掲示板の歴史 その一
▲[ 25 ] / 返信無し
NO.27  残念ですね。
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/07/31(Thu) 14:46:02


>のっけから失礼ですが、いろいろと的外れなご指摘、有難うございました。いちいち反論する気も起きません。

どういたしまして。
みのるさんの早とちりと偏見にもとづく的外れなご期待に添えなかったことが残念ですが、あなたとの出会いは同サイトにとって多少有意義であったと、ある程度感謝しております。
ただ、すでに「空殻の立場」と「同掲示板の方針」は充分述べてきましたし、みのるさんもご自身が聞きたがっていたはずの私の「高説」とやらに耳を貸す様子もなく、ただひたすら自己正当化と反論をまくしたてる、等といった事情から、あなたとの議論もこちらでの意味を失いつつあるように思うようになりました。
したがいまして、今後あなたがこちらの方針に障るような書き込みをされた場合、即刻「荒らし」であるとして書き込みを禁止させていただきます。
ご理解ください。

>「人生皆苦」は「みんな〜である」という固定化した観念、決め付け、ステレオタイプ、ですね?

どうでしょうか。
これは推論ですが、それはもしかすると「人間は皆、時とともに老いて死ぬ」ということが「みんな〜である」ということでありながら決め付けでなく「事実」であることと関係があるのではないでしょうか。
少なくとも、それはみのるさんがおっしゃるような「日本国民は今世紀において皆もれなく幸せである」という類の個人的価値観とは、根本的に性質が違うように見受けます。

>人生皆苦と輪廻転生からの解脱の現代的意義。

その質問を私に対してされたのはまことに的外れでした。
前にもいったように、少なくとも現時点では私は仏教の代弁者や弁護者ではなく、一愛好者兼一求道者としての立場を取っております。つまり、人生皆苦も輪廻転生もあくまで一可能性ととらえており、鵜呑みにしておりません。

>そして又、それらを根本義とする仏教が「用をなしている」もしくは「用をなしうる」とするなら、いかなる理由、根拠からですか?

それにつきましては、『で、再び私の立場ですが[13]』の再読を希望します。
もう少し頭を冷やしてから、注意深くお読みください。

>であることは明らかだと思っていたのです。(そのことは私が、Yahoo!掲示板で「No.1に対する返信」にしないで、わざわざあなたのNo.4098に対する返信」にしたことからわかるだろうと考えたのです。)

何が明らかなのかが不明です。
また、私のNo.4098に対して、しかも誰に「宛てる」でもなく返信していただいても、私はYahoo!掲示板にあまり出入りしませんし、勝手にそのように思って期待していただいても困るというものではないでしょうか。

>そして又、そのお答えがスジが通るものであったら、勿論私は喜んで自説を撤回するつもりでした。正しさが常に重要ですから。

で、再び私の立場ですが[13]』を再読ください。
みのるさんのご主張が、「仏教は不要だから消えろ」という結論にいたる前に破綻しているため、その間違った結論をもとにした議論が発展し得ないことは明らかです。
ただ、「仏教は不要であるから消えろ」というあなたと「仏教をかならずしも信仰するわけではないが、仏教が好きで教えの内容やその歴史についてもっと知りたい」と願う私とでは、私が仏教徒として自認し反駁しない限り、平行線を辿るだけなのではないかと憂慮し始めてます。

>それなのに、私のご案内をどう血迷って取り違えたのか、唐突で喧嘩腰と邪推して

想像してみてください。
初めて会った見ず知らずの相手からいきなり面と向って「お前のことを期待してたのに、取るに足らないヤツだったんだな、ガッカリだよ」などといわれたとします。
これでお分かりになられなければ、あなたは救いようがありません。

また、私のことを「真正の仏教徒と自認している」と強引に判断した上で「仏教などなくなった方がよい」といわれているところから、みのるさんという方が「おそらく私に対してなんらかの敵意・悪意を抱いている」ことを伺い知るのは必然なのではないでしょうか。
みのるさんには、どうも礼儀といえるものが欠如しているようにお見受けします。
警告させていただきます。
どうかご自分の非を反省し、お気をつけください。

>反論のための枝葉の揚げ足取りに執着したので、肝心の本題には一言も触れず仕舞ですから。当て外れもいいところでした。

あの分析を「枝葉の揚げ足取り」としてしか見なかったということから、みのるさんが結局ご自分の持論である「仏教は用をなさないから消えろ」に執著し、それしか目に入っていない、ということが分かります。
私は枝葉を指摘したのではなく、「結論を成り立たせる基本が間違っているから結論自体が説得力を失うのですよ」となるべく分かりやすい形で丁寧にご報告申し上げたまでです。
ご自分の文体の本質を「枝葉である」とおっしゃった時点で、みのるさんは、結論へ至る理由などどうでもよい、と自分で自分の主張を無効にしています。
で、再び私の立場ですが[13]』における私の私情抜きの分析を再読ください。

