掲示板の歴史 その六
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NO.149  禅という大乗仏教
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/23(Fri) 01:58:58


>マニュアルなしに機械の操作をするのは無謀ですが、いつまでもマニュアルに従っていては、自分のものにならない。やがては、その人なりの裏技を発見する。

それは「不立文字」ではないでしょう。
「文字の習得とそこからの独立」ではなく、「文字の不立」ですから。
さっぱりしてます。

祖師禅、祖師でない人たちの禅、道元の禅、現在の日本曹洞宗の禅。
これらはそれぞれ背景が違いますね。
禅宗はそもそも大乗仏教だから、あらゆる人に実践可能な禅であるべきだ。
そうあろうとした結果、「文字に対する免疫」として「不立文字」が掲げられた。
これを純粋で理想的な禅風「祖師禅」のスローガンにした。
それでも、個的禅から集団的禅へと変遷する際にはやはり、文字に頼り捉われざるを得ない現実があらわれてきたりする。
記事No.131]参照
時代的もしくは人物的背景などの要素の無視や混同は混乱に繋がりますから、注意が必要ですね。

>例の典座だって、道元禅師の知識に対抗できるだけの知識を持っていて

私が知る限りだと『典座教訓』にそのような記述は見られません。
情報源はどこですか?