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仏教用語辞典


自燈明 [じとうみょう]
ブッダは入滅の直前に、弟子のアーナンダ(Ananda)に対して
「自己を燈明とせよ。自己を拠り所とせよ。自己のほかに拠り所を求めてはいけない」
と告げたという。
パーリ語のdIpaはサンスクリット語dIpa(燈明)あるいはdvIpa(島)に該当するが、そのために漢訳では両方の訳が混在している。
ブッダゴーサの註釈など、インドの伝統的解釈では島とみる方が適当であると考えられている。
(白水社/ルイ・ルヌー著『インドの哲学』四一頁参照)
中村元氏はその訳著『ダンマパダ(真理のことば)』の第二五節で
「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ」
と訳出し、次のような註をなしている。
島――パーリ注釈文には「非常に深い輪廻の海(saMsArasAgara)のなかに自分のよりどころpatiTThAである真人の境地(arahattaphala)という島をつくれ、すなわちつくることができるように」(vol. I, p.255.)と解している。sAgaraは漢訳仏典ではつねに「海」と訳すが、日本人の理解する「海」の観念を持ち込んではならない。大きな水たまり、湖もsAgaraという。(例えば、Madhyapradesh州のSaugar[←sAgara]は、そこに湖沼があるから名づけられたものである。)昔のインド人は多くは海洋を見たことは無かったであろう。したがってdIpaは島と訳してもよいし、洲と訳したほうが良い場合もある。それは洪水のときに避難処となったので、しばしば帰依する処の意味でつかわれる。(七七頁)
氏はまた『大パリニッバーナ経』の註で、「島」について次のように述べている。
島――attadIpa, サンスクリット本AtmadvIpa, チベット本bdag Nid gliN, 有部本「洲渚」。ブッダゴーサは明らかに島と解している。『大海のうちにおける島のように、自分を島(たより)として確立しておれ。』atta-dipA ti mahAsamuddagataM dIpaM viya attAnaM dIpaM patiTThaM katvA viharatha. 他方dIpa を燈明と解する訳としては、『中阿含経』第三十四巻「世間経」(大正蔵、一巻六四五ページ下)に「当自作燈明」とあり、また『長阿含経』第二巻「遊行経」(大正蔵、一巻一五ページ中)に「自熾然熾然於法」とある。ただし(島)と解すべき言語上の論証については、佐々木現順『阿毘達磨思想研究』五九四〜六〇三ページ参照。輪廻はしばしば大海に譬えられ(saMsAra-sAgara)、またニルヴァーナは島に譬えられる。(二三一頁)
このように見ても、やはりdIpaは島もしくは洲と訳すのが正しいようである。[最終更新日:二〇〇四年十月十七日]

聲字實相/声字実相 [しょうじじっそう]
空海が『聲字實相義』などにおいて提唱した真言宗の教義で、音声文字それ自体が実相に他ならないということ。
【掲示板の歴史/八】参照。

指量 [しりょう]
インドにおける長さに単位。
一指量は一と半インチ(四センチ)。
十二指量は一肘。
(参考文献・平河出版社・田中公明著『曼荼羅イコノロジー』一一四頁)
⇒ 肘

