掲示板の歴史 その三
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NO.111  二神格の起源
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/13(Tue) 21:09:31
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


ヤハウェとエロヒムの起源とその性格の相違点について分かりやすい説明が見つかったのでご紹介します。
『魔女とキリスト教・ヨーロッパ学再考』(講談社学術文庫、一九九八年)から採取した情報で、著者の上山安敏(当時京都大名誉教授)は『創世記』の資料を三つに分けて説明せず、ヤハウェ資料と祭司資料のみに分けて考えてます。どうやら『創世記』冒頭部分のみの問題なのでエロヒム資料に触れる必要がなかったからなのだろうと推察するのですが、祭司資料における「エロヒム」にしか言及していないため、エロヒム資料を同一のものであると扱っているようにも見えます。

以下は三六一頁から三六三頁にかけて祭司資料とヤハウェ資料とにおけるアダムとイブの扱いの矛盾についての記事引用です。
『創世記』の男女創造神話
周知のように『創世記』冒頭は、祭司資料(一・一から二・三まで)とヤハウェ資料(二・四から二二まで)の二つの部分から成っている。ここで、祭司資料が男女は同時に創造され平等であるというのに対して、ヤハウェ資料では女は男の肋骨から生まれたという違いが、フェミニズムの観点から見て、重要な問題になるのである。
(中略)
祭司資料とヤハウェ資料の間になぜこんなに激しい断層があるのかという疑問は、いろいろに解釈されている。両者は起源と神の名称が異なっている。祭司資料ではこの神話はエロヒム(Elohim)と称され、バビロン捕囚からイスラエル帰還の後につくられた。従ってバビロニア神話の影響があるこれに対してヤハウェ資料では起源はユダヤ神話であり、バビロン捕囚以前の時代につくられている。従ってヤハウェ資料の方が古いのである。ヤハウェ資料では神は「ヤハウェ」(Jhwh)と称された。しかし祭司資料の編集者は神の名を「ヤハウェ・エロヒム」(「主なる神」)と変えている。ヤハウェとはEhje ascher ehje(わたしはあるという者である)の略語である(55:198)。ヤハウェは超越神であって、四文字の和音である
ここで祭司資料とヤハウェ資料との間に神話の起源の違いがはっきりする。アッシリア、バビロニア、ヒッタイト、ウガリトの神話は同系列であり、母性宗教優位が残っている。そこでは男と女は同時に創られ、平等であった。さらに太母神の圏内にあるバビロニア=アッシリアでは、原初の人を両性具有と考えていた。祭司資料はこうした神話圏に属していた。これに対してヤハウェ資料はイスラエルのカナンの地に由来すると考えられるのである。
以上の記事を鵜呑みにするならば、「ヤハウェ資料」と「祭司資料」はそれぞれ「父性/禁欲と憤怒」と「母性/豊饒と喜び」というまったく正反対の価値観の元に作られたということになります。そして、おそらくは「エロヒム資料」もまた神名が「エロヒム」であることから、祭司資料と同様の扱いになるのではないかと思われます(もっと資料が欲しい・・・)
それにしても興味深い。
これで資料に説得力が出ましたね(^^)


上の引用からも分かるように「父性宗教(勝利者・キリスト教側)」と「母性宗教(敗北者・魔女側)」の対立という構図をもって本著は書かれているわけですが、同著四〇頁「ユダヤ教は豊饒神を拒否した」という項目において、著者は「旧約のユダヤ教は豊饒とエクスタシーの宗教に[も]敵対する」([ ]印は私によるもの)として、モーセによる宗教改革以後、多神教形態から完全なる一神教へとシフトしたユダヤ教に顕著な三つの点を次のように指摘しています。

@自然の神化を拒否して自然宗教に至る途を閉ざした
 → 人間の生殖をも罪であるとして否定
 → つまり母性とエロスを否定
Aユダヤ教は被造物の神化を拒否して永遠の生の崇拝も拒否
 → 現世にこだわりを見せる
Bイスラエルのヤハウェは神話の中の神々を否定
 → 当然、あらゆる被造物の神化を峻拒

このように排他的かつ峻厳な「父性宗教」であり、また戦闘的な一民族の信仰にすぎなかったユダヤ教が、「父性の側面」を色濃く受け継ぎつつ、人間の普遍的な救済宗教としてのキリスト教へと移行したことの背景に著者は、「ヘレニズム文化があった(五〇頁)」と述べています。
ヘレニズムというと私はガンダーラを想起するのですが、これについてはおそらく後で繋がりを仄めかす資料が出て来るのではないかと予想します。