掲示板の歴史 その六
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NO.216  共時性
□投稿者/ 大閑道人
□投稿日/ 2004/04/13(Tue) 22:34:45


結局、ユング心理学で、一番の収穫だったのは「共時性」。

私の体験があって、それと前後した時代に、ユング「心理学と錬金術」それに中央公論社・大乗仏典「如来蔵経」があいついで出版された。
まるで、私に「読め!」といわんばかりに・・・

こんなこと、第三者にどうやって納得させるネン!
胡散臭い話でしかないし、まるで作り話だ。

それは、結果が分かって読む推理小説みたいなもんだからだが、現実は、次々と新しい局面が、あるストーリーの則って展開していくのだから、その主人公である私は、ただひたすら、共時性というアンテナ=レーダーで次の展開を探るしかないのだ。




実例、といったところで、何が実例だ!と反問されそうだが・・・・・

私の妻は、高校の同級生。そして、妻は、高校1年のときから毎日欠かさず日記をつけている。
結婚するまで、8年と一ヶ月かかった。
中学校は別々だったから高校1年のときから、接触が始まった。

高校1年のときの妻の日記を読むと、私は10月頃に二回登場している。彼女にとっては、うっとーしい存在だった(と書いてある)。
2年になって、生徒会で仕事をし始めた。
最初は、避けた態度をとっているし、私に関する記述は、好意的ではない。
ところが、・・・・
高校2年の十月から交際を始めたのだ!
それ以後、彼女の日記には、私以外の男性は登場しない。

結婚した、という結果を予め知って読めば、なるべくしてなったような展開だが、同時進行では、「何で??」と、当事者同士が思っていたものだ。
私自身も、日記をつけていたから、二人の日記をつき合わせて読めば、
「へぇ〜、そうだったの!」とギクシャク・行き違い、そして、到達すべき点へと収束していることがわかるのだが、でも、それも結果を予め知って、過去の記録を読むから、そう見えるだけ。


予め結果を知って、あの時、どうだった、こうだった、という体験談は、まるで創作話のようにしか聞こえないのだ。

同時進行のように語っても、いや、そのように語れば語るほど、創作話としてしか聞こえない。

むしろ、創作話として語るほうが、よりリアルに聞こえるのかもしれない。


・・・というわけで、気が向いたら、(違うな、これは)・・・
気が向いたときに、気が向いたように、ボチボチと、ここに書き込んでみましょうか。

(私自身の「自分史」のつもりで・・・)ということを許して頂かない限りは、
>具体的にどのような体験が、仏教学やユングの本によってどのように解釈され得たのか、大閑道人さんの口からお聞かせいただけませんか。
ということも難しいと思います。

「気が向けば」ということは、「気」が主体であって、私は、その道具に過ぎないのだから。