掲示板の歴史 その十
▲[ 283 ] / 返信無し
NO.284  (無題)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/10/10(Sun) 07:13:23
□IP/ 65.168.28.130

こんにちは、みならいさん。
書き込みありがとうございます。

>訓読を読誦することって、どういうことなんでしょうね?

いわれてみれば変ですね(^_^;)
『法華経』を訓読で読誦する宗派なんてあるのかな?
ところで天台宗では晩課に「自我偈」を訓読で唱えているようです。
同様に、他の部分も読誦を前提に訓読がなされている場合があるのかも知れませんね。

>創価大学の本は、諸事情で家族のものに送金してもらったりで、詳しい額を忘れてしまったんですが、1500円くらいじゃなかったかと思います。

異様に安いですね。
私も買おう(^_^)

>>いや、やはり漢訳仏典を読む際に中国学的アプローチのみを用いると不都合が残るのではないかと思います。
>ちょっと早急な結論を書いてしまいましたが、やっぱり読む目的によるでしょうね。わたしの場合は、漢訳の同時代の人がどのようにそれを読んでいたかを知るいうことに目的があるので、例えばある用語が出てきて、その用語の意味を考える時、原典のサンスクリットなりパーリなりから解釈を持ってくるより、同時代の外典での用法と照らし合わせてみる方が順当な手順ではないかと思うわけです。総合的に仏教を考えたりする場合は、やはり中国学的な読み方では、不都合が大きいでしょうね。


まあ一人の人間にできることは限られてますからね。
何でもかんでもやってしまおうとすると、すべてが半端に終ってしまう。
たとえそれが短期的に見て片手落ちなものになったとしても、便宜上、仰るような制限を設けて読むのがよいのでしょう。

>>漢訳というか厳密にいって仏教漢文の軽視ということなんでしょうか?でも、仏教漢文ができると職にありつけるということは、それなりの価値が見出されている、需要があるということではあるんですね。
>仏教学全体の中で漢訳仏典が比重的に軽視されているんじゃないか、というつもりでした。


ああなるほど(苦笑)
軽視されているというのもあるかも知れませんが、教える能力のある教官がいない、不足している、ということもあるでしょう。
でなければ仏教漢語の教官を募集したりはしないはずなので。

>どういう人を対象に書いているのか、どういう目的で書いているのかはっきりしないような気がします。従来の漢文の用語ではなく、中国語学の用語を使って説明しているものの、内容的に新しくないですし、歴史文法を標榜するわりには、前後の時代との差異、或いはその時代の特色などの指摘がほとんどなかったり、的確でなかったり、日本語で説明すれば一目瞭然なところに、北京語、上海語、英語、フランス語を持ってきたり・・・。また、非常に初歩的な部分に説明を加えているかと思えば、例文に訓読しか載せていないことなど(訓読は原文に返り点と送り仮名をつければ済むことなので、現代日本語で著者の理解を示して欲しいところ)です。

ご説明、ありがとうございます。
できれば、少し具体例を挙げていただけると他の方の参考にもなると思います。

ところで、みならいさんがお勧めできる仏教漢文の入門書、文法書というのは、まだまったく見つかっていないんですよね?

>空殻さんの経験談ありがとうございました。英語を通して全体像から入ったと理解してもよろしいですか?

いえ、むしろ英語を通して、それまで自分なりに理解してきたことの再確認なり補強なりができた、ということです。
それで、これがまたなんだか新鮮だった。
仏教の勉強自体については、小学校から書いていた小説のネタとしての資料集めから始まり、中学あたりから資料を探索すること自体に快感を覚えるようになって、その延長線上に今の私がある、という面が大きいです(他の面ももちろんあるのですが、ややこしいので省略します)