掲示板の歴史 その八
▲[ 177 ] / ▼[ 205 ]
NO.178  「言亡慮絶」の定義 □投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/02/02(Mon) 13:55:51
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/intro/hitokoto.html


以下は「言亡慮絶」に関する引用記事です。
下線、[ ]括弧内記述、色付け、行の変換は空殻によるものです。

小学館『仏教語大辞典』
言亡(忘)慮絶
言葉も思慮も及ばないこと。言葉で言い表そうとしてもふさわしい言葉はなく、思慮分別しようとしてもその道はないこと。(用例『三論大義鈔』)
言絶(=言亡慮絶)
言葉では表現できないこと。ことばで表現する道のたえていること。(用例『禅宗綱目/第一』)
言詮中道
言葉をもって言い表した中道。中道の道理は本来、言葉を超えているが、それを表すには言葉によるほかないことをいう。(用例『大乗伝通要録』)
言断心滅
言葉で言い表すことも、心で思慮することも不可能なこと。言葉や思考を超絶していること。(用例『顕密二教論/上』参照)
言外(ごんげ)
言葉で直接、表されていないもの。言葉で言うことができることの外にあるもの。(用例『大乗伝通要録/上・一ノ一』)
真語
絶対真実のことば
用例『塵添ガイ(土+蓋)嚢鈔/二〇・一』「自性法身の真語なれば、不立文字の遮情の談に非ず」
遮情の法門
迷情を払いのけることによって、消極的に真実に導きいれようとする教え。(用例『夢中問答/中・五八』)
遮詮の法門
否定によって消極的に真実を示そうとする教え。(用例『雑談集/一・一三』)
法蔵館『仏教学辞典』
言亡慮絶
絶対のさとりの世界を表現するのに用いる言葉で、言語によっていい表すことも思慮によっておもいはかることもできないという意味。意路不到、心言路絶、絶言絶思、名言道断(みょうごんどうだん)、言語道断心行処滅などというのは、みなこれと同じ意味を表した言葉である。
岩波全書『中国思想史』
・・・所謂三諦とは空仮中の三で、この三が融鎔して一であることを説くのが三諦円融の説である。もし吾人の常識から見ると万象は実在するもの即ち有と考えられるが、これは凡て人間の心に映じた影で実在のものではない、即ち仮である。尤も万象は全然実在しない訳ではないが、それは人間の認識を超越した実在で言葉で説明の出来ない、それが人間の認識を超越し言葉で説明できないもの即ち言亡慮絶の実在であるから空という。この空の一字を力説したのが般若であって、三論宗は之を詳説したのであるが、天台宗では更に一歩をすすめて、然し所謂空もこの仮有の万象を離れて存在するものでなくして仮は空によって存するもの、即ち仮有の万象は言亡慮絶の空の作用波瀾に過ぎないのであるから仮は即ち空であって、空も仮も畢竟真の実在の一面を表したにすぎない、そこで真の実在は仮空を一にして中でなければならぬ、即ち仮空中の三諦は結局一なものであるというのは三諦円融の思想である。であるから天台は三論が消極的に仮有の現象を否定して真の実在は人間の認識を超越したもの即ち空であると説いたのを止揚して、仮有の現象がやがて超認識的の実在空の作用であるから真の実在は空仮を相即した中であると唱道したものである。
(二〇四〜二〇五頁)