掲示板の歴史 その八
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NO.248  『秘蔵記』の「著者問題」
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/07/02(Fri) 14:29:05


『秘蔵記』には略本と広本とがある。
略本は元々『秘密記』とも呼ばれていたらしく、安然の『八家秘録』には「秘密記一巻 海和上集」と記されている。また、広本の古写本の末尾には「大唐青龍東塔院承襲伝五部金剛界持念沙門文秘奉上日本伝燈大徳阿闍梨共為受持 開成四年正月二十日寄上」と書かれており、これに見られる「大徳阿闍梨」が霊厳寺出身の入唐僧円行を示すことから、少なくとも末尾の部分は唐の開成四年(日本の承和六年、八三九)に文秘が円行に伝え、増補されたのではないかと推察される。(加藤精神著作集密教学編『仏書解説大辞典』「秘蔵記の著者に就て」参照)

記事「No.246」において、私は本書の作者があたかも空海であるかのように書いたが、実はこの書の著者が誰であったかには古来異説がある。
今の今まで誰も指摘しないということは、あまり知られていないということか、記事自体が読まれていないということなのか・・・ おそらく後者なのだろうけど(^_^;)
参考になると思うので以下にそれらを列挙する。
  • 「不空口説・恵果筆録」説
    根拠は、施餓鬼法の中の五仏問答の一段が慈覚大師円仁請来『施餓鬼儀軌』で不空三蔵の説としている奥書と完全に一致することである。台密の学者の多くはこの説を採用するが、東密の学者である深賢や杲宝などはこれを批判している。

  • 「恵果口説・空海筆録」説
    空海の『護摩口訣』に施餓鬼法の五仏問答があってこれが本書の文と一致し、前者ではこれを阿闍梨の口訣自記によると記している。空海の阿闍梨といえば当然恵果和尚のことであるから、『秘蔵記』の口説は恵果で筆者は空海であるとする。深賢、杲宝、宥快、曇寂といった東密の学者の多くはこの説を採用する。

  • 「文秘著作」説
    大村西崖氏による説(『密教発達志』七九六頁)で、略本・広本共に唐の文秘の作であり、円行が日本にもたらしたとする説。

  • 「略本=空海(或は杲隣)口説・円行筆録」「広本=文秘著作・増補」説
    文字通りの内容。加藤精神博士の説。(同記事冒頭部分、及び『仏書解説大辞典』「秘蔵記の著者に就て」参照)

  • 「空海口説・後世の増広説(九八七年以後『摂無礙経』引用文増広説)」
    向井隆健氏の新説で、本書に『摂無礙経』から八箇所も引用がなされていること、同経典が空海の『御請来目録』やその他の入唐僧たちの請来目録にも記載がないこと、そして興然の『五十巻鈔』にいたって初めて「摂無礙経云/新渡「然」という記述が見られるということから、入宋した「然が帰国した九八七年を上限として、同経典の引用文が『秘蔵記』に抄入されたのはそれ以後であると推定している。同記事冒頭で述べた安然の『八家秘録』の記述を認めるならば、すくなくとも原型は空海の作であると考えられるが、後年増広が進んで少なくとも『摂無礙経』が鈔入されたのは九八七年以後であるということになる。(『「秘蔵記」成立考』密教学研究第十五号)
『大乗経典<中国・日本篇>(第八)中国密教』の月報で、松長有慶氏は『大日経』と『金剛頂経』の発達に関する近年の学匠たちによる研究成果や、『大日経』が密教経典として非常に未整理であり未熟であることなどをかいつまんで述べた上で、「日本密教の両部の思想をインド密教に投影して、両経を理と智、女性と男性、大宇宙と小宇宙などといった対立関係に把える方法はかなり危険(取意)」であると主張し、またこのような「両界思想」は空海によって打ち立てられたのではなく、真言宗の中で自然に起こったものであると推察する。
以下は参照内容の引用である。

たしかに空海は、従来、仏教でいわれる能と所の関係を、智と理という新しい術語に置き変え、理智の不二を説く。しかし、空海以降の作との見解の強い『秘蔵記』以外には、理と智を、金胎両部に配する説を見出すことが出来ない。おそらく空海以後、日本の真言密教の中で、理智が両部曼荼羅と結びつけられ、真言宗学の伝統説となったものと思われる。
また同氏は、金胎両部及び『金剛頂経』『大日経』の両経を男女に配する説の初見が、空海撰とされているが実は鎌倉中期から末期にかけての偽作であったとされる『天気麗気記』であると指摘し、また両部・両経を果と因、小宇宙と大宇宙などに対比する説もまた根拠がないと述べている。(同氏は、こういった伝統説・俗説が一般の人のみにとどまらず、学者の間でも通説化してしまっていることを嘆いている)
どうあれ、この両界思想、すなわち「理智を両部に配する説」が、真言宗において空海記と伝えられてきた『秘蔵記』にしか見られないというのは興味深いことである。