>宗教的啓示や奇蹟は、物理的に証明できるものなのですか?証明できないからこそ奇蹟なのでしょ。それを承知の上で、証明だ、何だとつべこべ言わずに信じる、観じる、それが信仰でしょ。科学ではない。これは宗教のイロハだと思うんですが、あなたはそれをご理解ないようですね。

さて、この記事においてみのるさんは仏教はあくまでも信仰であって科学ではないと決め付けてかかっていますが、果たしてそうなのでしょうか。
モンチーさんのご投稿にも引用されていましたが、ダライラマ氏のように「仏教は宗教・科学のどちらにも属さない」と主張する方もいます。私も実はそれと同感で、仏教が信仰でなければならぬとは思っておりません。
ただ、仏教には未知の部分も多くあり、また納得のいかないことも多いため、なるべくその代表者を気取って代弁をするような行為は慎みたいのです。
とりあえずこの時点では、仏教をただの信仰であるとするのは早計なのではないかとだけ申し上げておきます。

>失礼ですが、進む道を間違えていますね。まだお若いのですから、理系へ方向転換をなさることをお勧めしますよ。(余計なお世話? 私って思いやりがあるでしょ。(^^))

おっしゃるところの「進む道」というのは「仏教を勉強すること」を意味するのでしょうが、それは別に奇跡云々を信じなくても問題なく行ない、楽しむことができます。
むしろ、研究というものは個人的な感情や信仰に捉われることなく、公正に行なわれるべきではないかと思っております。

>「用をなしているか」・・・典型例では、米国大統領の就任式で、聖書に手を載せて宣誓しますね。キリスト教は少なくともこういう面では生きていて、人間の行動の規範となっていることを垣間見させます。

それは果たして必ずしも素晴らしいことなのでしょうか。
また、なぜそれが素晴らしいといえるのでしょうか。
荒唐無稽な問いになりますが、みのるさんがおっしゃるように仮に「仏教に消えてもら」ったとして、日本にはアメリカにおけるキリスト教のような宗教現象が起り得るのでしょうか。
「仏教には消えてもらおう」と主張した上でアメリカにおけるキリスト教を「用をなすもの」として例にとっているくらいだから、その程度のビジョンはおありなのでしょうね。
世の中はあなたが思うほど単純にできているわけではないのですよ、みのるさん。

>又イスラムでは、天国へのパスポートとして、自爆テロが世界各地で多発しています。民衆の現実生活の中に、イスラムの教えが息づいているのがわかります。

この記事から、みのるさんが「自爆テロ」の推奨者であることが分かります。
用さえなしていれば自爆テロさえ容認するわけですか。
非常に残念です。

ところで、具体的にいって「(宗教が)用をなす」とは一体どういうことなのでしょうか。
上の二例を見る限りでは、「国民の行動規範になる」ことであり、「現実生活の中に教えが息づいている」ことがそういうことらしいのですが、アメリカなどは特に移民の国なので、仏教や道教、カトリック、モルモンなどを含め非常に多くの宗教宗派がせめぎあってます。そういう状況において、本当に「キリスト教がアメリカ国民の行動規範である」「用をなしている」といってしまって差し支えないのでしょうか。
疑問です。

>翻って仏教は? タイ、スリランカなどの中・後進国で日本人が小乗と軽蔑する南方仏教が細々と生きているだけ。仏教発祥の地・インドでは、仏教信者数約470万人、全人口のわずか0.7%、しかもその信者達は所謂不可触賎民であって、現在のインドにあって社会的影響力に乏しいという惨状。

みのるさんが大乗仏教の分布をまったく無視しているところから、情報が明らかに一面的で偏っていることが分かります。
また、よく見てみると

@「広範囲に分布すること」か
A「多くの人口に信仰されること」そして
B「社会的影響力があること」

が、先述の二項に加えた「宗教が用をなすということ」の条件だとみのるさんが主張しているのが分かります。
これが仮に正しいとして、「広範囲に分布」せず、「多くの人口に信仰」されず、「社会的影響力」がなかったり弱かったりしたら、本当にその宗教は「用をなさない」のでしょうか。つまりみのるさんがいうように「消えてもらおう」ということになるのでしょうか。
仏教は東南アジア、東アジア、チベットを中心として約五億人、キリスト教はヨーロッパと南北アメリカを中心に約十七億、イスラム教は西南アジア、東南アジアとアフリカを中心におよそ十億、ちなみに神道は日本に一億人程度ということですが、そうすると、仏教は「用をなす」けど神道は人口だけでいったらどう考えても「用をなさない」ことになってしまいますね。

>仏教は確かに、過去には多大の恩恵を与えてくれたのでしょうが、これからは果たして如何なものでしょうか。ヒョットして万里の長城? ましてや、「人生皆苦」や「空」ではね。

さあ、どうでしょう。
私には分からないとしかいいようがありません。

先にも書きましたが、「仏教は不要であるから消えろ」というあなたと「仏教をかならずしも信仰するわけではないが、仏教が好きで教えの内容やその歴史についてもっと知りたい」と願う私とでは、私が仏教徒として自認し反駁しない限り、平行線を辿るだけなのではないかと憂慮し始めてます。