掲示板の歴史 その十
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NO.278  新訳と旧訳
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/09/26(Sun) 18:46:52


こんばんは、みならいさん。
拙宅への再度のご訪問、ありがとうございます。
ところで、みならいさんは拙宅を800 x 600でご覧になられているようですが、モニタの解像度はなるべくならば少なくとも1024 x 768(32bit)に設定変更してご覧いただくことをオススメします。(万が一、変更の仕方が分からなくてどうしようもない場合はメールをください。お手伝いしますよ)

>>時代が違いますからね。漢訳本はどちらのを読まれているのですか?
>漢訳本というか、訓読については、確実に覚えているのは岩波文庫の『法華経』だけで。ほかはどこのものか忘れてしまいました。今手元にないので。


なるほど、岩波文庫の『法華経』ですか。
それでは、羅什訳『妙法蓮華経』で旧訳(くやく)ですね。
旧訳ということでは他の二種も同じではありますが。
(否、竺法護訳『正法華経』は古訳と見做すべきですかな)

>何度か改訂されているようなのですが、現版も???の部分は結構あります。最初はもしかしてサンスクリットの関係で、無理矢理そうよんでいるのかとも思ってもいたのですが、やはり中国語として見た場合、主語、述語動詞、目的語ですらちゃんと把握していないところもあるのではないかと思います。

『法華経』の「凡例」で、訳者は「読み下しに際しては、必ずしも従来の慣例に従わず、その意味によって読んだ」と書いているので、訓読はところどころ正確ではないと考えたほうがよいですね。
また、これは『仏教漢文の読み方』(春秋選書)で金岡照光氏が指摘されていることですが、仏教漢文は中国的な解釈を通すことによって長期に渡って誤読されてきたし、学者もまた間違った読み方をしていることが多く、そういった諸々の事情によって作り上げられた伝統的な誤読の習慣が根強く残っていることなどから、仏教漢文の語学的研究は遅れているのだ、ということです。

>>まあ、英語なんかで勉強したら逆に遠回りになるような気もするので、私などは敬遠してしまいますねえ。
>わたしもそう思っているんですが(私は単に英語が苦手なだけですが)、日本の研究では、現代の漢字の意味で理解してしまう傾向があるように思います。それは中国、韓国あたりでも同じかもしれません。が、漢字(或いは単語)の意味は時代によって変化しているのですから、もうちょっと時代時代で帰納的に読めたらいいかなと思いまして。


なるほど、それは確かに仰るとおりです。
顧みるに、大学在学中に仏教のクラスを取った際、もしかすると仏教は、日本語で学ぶよりも英語の方が表現に多様性が少なく、ストレートで分かり易いのではないか、などと思ったことがあるのを思い出しました。(だからこそ生じる誤解というのもあるとは思いますが)
英語による漢文の参考書、機会があれば調べてみたいと思います。

>ご紹介の『仏教漢文入門』にも時代的な差異については言及されていたと思います。同書でちゃんとそれが反映しているかは別ですが。(偶然ですが、上記書、偶々持っています)

そうなんですか、既に持ってらっしゃったんですね(^_^;)
著者は同著で紹介している文法を旧訳であるとしているのですが、私は新訳の教科書を持っていないので比べたことがありません。
新訳と旧訳の違いについては増谷文雄氏の『経典にみる文学形式』(角川書店)にも詳しいのですが、文法的には基本的に同じなのだと思ってました。
そこのところ、どうなんでしょう?
『仏教漢文入門』などには「新訳・禅籍についてはいずれ筆を改めたい」と書かれていますし、やはり異なるところが大きいのかも知れませんね。