かれた文章であることは疑いなく(ただ、『史記』と『漢書』を比べた場合、『史記』の方がより口語成分を多く含むということはありますが)

それについては、なぜそういえるんでしょうか。
『史記』に見られる口語は、会話部分に時折散見するのみで、それは明らかに他の部分とは異なるものだと思っていたのですが、違うんですか。

>それを認めなければ、『孟子』と『史記』の語法、語彙に違いが存在することが説明し得ないですし、その緩やかな変化の延長線上に、『世説新語』があり、さらには唐詩があり、禅語録があるわけですから(丘山氏は口語というのを近代漢語というような意味でつかっているのかもしれませんが)。

まあ文語も口語も変化しますからね。

>とはいうものの、六朝時期には、四六文が隆盛していたため、普通の散文が少なかったり、或いはあっても後人の手を経ているため信憑性に劣ったりするといった理由で、漢訳仏典が、この時代の中国語を知る上で不可欠なものであることに間違いはありませんが。わたしが漢訳仏典に興味を持った理由もここにあります。

四六文は、六朝時期の中国語を知る上で参考にならないということでしょうか。
要するに、口語が少ないということでしょうか。
古文体が復古して、散文体が一般的になるまで貴族の間で流行した文学形式であるとは聞いてますが。