掲示板の歴史 その三
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NO.106  『創世記』の資料問題
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/11(Sun) 10:47:46
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


今月一杯、ロスの紀伊国屋が閉店セールをしてまして、今日行ってまいりました。
後半辺りからは半額になるけど今日はまだ一割引で、まだあまり安くないのですが数冊購入しました。
その際、何気なく岩波文庫刊・関根正雄訳『創世記』(二〇〇三年改訂)をめくっていたら、訳者解説に面白い記事を見つけたので、ついそれも購入しました(^^)
とてもよい参考になると思うので、以下に引用します。
二 資料の問題

過去二百年にわたる学者の努力によってモーセ五書ないし六書の成立の事情は今日大体通説と称し得るものに従い次のごとくに見得るに至った。それは五書ないし六書には三つ程の主な話の流れがあり、それらが一緒になって現在の形を形成して居り、その成立過程は五百年以上の年月を要していると見られるのである。創世記の始めに例をとれば一、二章に天地・人間の創造の話が二つあり、一章一節から二章四節前半までに七日間の整然たる区分を有する堂々たる第一の創造記があり、それに引き続いて二章終りまでに第一のそれに比してはるかに素朴な第二の創造記がある。第一の創造記では創造者はただ「神」と呼ばれ、第二のそれにおいては「ヤハウェ神」と称せられる。結論的に言えば第一の創造記はおよそ紀元前五世紀頃祭司階級の間で書き記されたものであり、第二の創造記はそれより約五百年も古い時代に記されたものであろうと思われる。前者を「祭司資料」、後者を神ヤハウェを当初から用いるので「ヤハウェ資料」と呼ぶ。「資料」というのはここではQuelle, Sourceの訳であるが、これらの資料は単に創世の記事を記しているのみでなく、それに続いて先に述べた六書の主たる内容、族長、そのエジプト下り、エジプト脱出、カナン侵入という話の筋をずっと一貫して追っているのである。この二つの資料の他にヤハウェ資料より、二世紀ほど新しいもので「エロヒム資料」と称するものがある。これは創世記の十五章、すなわちアブラハムの叙述から始めて関与し、ヨシュア記に至る第三の資料である。エロヒム資料という名称はこの資料は祭司資料と同じくモーセ前の時代に神名ヤハウェを用いず、普通名詞の「神」(ヘブライ語で「エローヒーム」)をやや固有名詞的に用いているところから来る。近年ヤハウェ資料に対してエロヒム資料の独自性を疑う学者もあるが、矢張りエロヒム資料の資料としての存在を認めることが妥当であると考えられる。以上三つの資料はモーセ六書の話の筋をそれぞれ追うものであるが、その他に主として申命記にまとまって出て来る第四のものを上げることも出来る。しかしこれは他の三つのものと違い、物語記者ではなく申命記の律法とその観点からする「説教」に終始している。厳密にいえば、申命記の「説教」の部分は申命記的歴史家と学問上呼ばれる史家の筆になると見るべきで、この史家はヨシュア記から列王記[紀?]にいたる長い歴史書の著者と見るべきである。しかしこの問題には創世記を中心とするこの解説ではこれ以上立ち入る必要はないであろう。

以上三つないし四つの資料からモーセ六書の成立を跡づける見方はことにウェルハウゼンの「イスラエル史序説」(一八八三年)によって確定的となり、今日に至ってなお学界の通説と言い得る。ただ最近の大きな問題はすでに触れたごとくエロヒム資料の問題をめぐっている。われわれがなおこの資料をヤハウェ資料の他に独立のものとして認める理由は、例えば創世記一二章一〇節以下の話(これはヤハウェ資料とされる)に対して二〇章に同じモチーフの話が違った意味内容をもって二重に出て来るごとき現象は別の資料を想定してのみ考え得ることだからである。最近エロヒム資料の独自性を否定するルードルフのごとき人は、ヤハウェ資料のみを元来の一貫した話の流れと見、いわゆるエロヒム資料とされてきたものはヤハウェ資料への二次的な附け加えであるというのであるが、一二章に対する二〇章をそのように解することは出来ない。しかしルードルフの言うところにも真理があるのであって、ヤハウェ資料とエロヒム資料が合わせられた時に編纂者はただ両者を機械的に一緒にしたのでなく、ヤハウェ資料を根幹としてエロヒム資料をこれに加えたと見るべきである。それゆえわれわれは創世記一五章以下におけるエロヒム資料の関与を従来為された範囲よりもずっと少ないものと認めねばならぬであろう。それゆえわれわれが「註釈」の部分で行なった両資料の区分は結果としてはルードルフの説に近づくことを注意したいと思う。すべての箇所に両資料の関与を均等に認めねばならぬとする従来の前提にわれわれは疑問を持つのである。

