掲示板の歴史 その十
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NO.282  (無題)
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/10/09(Sat) 17:26:08
□IP/ 4.27.3.43

>実費のみでした。が、自分の履歴などを伝えなければなりませんでした。

厳しいですね。
とても密教的な匂いがします。
よろしければ、おいくらだったのか教えていただけますか。

>前にも書いたんですが、現行の版にもかなりおかしなところはあります。初版は持っていないのですが、初版には夥しい間違いがあり、いろいろな人に指摘されて、かなり訂正されたそうです。時代的な限界と、訓読をした人の漢文の能力(もちろん仏教学者としては優秀な方だったんでしょうが)で、当時の水準からみても、文献の解釈という点では問題が大きかったんだと思います。ただ、訓読担当者が、たしか僧侶や仏教系大学の教員でないこと、当時、やっと仏教が信仰と離れて研究の対象になりはじめていたことや、岩波の『法華経』は同書のサンスクリットからの日本語訳と全く無関係に行われていることからも、前に書いたように思います。

なるほど、坂本幸男氏の(少なくとも当時における)仏教漢文読解には問題があるかも知れないというわけですね。
金岡氏は『仏教漢文の読み方』で日本の研究者による語彙・語法上の読み間違いの例を挙げていますが、同氏は「これは主として、従来の漢文訓読方法の、伝統的・固定観念にとらわれてしまったため、正統漢文とは異なる漢訳仏典を十分処理し切れなかったケースが多い」(同二四頁)と言っていて、もしかすると坂本氏もこのようなケースなのかも知れません。

ところで、「訓読を意味に即して行なった」ということの意図についてですが、同『法華経(下)』の「あとがき」には次のように書かれていたので引用します。
従来の訓読は読誦のため音律に心を用いているので、口調は良いが、時に正確な意味を把握するに困難を感ぜしめるものがある。そこで、今、国訳に際しては、音律に捉われないで、黙読しても直ちに理解出来るように努めた。(同四八〇頁)
これを読む限りだと、このことについてはあまり深く考えなくてもいいようです。

>ただ、古代の中国人がどのように仏教を受容したかということ(ここでは漢訳したか、と言い換えてもいいですが)は、現代の我々が漢訳仏典を批判的(ここでは特に語学的に正確に読むこと)に読むということ、また音訳語に意味を持たせてしまったこと、これら3つは別の問題で、漢訳の態度や、歴史上の音訳語の誤解は、仏教史の中での位置づけとしては重要なんでしょうけど、現代の我々が漢訳仏典を読む時は、除外してもいいものではないかと思います。音訳語が音訳語であることを見分けるには、サンスクリットやパーリの知識も必要になってくるんでしょうが。

いや、やはり漢訳仏典を読む際に中国学的アプローチのみを用いると不都合が残るのではないかと思います。

>仏教漢文をキーワードに検索してみたんですが、いろいろ面白い記述がありました(仏教学博士課程の学生が指導教授に就職の相談にいったところ、仏教漢文が教えられるなら、職があると言われたが、仏教漢文なんて、学部以来やっていない・・・とか)。漢訳の軽視は今でも続いているようですね。

そうなんですか(^_^;)
漢訳というか厳密にいって仏教漢文の軽視ということなんでしょうか?
でも、仏教漢文ができると職にありつけるということは、それなりの価値が見出されている、需要があるということではあるんですね。

>ぱらぱらめくって見たんですが、中国語ができても、何だかよく分かりません。漢訳仏典の例文になれていないので、非常に骨が折れます・・・。

すごい勤勉ですね。
私なんかは日本語の本を読むので精一杯ですよ。
恒常的な積読状態なので、自分自身に新たな負担をかけたくないし、仕事も忙しいし・・・・・・
なんて言い訳もしてしまいますが(^_^;)
人間の寿命ってのは、どう考えても短かすぎる。
少なくとも二百年は時間が欲しいところです。

>著者の方は最近、又新著を出されたそうですが。これも正直なところ『仏教漢文入門』の目的というかコンセプトが、ちょっとわたしには理解できません、いろいろな意味で。

そうなんですか。
具体的にいうと、そのコンセプトはどのような意味で理解できないんですか?

>皆さんはどうやって仏教の基礎的なところを身につけられたのでしょうか。空殻さんを始め、皆さんとても深く体系的な認識をお持ちでのようで、本当に驚いています。ほんの少し、本も読んで見たんですが、あまりにもいろいろで、どこからどう取っ掛かりをつけていいのか、全く分かりません。もちろん歴史的、地域的にいろいろに変化発展しているんでしょうが、あまりに多様すぎて、自分なりの理解というものも全くできずにいます。ここでどうやって仏教について勉強されたか、お伺いしてもよろしいでしょうか?

私の話をしてしまいますと、子供のときに小説のネタとして資料を齧ってて嵌りました。大学では仏教のクラスというのが一般教育であったのでひと学期間取りました。これが非常にいい勉強、というか参考になりました。漢字で勉強すると、漢字自体の多様性に加え、日本語が既に大きく変遷してしまっていることから、いちいち立ち止まって厳密なところを追求しなければ曖昧さが後々残ってしまうということが多いのですが、英語だと言葉に多様性が少なくて割とスッと入ってくる。
当時使った教科書を紹介させていただきますね。

『The Experience of Buddhism』(John S. Strong, Wadsworth)
『The Buddhist Religion』(Robinson Johnson, Wadsworth)

ところで仏教概論系の書籍には、どれも大体似たようなことが書かれているように思いますが、本当に参考にならないんですか?