掲示板の歴史 その三
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NO.112  二神格の起源A
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/14(Wed) 11:55:01
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自由国民社『総解説・聖書の世界』二八五〜二八六頁から引用。
行変えや資料の名称などは編集済み。
(一) 二種類の神名

五書本文中最も注目すべきことは、イスラエルの神名について二種類用いられていることである。

一つは「主」と訳されている語で原語では、YHWHという四文字から成っている。元訳(文語体)では「エホバ」となっていた。ユダヤ人は必ずアドーナーイ(「わが主」の意)と発音する。文法的には「ある」とか「成る」を意味するハーヤーという動詞に由来する語で、ヤハヴェ(またはヤハウェ)と発音するのが正しい。

もう一つは「神」を意味するヘブル語「エローアハ」の複数形のエローヒームである。

旧約本文中、前者は約六八〇〇回、後者は二五五〇回ほど用いられている。
しかし、このイスラエル特有の神を意味するYHWHなる名称の起源についてこれまた五書本文中幾つかの異なった伝承が混在している。即ち、出エジプト六章二節では、神はヤハヴェという名では族長らには啓示されず、彼らには全能の神(エール・シャッダイ)として現われえたとなっている。同三章一四節ではシナイにおけるモーセの召命の時に初めてこの名が啓示されたことが暗示されている。しかるに創世記一四章一節では、イヴがその子カインを産んだ時にヤハウェの名を呼んでおり、同四章一七節ではセツの時代にヤハウェ礼拝が始まったことになっている。それで神名ヤハウェ及びその礼拝の起源について二つ以上の資料が旧約本文中に混在していることが明らかである。
少なくとも神名をYHWHの四文字で示している資料(ヤハウェ資料= J )とエローヒームなる名称で呼んでいる資料(エローヒーム資料= E )とがあることがすでに十八世紀書紀頃からヨーロッパの学者たちによって論じられていた。紀元前六二一年に律法の書=申命記(D)が発見されて(列王下二二〜二三、歴代三四)、それをヨシヤ王は国民の精神生活を統一する規範的神の言の書として天下に公布した(列王下二三・三)ヨシヤ王の申命記改革と呼ばれるものである。これが書かれた書物が啓示された神の言とされ、いわゆる正典的位置を与えられた最初である。
J と E は実は D と大体同じ頃(前六五〇年頃)すでに文書として存在していた。 J の方は五書中最も古い資料で紀元前十世紀頃のものであることを論証したのが有名なヴェルハウゼンである。Eはそれよりも約百年ほど後世のものである[岩波文庫『創世記』では二百年ほどとなっているが]。しかも J は、南ユダ王国の伝承を含み、 E は北王国の伝承を示している。申命記発見後すでに存在していたこの偉大な叙事詩的歴史文書 JE が D と結合され、モーセの死以前の説話の中に挿入された。このようにして五書の正典化の歴史は始まったのある。それにバビロン捕囚後期(前五五〇年頃)に編成されたと思われる「聖潔法典」(H)(レビ記一七〜二六)も独立した資料とされている。さらに五書が完成した時に偉大な法典がこれに追加された。それは捕囚期時代に始まりペルシア時代初期(前五〇〇年頃)に編成された「祭司法典」(祭司資料= P )と呼ばれるものである。第二神殿におけるすべての重要な儀式や犠牲の諸慣行を記したものであり、 H の部分を除くレビ記の残部を構成している。創世記一章の雄大な創造説話もこの資料に属する。
五書はこのようにして申命記を以て始まり、最後に P をわく組みとして偉大な神の救済史のドラマを構成するまとまった文書として成立したと考えられている。