掲示板の歴史 その十
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NO.288  漢訳蔵経の再評価
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/10/15(Fri) 17:37:44
□IP/ 4.27.3.43


以下は、『岩波講座・東洋思想/第十二巻/東アジアの仏教』(岩波書店、一九九二年、初版一九八八年)に収録されている、丘山新(はじめ)助教授(当時)の「漢訳仏典論」なる論文の部分的要約である。
同助教授は「明治期以来の学問の西欧化によって、その資料的価値を失いつつあった漢訳仏典が、最近[一九八八年、初版発行当時]再び脚光を浴びるようになってきた」(同二二四頁)として、その理由を次のように述べている。


@ 漢訳仏典のもつ時代的古さの意義が再認識されていること
  • 原典といえる古層のサンスクリット語経典は量的にきわめて少ない
  • 漢訳仏典は大乗仏教の教理研究の主要資料として、サンスクリット語(の原典と写本)・チベット語訳経典とともに用いられるが、これら二種と比較してみてもかなり古い時代のものが残されていること

    (1) サンスクリット語経典(写本)
    初期大乗経典(例えば古期般若経典類など)はその起源を西暦一世紀頃にもつ(と考えられている)が、現在伝わるサンスクリット語のテキスト写本は、そのほとんどすべてが一〇世紀以降に書写されたものである

    (2) チベット語訳経典
    機械的・直訳的に翻訳されるため、部分的にサンスクリット語への還元が可能であるチベット語訳の経典類も、紀元八・九世紀以降に翻訳されたものである

    (3) 漢訳経典
    仏典の漢訳は紀元二世紀後半から始まり、宋・元時代まで続いた漢訳経典は、時として字句の異同があることを除けば、ほぼその時代のままの型で現在に伝わっている

    ■ 仏教特有の問題として、サンスクリット語もしくはチベット語訳の仏教経典が、時代を経るにつれ、インド・西域の諸地域を伝わるにつれ、改竄され続けたことが挙げられる。上記(1)サンスクリット語写本を(3)漢訳の「異訳経典」と対応してみると、大方、もっとも新しい時代に翻訳された内容と一致するということである。したがって、初期大乗仏教の教理研究のためには、上記(1)〜(3)の中で漢訳仏典のより古いものが不可欠な資料となる。この観点からの漢訳仏典の見直しは、仏教研究者(特にインド仏教の教理研究者)によってなされつつある(一九八八年当時)
A 日本の文化・宗教思想に対して「漢訳仏教(要約者による造語)」が持ってきた影響力の再認識
  • 日本の文化・宗教思想を育んできた諸要素の中で、仏教はおそらくもっとも大きな影響力を持ってきた
  • 日本仏教の背景には、常に漢訳仏典がある
  • 漢訳仏典は仏教思想以外にも、文学をはじめ、日本文化に広く深い影響を与え続けてきた
  • 日本語の語彙研究にも仏教用語(特に漢訳仏典の用語)は不可欠な資料である
B 中国仏教学の研究対象としての漢訳仏典の価値の再認識
  • 中国の思想・宗教・文学、中国仏教思想、そしてそれを絶対のものとした日本仏教思想などの形成・変遷に大きな影響力を持った
  • 中国仏教研究はインド仏教に従属した研究ではなく、インド仏教研究の補助手段でもない
  • 中国仏教研究はインド仏教研究とはまったく別の価値を有する
  • 中国仏教研究の基本的あり方は従来どおりでよいわけではない。今後の研究の理想的展開は次のようにあるべきである

    (1)中国学と中国仏教学の両サイドが近接し、中国思想・宗教と有機的に関連した新しい観点に立脚した仏教の研究がなされること

    (2)胡適『白話文学史』が指摘するように、形式・内容・発想など多方面にわたり中国の文学と深く関わっていることから、中国文学との関わりからの漢訳仏典の考究がなされること(例えばその白話体の採用、新しい語彙、譬喩の形式、特に空間的・時間的無限に関する発想など)

  • 漢訳仏典は、語法・語彙の面からも、中国古代音韻学の面からも、中国語学に対して貴重な資料を提供する

    (1)語法・語彙の面
    中国で口語の文体で書かれた文章が本格的にあらわれるのは唐末・宋代の禅の語録・敦煌変文からであるとされる。それ以前の口語資料はきわめて少ない(例えば『史書[の会話部分]』や『世説新語』など)。これに対して、漢訳仏典は訳出される段階からすでに当時の口語的表現を多く採用し、新しい造語もまたつくられた。これが後の語録類・敦煌変文、さらには現代語へと連なっていったと考えられ、そのための資料として貴重である

    (2)中国古代音韻学の面
    漢代より隋唐に至る時期、中国音韻学でいう中古期の漢字の音韻・発音を推定する資料はこの時期につくられた韻書(発音字典)『切韻』のみであるが、漢訳仏典中に大量に含まれる音写語は、その方面からも利用されるべき資料である(翻訳の時代と地域がはっきりしているものが多いこと、原典が伝わっていることもあることから、韻書以上の価値をもつこともあると思われる)