掲示板の歴史 その十
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NO.279  (無題)
□投稿者/ みならい
□投稿日/ 2004/10/05(Tue) 20:56:17
□IP/ 140.128.99.179

>ところで、みならいさんは拙宅を800 x 600でご覧になられているようですが、モニタの解像度はなるべくならば少なくとも1024 x 768(32bit)に設定変更してご覧いただくことをオススメします。(万が一、変更の仕方が分からなくてどうしようもない場合はメールをください。お手伝いしますよ)

コンピュータの知識まったくなしです。とほほ。よろしくご教示のほどお願いします。後日メールさせていただきます。

>なるほど、岩波文庫の『法華経』ですか。それでは、羅什訳『妙法蓮華経』で旧訳(くやく)ですね。旧訳ということでは他の二種も同じではありますが。(否、竺法護訳『正法華経』は古訳と見做すべきですかな)

資料を集めていて、創価大学で出版している『妙法蓮華経』と『正法華経』の辞典を手に入れました。なんか、すごい力作という感じです。ところで竺法護訳『正法華経』には訓読、現代語訳など出ているのでしょうか?

>『法華経』の「凡例」で、訳者は「読み下しに際しては、必ずしも従来の慣例に従わず、その意味によって読んだ」と書いているので、訓読はところどころ正確ではないと考えたほうがよいですね。

たぶん、その凡例の言葉は、「伝統的に間違ったまま固定されてしまっている訓には従わないで、文法的に正しく読んだ」という意味で、それぞれの宗門を牽制しているのではないかと思います。

>また、これは『仏教漢文の読み方』(春秋選書)で金岡照光氏が指摘されていることですが、仏教漢文は中国的な解釈を通すことによって長期に渡って誤読されてきたし、学者もまた間違った読み方をしていることが多く、そういった諸々の事情によって作り上げられた伝統的な誤読の習慣が根強く残っていることなどから、仏教漢文の語学的研究は遅れているのだ、ということです。

金岡氏は中国学出身の人で、実はわたしもちょっと存じていたのですが、たぶん同氏の仰ることは、仏教学の人は漢文の鍛錬が十分ではなく、中国学の人は中国語で書いてあるにも関わらず、自己の研究の範囲と認めなかったので、仏典の正確な理解、語学的な研究が立ち遅れた、ということなのではないかと思います。ところで、目録などで見て関係の本を注文しておいたのですが(ここで最初に書き込ませていただのも資料集めの目的だったんですが)、主に中国の本で何冊か送られてきました。ここを訪れる方の参考になるかもしれないので、手元にある分、書き込んでおきます。

『仏教与漢語語彙』梁暁虹、仏光文化事業有限公司
『仏教文献語言』兪理明、巴蜀書社
『初唐仏典詞彙研究』王紹峰、安徽教育出版

参考文献など見ると、他にもたくさんありそうです。

>新訳と旧訳の違いについては増谷文雄氏の『経典にみる文学形式』(角川書店)にも詳しいのですが、文法的には基本的に同じなのだと思ってました。そこのところ、どうなんでしょう?『仏教漢文入門』などには「新訳・禅籍についてはいずれ筆を改めたい」と書かれていますし、やはり異なるところが大きいのかも知れませんね。

『経典にみる文学形式』、存じませんでした。面白そうですね。

古訳、旧訳は中国語(漢語)の歴史でいうと、ほぼ中古漢語(後漢から六朝)という時期に属し、唐代あたりから、近代漢語という時期に入るのですが(中古と近代の間の時期には諸説あります)、唐宋の禅語録と新訳仏典を比べてみても違いは歴然なように、新訳は必ずしも当時の話し言葉を反映しているものではなく、古訳、旧訳で習慣的に固定した表現を使っているようなので、基本的に大差ないと考えていいと思います。虚詞(助詞)の使い方に、若干の違いがあるのかもしれません。

ところで、仏典をぼちぼち読んでいるんですが、思想的なものとなると、やっぱりまったくお手上げです(ちょっと読んでみたのは『金剛般若経』)。仏教用語を漢訳仏典の用語を使って分かりやすく、仏教全体、或いはその経典の思想全体を紹介しているような本ってないでしょうか?やや一般向けのものだと、著者個人の経験談だったり、宗門の独特な解釈だったり、また専門よりだと梵語に結び付けて解釈してあったりで、漢文を原典として読む場合、どちらもなかなかとっつきにくいのです。なにかお心当たりの書があれば、ご紹介ください。