右[上]の両資料と祭司資料とを一緒にした編纂者は如何なる方針に基いてこれを為したであろうか。この点についてはわれわれは最近のノートの説に従い、編纂者は祭司資料を根幹とし、それに先の両資料を合したもの(これをウェルハウゼン以来イェホヴィストと呼ぶ)を加えたと見たい。ただ創世記においては祭司資料は、自分自身の持ち合わせの材料が少なかったため、ことに族長の叙述において余り度々出てこない、これは出エジプト記以後においては事情が異なるが、これらのことの詳述はここでは略さなければならない。

ヤハウェ資料においてはユダ族の祖ユダが大きな役割を演じ、また南方ユダ地方の聖所を中心とした伝説を多く保存している等の理由からこの資料は南方ユダにおいて成立したものと見るべく、エロヒム資料は北方イスラエル(イスラエルという名称はあるいは民族全体を指し、あるいは北方諸族、後に王国時代には北王国を指す)の諸聖所を多く叙述しているので北イスラエルにおいて成立したものと考えられる。また祭司資料は長く祭司階級の間で伝えられて来たものであるが、最後的な形をとったのは紀元前五世紀頃捕囚の地メソポタミヤにおいてであったと思われる。これら三つの資料はそれぞれ特定のサークルにおいて長く伝えられて来たものと思われるが、これに最後的な形を与えたのは特定の偉大なる個人であったであろう。ノートは祭司資料についてすらそう主張している。 [二五三〜二五七頁]



以下は、各資料の特徴などを、同訳著者の解説と註釈に従って、私がとりあえず纏めてみたものです。

 @ ヤハウェ資料
● 南方ユダにおいて成立(推定紀元前十世紀頃)
● 叙述の明晰さと単純さの結合
● 神の視点からのみ人間を見ている
 → 創世記十五章『契約の締結と約束』/神とアブラムの間の契約を記す(エロヒム資料は神のアブラムへの約束のみ)
  *ヤハウェ資料の問題点
● この資料は統一的なものとして見るべきではない
● 「天使の結婚」(六章一〜四節)と 「ノアの言葉」(九章二五〜二七節)は地中海世界との関連を示し、「バベルの塔」(一一章一〜九節)はメソポタミヤとの関連を示す。これらの材料はヤハウェ資料の著者が採用した古い素材であって、独立の資料の一部と解さない方がよい
 A エロヒム資料
● 北イスラエルにおいて成立(推定紀元前八世紀頃)
● 祭司資料と同じくモーセ前の時代に神名ヤハウェを用いず、普通名詞の「神」(ヘブライ語で「エローヒーム」)をやや固有名詞的に用いる
● 人間側の視点をもそれ自身として問題にする
 → 創世記十五章『契約の締結と約束』/神のアブラムへの約束を記す(ヤハウェ資料は神とアブラムの間の契約のみ)
● 「信ずる」という言葉はこの資料にて初めて登場する(創世記一五章六節)
 → 人間は信仰をもって始めて神の前に立つとする
 → そのような人間の神の前におけるギリギリの在り方を同資料は一五章六節で「義」と呼ぶ
 → 「苦悩と戦い」の末に獲得する「信仰」と「義」の精神の物語(例/アブラハムとイサク)は同資料特有
● 夢・幻・天使に興味を持つ
 → 夜の夢での神の託宣(創世記十五章や二〇章三節など)
● 対異教の問題に興味を持つ
 → 創世記三十五章 『べテル』一〜五節
 B 祭司資料
● 名の通り、祭司階級によって成立(紀元前五世紀頃)
● 長期にわたって祭司階級の間で伝承・保存される
● 紀元前五世紀頃捕囚の地メソポタミヤにて最後的な形となる
● ヤハウェ資料とはまた別の意味で神を一切とする
● アダム、ノア、アブラハムと神との契約から歴史を見る
 → これらはモーセを通じての律法の啓示に至って具体化
 → 族長時代は「約束の時代」