掲示板の歴史 その十九
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NO.408  涅槃経×法華経
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2005/10/19(Wed) 01:59:18
□IP/ 219.102.17.216

佐伯俊さま、ご投稿ありがとうございます。
岩波『仏教辞典』に関連の記事がありましたのでご紹介します。
大乗の大般涅槃経(漢訳3種、すなわち曇無讖(どんむしん)訳の40巻本[北本]、同再治本36巻[南本]、法顕(ほっけん)訳の泥おん(サンズイ+亘)経(ないおんぎょう)6巻。ほかにチベット訳2種、梵文断片などが現存)。この経典は(パーリ聖典の大般涅槃経と)同じ場面を舞台にとりながら、如来の般涅槃(はつねはん、亡くなること)は方便であり、実は如来は常住で変易(へんやく)することがないとして、如来法身の不滅性を主張し、その徳性を常楽我浄の四波羅蜜(しはらみつ、四徳)に見出し、またそれを理由に、「一切衆生は悉く仏性を有する」(一切衆生悉有仏性)と宣言する。この経は、法華経の一乗思想を受け入れ、如来蔵思想によってそれを発展させたもので、時には如来蔵をあえて<大我>と表現する大胆さをもつ。また、法華経同様、大乗を誹謗するものに対して厳しい姿勢をとり、これを<一闡提>(いっせんだい、icchantika 欲望よりなる者)とよび、仏となる可能性をもたない(<一切衆生>の例外規定)とする。ただし、後の増広部分(法顕訳にない北本の第11巻以下)ではその主張を緩和し、方便説とする。この経は4世紀の成立で、竜樹には知られていない。
また同辞典の「法華経」の項目からは次の引用をさせていただきます。
  • 第1期(初期)大乗経典に属し、紀元50年から150年あたりにかけて成立したと考えられる経典。
  • 伝統的立場と成立史的観点とを合わせて結論すると、宇宙の統一真理(一乗妙法)、久遠の人格的生命(久遠釈迦)、現実の人間的活動(菩薩行道)が法華経の3大特色といえよう。それらは大乗仏教の3要素(法・仏・菩薩)をなすもので、古来、宗派の別なく註釈書が著されたり、法華思想の体系化がはかられたりした。一方で、他の代表的な大乗経典との関係や優劣が論ぜられた。たとえば中国の5、6世紀におきた教相判釈において、真理の統一性を説き明かしたものとして法華経を万善同帰教(まんぜんどうききょう)、純一性を説き明かしたものとして華厳経を頓教(とんぎょう)、永遠性を説き明かしたものとして涅槃経を常住教と規定し、それらの間の優劣が論議された。
ここで同辞典の「涅槃宗」の項を見てみますと次のようなことが分かります。
  • 中国十三宗の一。大乗の涅槃経に基づき、その仏身常住、一切衆生悉有仏性の教義を研究し宣揚する学派。
  • 涅槃経の金剛身品には、如来(仏)の身は不生不滅の常住身で永遠に壊れることのない金剛の身であり、すなわちこれが法身である、と説かれ、また師子吼菩薩品などには、あらゆる人びとがことごとく仏性をもっており、一闡提(善根ぜんごんを断じて成仏の見込みのないといわれている者)にすら仏性があって成仏することができる、と明記されている
  • 北本が江南に伝えられたことにより、それまで非難を受けていた道生(東晋から劉宋にかけて活躍した僧で般若学の基礎の上に泥オン経・法華経の研究を結合し、真理の絶対性と普遍性を拠り所として<頓悟説>と<闡提成仏説>を主張したことで六朝後期の涅槃学の先駆となった人物)の一闡提成仏説の正当性が認められ、涅槃経の研究が盛んに行われ、南方の涅槃学派が生まれた。
  • 慧観は頓漸五時の教相判釈を説き、涅槃経を常住教とし釈尊一代の説法最後の教と判じた。
  • 南北朝時代(439-589)の東晋・宋・斉・梁・陳にかけて涅槃経研究は最盛期を迎え、随(581-619)以降も慧遠・吉蔵・灌頂(561-632)らによって注釈書が著されたが、摂論宗・天台宗の隆盛にともない涅槃宗は衰微し、初唐まで存続したものの三論宗・法相宗・華厳宗が盛んとなってからついに衰亡した。
  • 日本には奈良時代に元興寺および大安寺に伝えられ、涅槃宗が常修多羅宗と呼ばれた記録はあるが、独立した公認の宗となるには至らなかった。
以上の記述から判断して、法華経と涅槃経が教義においてきわめて類似点が多く、佐伯さんの主張される「180度異なる」というのは当たっていないと思います。