掲示板の歴史 その十
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NO.301  (無題)
□投稿者/ みならい
□投稿日/ 2004/11/03(Wed) 05:06:35
□IP/ 140.128.96.225

いろいろご紹介くださり、ありがとうございました。勉強になりました。ここ数日、雑用が多く、お邪魔できませんでしたが。

丘山新氏の解説に反論するわけではないですが、(1)語法・語彙の面の部分は、微妙ですね。一般的にいうとこういう表現になってしまうのかもしれませんが、何をもって口語とするか、ということと、実際の話し言葉と文章語の距離の捉え方によって、見方は変わってくると思います。『孟子』や『史記』なども、その時代の口語に基づいて書かれた文章であることは疑いなく(ただ、『史記』と『漢書』を比べた場合、『史記』の方がより口語成分を多く含むということはありますが)、それを認めなければ、『孟子』と『史記』の語法、語彙に違いが存在することが説明し得ないですし、その緩やかな変化の延長線上に、『世説新語』があり、さらには唐詩があり、禅語録があるわけですから(丘山氏は口語というのを近代漢語というような意味でつかっているのかもしれませんが)。

とはいうものの、六朝時期には、四六文が隆盛していたため、普通の散文が少なかったり、或いはあっても後人の手を経ているため信憑性に劣ったりするといった理由で、漢訳仏典が、この時代の中国語を知る上で不可欠なものであることに間違いはありませんが。わたしが漢訳仏典に興味を持った理由もここにあります。