掲示板の歴史 その十
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NO.283  (無題)
□投稿者/ みならい
□投稿日/ 2004/10/10(Sun) 04:55:57
□IP/ 140.128.96.212

空殻さん、どうもありがとうございます。

岩波の『法華経』の件、お調べくださりありがとうございました。ただちょっと「従来の訓読は読誦のため音律に心を用いているので、口調は良いが、時に正確な意味を把握するに困難を感ぜしめるものがある」の部分なんですが、訓読を読誦することって、どういうことなんでしょうね?

創価大学の本は、諸事情で家族のものに送金してもらったりで、詳しい額を忘れてしまったんですが、1500円くらいじゃなかったかと思います。

>いや、やはり漢訳仏典を読む際に中国学的アプローチのみを用いると不都合が残るのではないかと思います。

ちょっと早急な結論を書いてしまいましたが、やっぱり読む目的によるでしょうね。わたしの場合は、漢訳の同時代の人がどのようにそれを読んでいたかを知るいうことに目的があるので、例えばある用語が出てきて、その用語の意味を考える時、原典のサンスクリットなりパーリなりから解釈を持ってくるより、同時代の外典での用法と照らし合わせてみる方が順当な手順ではないかと思うわけです。総合的に仏教を考えたりする場合は、やはり中国学的な読み方では、不都合が大きいでしょうね。

>漢訳というか厳密にいって仏教漢文の軽視ということなんでしょうか?でも、仏教漢文ができると職にありつけるということは、それなりの価値が見出されている、需要があるということではあるんですね。

仏教学全体の中で漢訳仏典が比重的に軽視されているんじゃないか、というつもりでした。

>そうなんですか。具体的にいうと、そのコンセプトはどのような意味で理解できないんですか?

どういう人を対象に書いているのか、どういう目的で書いているのかはっきりしないような気がします。従来の漢文の用語ではなく、中国語学の用語を使って説明しているものの、内容的に新しくないですし、歴史文法を標榜するわりには、前後の時代との差異、或いはその時代の特色などの指摘がほとんどなかったり、的確でなかったり、日本語で説明すれば一目瞭然なところに、北京語、上海語、英語、フランス語を持ってきたり・・・。また、非常に初歩的な部分に説明を加えているかと思えば、例文に訓読しか載せていないことなど(訓読は原文に返り点と送り仮名をつければ済むことなので、現代日本語で著者の理解を示して欲しいところ)です。


空殻さんの経験談ありがとうございました。英語を通して全体像から入ったと理解してもよろしいですか?

>ところで仏教概論系の書籍には、どれも大体似たようなことが書かれているように思いますが、本当に参考にならないんですか?

ただ単に、わたしの頭が悪い、或いは頭が固いだけかもしれません。大まかなところが飲み込めないのと、なかなか漢訳仏典を読む時に、直接その知識が役に立てられないというのが目下の悩みです。