掲示板の歴史 その十
▲[ 307 ] / 返信無し
NO.309  口語体
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/11/08(Mon) 12:31:31
□IP/ 4.27.3.43


>まず、実際の口語がどうであったかということは、録音機でもない限り分かりませんが、少なくとも当時の口語に基づいていたというのは次の2点が傍証になると思います。第一には『論語』『孟子』は、それ以前の文『詩経』『書経』とかなり異なり、新しい文体は『論語』『孟子』の文体は当時の口語に基づき作られたと考えるのが妥当。『論語』より『孟子』の方が口語的だと言う人もいますが、それは修辞レベルの問題と言えると思います。第二には、中国語の歴史が文献資料を追って、その変化を確認でき、それは多くの場合、明らかな書面語の中に口語が散見するのではなく、その資料が全体的にそういう語法で書かれている。丘山氏も禅語録、変文から仏教漢文へ淵源が見出せるとしていますが、仏教漢文の淵源には更に、前の時代の資料に求めることができます。

どうも私には御主張に肯くべきなのかどうかよく分からないのですが、金岡照光氏は『仏教漢文の読み方』一一七頁で次のように述べてます。

最初に中国での口語の古い文献というものにどんなものがあるかを、簡単に眺めておこう。もちろんいずれの時代でも口頭語(話し言葉)は、書面語(書き言葉)と並行して存在するものではあるが、その口頭語に基礎を置き、それを部分的もしくは大量に反映した口語体の文章というのが現れるのは、あまり古いことではない。もちろん『書経』『詩経』『論語』等にも当時の口語の混入はあるといわれているが、これらは、あまりに古く、かつ部分的であり、口語の歴史全体の潮流の上からは、さして確実な材料にはならない口語資料として重要なものがまとまって現れてくるのは、魏晋南北朝ではやはり漢訳蔵経であり、さらに以前から重要な口語資料として評価されている『世説新語』等であろう。しかし、現代の口語文と通ずる口語の文献が大量に現われてくるのは、やはり唐以後であり、とくに宋代から口語表記の技術は著しく進展している。
これを読む限りだと、「(『孟子』等の資料に)明らかな書面語の中に口語が散見するのではなく、その資料が全体的にそういう語法で書かれている」という御主張はとても新しいものであるのではないかという印象を受けます。

同氏は、同三九頁で
「もちろん文語文のタイプといっても、先秦の文、漢の文、唐宋の文にそれぞれ微妙な違いはあるし、擬古体、駢体等の文体の差もある。とくに翻訳の文である漢訳蔵経の漢文は、かなり独自な性格を持つ」
と述べ、また同三八頁にて、漢文の何たるかを

  • まさにこの中国の書き言葉の、文語文なのである。それは漢字という複雑な文字のためもあって、必要な言葉を厳密に取捨した簡潔なものであった
  • 中国の純粋な記載言語としての文語文であり、その形を模倣した日本人を主とする他民族の同質の文章も含み、主に近代以前の文章を材料とする

と定義しています。

同氏はまた口語と文語の違いについても言及していて、引用すると次のようになります。

口語と文語の差というのは、なかなか一口では言い尽くせないが、第一には同じ文字で表記されていても、文語を担う意味と、別の意義が添加されているか否かということが、一つの見分け方になるし、もう一つは、現代語(共通語のみならず、むしろ各地の方言に古い口語が残存しているケースが多い)とのつながりを遡及していくことが必要となる。そして、こうした中世の口語を完全に処理する方法が確立されておらず、もちろん、依るべきスタンダードな体系が整理されていない以上、さまざまの資料に残された同系の語彙、語法を蒐集し、それを整理するという、きわめて基礎的な作業が要求されるわけである。したがって仏典の口語表現を理解するためには、敦煌の写本をはじめとするたくさんの口語文献の語彙、語法と、十分対比しながら、分析していかなければならない。しかしこうした作業は、中国語学研究の世界でも、まだ十分行なわれているとはいい難い。すべては今後に課せられた宿題といえよう。しかし、そうかといって、仏典の中の口語表現を、文語の知識のみをもって処理した結果生じた誤読までを、そのままに放っておくことはできない。(同一四三〜一四四頁)
また以下は、同氏が同著で述べている一般論的な言語観です。
参考になるので引いておきます。

