掲示板の歴史 その五
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NO.55  マニ輪
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/11/16(Sun) 15:25:58
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


いわしさん、はじめまして。

残念なことに、マニ輪の起源や廻すことになった理由を説明している資料は、私の手元にもありません。光文社からでている小林繁樹著『世界一周・道具パズル』という雑学の本には次のような記述がありまして、もうご存知のようで参考になるかどうか疑わしいのですが、取り合えず引いておきます。
【チベット仏教の経筒(マニ輪)】 チベット仏教徒(ラマ教徒)が使用する仏具で、チベット語でマニラコーという。木や竹製の柄に、銀とか銅などの金属製の円筒をとりつけたもので、これがクルクルと回転するようになっており、筒の中には、お経を書いた紙、つまり経文がはいっている。ふつう、円筒には、装飾がほどこされており、柄にも、口金とか全面に飾り金具がつけられていることが多い。さらに、円筒には回転しやすいように分銅がついている。
このマニ輪を、筒の上から見て右まわり、つまり時計の針が動く方向にまわすと、中の経文を一回読んだぶんの功徳が積まれるとされている。マニ輪は、基本的には、文字が読めない、つまりお経が読めない庶民でも、功徳を積むことができるための工夫なのである。
このほか、金属の器の上に、針金で紙のマニ輪を吊るし、火であたたまった気流でマニ輪がまわるものとか、寺院などには、直径二メートルあまりの大きなマニ輪(マニコルロ)もある。
また、以下URLにチベット仏教と民衆の信仰の在り方に関する、山口瑞鳳という人が書いた記事があり、そこから若干の引用をします。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/rama.html
チベット仏教はインド仏教以来の救う者としての教団仏教の伝統を保ち続け,高踏的な立場に立った。他方,民衆の方は加護を求めるのみの存在として高級な教理とはまったく無縁のままに,トゥルナンの釈梼牟尼仏などの仏像や著名な転生活仏に信仰を寄せ,マニ輪を回して仏を念じ,貧困の中から布施に励み,もっぱら教団社会を支える存在として俗信の中に生きた。そのような無知と表裏一体の信仰の上に転生活仏などの特異な社会ができあがったのでもあった。
チベット仏教、マニ輪に関してお詳しい方は、ぜひ情報をご提供ください。