信 [しん]
仏教における信には代表的なものとして、サッダー(saddha、信頼、信奉、教義信仰)、パサーダ(pasada、浄信、満足)、アディムッティ(adhimutti、信解、理性的な信)[サンスクリットではシュラッダー(sraddha)、プラサーダ(prasada)、アディムクティ(adhimukti)]の三種が挙げられる。
それらがそれぞれ異なる語源と意味を持ち、それが中国と日本では一緒くたに「信」と呼び習わされているため、われわれは一般における妄信的信仰や信心とこの合理的立場とを混同してしまいがちになる。
岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』の注釈で、故・中村元氏は 「信仰=saddhA」 を指して、 「漢訳『法句経』に<信正>とあるように、正しいことを信ずるのである。これが仏教における<信>の特質である」 と述べている。また一方、仏教学者の故・玉城康四郎氏も指摘しているが、仏教における信は信頼・清浄・喜悦・満足・理解というようなさまざまな意味を混然としてそなえているといえる。
さらに詳しくは同サイト『掲示板の歴史/その一』の記事[No.38]を参照していただきたいが、岩波文庫『スッタニパータ』の註釈で、第一一四六節と一一四七節に訳出される 「信仰を捨てよ」 という割と有名なフレーズに見られる 「信」 の概念を取り上げて、中村氏は次のように述べている。
注目に値するので紹介したい。
一一四六 信仰を捨て去れ――原文にはmuttasaddho, pamuNcassu saddamとあり、[パラマット・ジョーティカーという]註釈は信仰によって解脱すると解する(saddhAdhimutto ahosi 'saddhAdhurena ca arahattaM pApuni, ......tato saddhAya adhimuccanto 'sabbe saMkhArA aniccA' ti AdinA nayena vipassanaM ArabhitvA)。しかし直訳すれば「信仰を解き放つ」であって、多くの訳者のように「信仰によって解脱する」と解することは、語法上困難である。
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」といって、「信仰を捨てよ」(pamuNcantu saddham)という(Vinaya, MahAvagga, I, 5, 12. vol. I, p.7)。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN. XIV, 3, 7. vol. II, p.39; MN. No.26, vol. I, p.169)。恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグマ)に対する信仰を捨てよ、という意味なのであろう。最初期の仏教は<信仰>(saddhA)なるものを説かなかった。なんとなれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スッタニパータ』の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった。
ちなみに、saddhAという語は、インド一般に、教義を信奉するという意味で、多く用いられている。(四三〇頁)
一一四七 心が澄む(=信ずる)――pasIdAmi.
この詩及び前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずることという意味の信仰(saddhA)は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信(pasAda)は、これを説いていたのである
一一四九 奪い去られず、動揺することのない境地に――AasaMhIran ti rAgAdIhi asaMhAriyaM, asaMkuppan ti akuppaM avipariNAmadhammaM, dvIhi pi padehi nibbAnaM bhaNati (Pj. p.607).
了解していること――adhimuttacittaM.
最初期の仏教のめざすことは、このように確信を得ることであった。(同四三一頁)
このように、同氏は『スッタニパータ』註において、最初期の仏教においてサッダー(教義の信奉)という概念は説かれず、あくまでもパサーダ(浄信)のみが説かれていたものとしている。
同様の記事としては同著で 「(八五三) 快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない」(一八九頁) というフレーズに次のような註をつけている。
信ずることなく――na saddho(=sAmaM adhigataM dhammaM na kassa ci saddahati. Pj. p.549).この註解の文は「みずから体験したことがらを信じ、いかなる人をも信じない」と訳してよいのであろうか。西洋の訳者は 「軽々しく信じない」(not credulous, Fausboll; Chalmers)、「自信をもって厚かましくならない」(niemals dreist, Neumann)と訳している。しかしブッダゴーサによると、もっと徹底した合理主義の立場をとっている。自分の確かめたことだけを信ずるのである。いかなる権威者をも信ぜず、神々さえも信じない(Na saddho ti sAmaM sayam abhiNNAtaM attapacchakkhaM dhammaM na kassaci saddhati aNNassa vA brAhmaNassa vA devassa vA mArassa vA narassa vA brahmuno vA. MahN. p.235)。(三九一〜三九二頁)
このブッダゴーサによる訳注を垣間見る限りでは、やはり当時の仏教は「サッダー」を否定し、これに対してきわめて強い警戒心を持っていたようである。

中村氏は『サンユッタ・二カーヤII』でブッダが覚った際、世間の人々の様子を目の当たりに見て、梵天に
「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた、[おのが]信仰を捨てよ」
という内容の詩句を告げた顛末を訳出しているが、同著訳注には次のように解説されている。
[おのが]信仰を捨てよ――ここの詩の原文は次のごとくである。
apArutA tesaM amatassa dvArA
ye sotavanto pamuccantu saddhaM/
vihiMsasannI paguNaM na bhAsiM
DdhammaM paNItaM manujesu brahma//(SN. I, p.138)(Vinaya, I.5. 12もほぼ同文)。
ブッダゴーサによると、sabbe attano saddhaM pamuncantu, vissajjantu(Spk. p.203)。当時の諸宗教に対する信仰を捨てよというのであろう。ところが漢訳(あるいはその原本――パーリ文よりも遅れて成立したらしい)では「聞者得篤信と訳して正反対の意味に解している(『増壱阿含経』十巻、大正蔵、二巻五九三ページ中)。つまり後世に仏教教団の威信が確立すると、信仰を強調することが必要となったのであろう。このような変化は、サンスクリット諸原典との対比によっても確かめられる。(三三六〜三三七頁)
氏は、榎本文雄氏の『華頂短期大学研究紀要』29(昭和五十九年十二月、一七〜十八頁)を引用し、極めて古いサンスクリット仏典である『マハーヴァストゥ』では「信仰を捨てよ」となっている箇所が、それ以後の典籍では「信仰ある者は喜べ」と改竄されてしまっていることを述べ、 「これらの対比から考えてみても、<信仰を捨てよ>と説いている『サンユッタ二カーヤ』第一篇の説は、最初期の思想を伝えていることは、疑いない」(同三三八頁) と主張している。
[二〇〇四年十月十七日更新]