  • いずれの民族の言語でも、記載言語と口頭言語の上に違いがあり、かつ同じ記載言語(文章語・書面語)でも、口頭語と断絶した位置を保つ文語体と、口頭語に接近している口語体とでは、それぞれに独自の体系があるものである。これは日本語の場合においても同じである。しかし中国語においては、この文語と口語の差は、特に著しいといえる。(同三七頁)
  • ところでこうした口語資料は、時代が下るほど、その口語表記の技術は発達するが、古いものは、口語体といっても、かなり割引きを付けなければならない。すでに述べたように、口語体といっても、口頭語を完全に書面語に移植することは、現代といえどもまず不可能である。文章はその書き記す瞬間に、意識的たると無意識的たるとを問わず、ある種の整理がなされるものであるから、「言文一致」ということは、実は一つの看板であって、全き実現の可能性はない。口語文というのは、口頭語に基礎をおいた書面語であり、口頭語そのものではない。まして古白語ともなればなおさらである。それは文語体の中に、口語の語彙が混入したり、文体が幾分口語に近づいたりしたものが主で、いわば文語の粋におさえられながら、口語を書こうという意識が出て、その二つの文体の間を交流上下している、といった類である。(同一一八頁)
同氏はまた同一一八頁で、こうした文章の口頭語への接近を「庶民の文章への参加」を背景として生じてきたものであるとし、また禅語録に関しては「師資相承」、つまり師の言葉をできるだけ忠実に記録するという姿勢に基づくものであると主張しています。



>上に続くんですが、それで口語が変化するのは、言葉というものはそういうものだという説明でもある意味片づけられるのですが、では文語(この場合書面語に限りますが)が何故変化するか、という問題を考えた場合、多くの場合口語(方言、外国語も含む)の影響を受けたと見做せます。それが部分的なことか、全体的なことかは、前にもちょっと触れましたが。

文語の変化が口語の変遷に大きく影響されるというのは常識ですね。
口語の影響や混在を「垣間見る」ためには、そういった資料の「間テキスト性」に頼るしかない。
口語体ってのは、一筋縄ではいかない分野ですね。



>>四六文は、六朝時期の中国語を知る上で参考にならないということでしょうか。要するに、口語が少ないということでしょうか。
>おっしゃる通りです。もちろん上古漢語と比べた場合、上古と中古に存在する幾つかの語法の違い(否定詞、疑問代名詞の位置、その他、助詞)で、上古のものを引き継いでいるということもあるんでしょうが、それよりも語彙の面で、見たものを素直に書くというよりも、字面の上で美しく見せるということに重点が置かれすぎているため、中国語史の上で知りたいことはあまり顕著に出てこないということかも知れません。きっと根気よくさがせば、面白い「口語的」な現象は見付かるんだと思います。


勉強になります。



>恐らく中国人が、口語と書面語をはっきり意識的に使い分けるようになったのは(修辞的に簡潔な表現を求めたというのではなく)、ご指摘の唐宋古文の頃からだと思います。唐宋古文を読んでいても、これは古文と称しながら、漢代以前には見られない、唐宋の口語だ、と思われるものもありますが(語彙レベルではそれはしょうがないことですが、語法レベルでも)、そういう散見するだけの例と、先に挙げたような基本的に全体を通じてそういう語法で書かれている『史記』『漢書』というのは異なると思います。ということで、一応、文献を通して得た中国語史の中で、六朝より以前の部分についても、必ずしも口語史ではないとは言えない、という見方もできるということしか言えないんですが(笑)。先にも書きましたが、本当の口語は録音でもしていないと分かりませんから。でも、逆に『史記』『漢書』が口語からかなり乖離して成立した文であるということは全く根拠がないように思います。

口語文の文体、もしくは口頭語というのが研究不十分(もしくは不可能)な部分であることは、金岡氏の著書を読んでも分かるような気がします。

(略)口語表記、俗語表現は、漢文の知識のみでは律し切れぬものがあることはわかるであろう。
とくに唐代以前の口語を読むことは、語録を読む場合よりも難しい。それは一つには、すでに述べたとおり、完全な口語表記の文献に乏しく、相互に比較できる同時資料が少ないということ宋以後の進んだ口語表記が、現代の中国語と通じる点が多いのに対し、もっとヴァルガアで、現代中国語とも断絶しているものがかなりあること等が原因をなしている。(同一四三頁)

資料の信憑性という点も大きな問題だと思いますし、なんだか前途多難ですね(^_^;)