『初会金剛頂経(真実摂経)』 注釈内容比較 (c)2005 qookaku | ||||
注釈対象 [頼富訳] |
予備知識 | シャーキャミトラ釈 『コーサラの荘厳という真実の集成に対する注釈』 |
アーナンダガルバ釈 『一切如来の真実の集成である大乗の現観と名づけるタントラの注・真実の燈明』 | |
一 序 | ||||
二 五段階のさとり | ||||
一切義成就菩薩 | サルヴァールタシッディ(sarvArthasiddhi)の訳語。歴史上の釈尊シッダールタのアナグラム。[頼注35] | 歴史上の釈尊 | 釈尊の前生の姿 | |
薩タ(土+垂)金剛 | サットヴァヴァジュラ(sattvavajra)の訳語。非常に難解な語。頼富氏はこの語に対し、同様の用語である「金剛薩タ」(vajrasattva)よりは抽象的に捉えて「金剛杵のような(堅固な)存在性」と理解すべきだろうかと自問している。[頼注45] | 「薩タとは、普賢の心である。その上の智としての金剛杵が、金剛である」 | 「月輪にとどまる金剛杵である」 | |
三 金剛界如来の成道と四仏の出生 | ||||
平等であることを認識する智慧 | [頼注50] | 「平等智とは、普賢心を生じることである」 | ||
四方 | 不空訳や「観察四方而坐」、堀内本はsarvato mukhaM。これを造形的に表現したのが、四方に各顔を持つ四面大日如来である。[頼注53] | 頼富訳の注には「その解釈を明確に説く」とあるが詳細は省かれている。 | ||
四 十六大菩薩の出生 | ||||
(一) 金剛薩タ[土+垂](普賢・金剛手)の生起 | ||||
普賢 | [頼注56] | 一切如来の胸にとどまっている薩タ金剛を意味する | ||
神境通 | [頼注63] | 六神通(神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通)の意 | ||
一切如来たち(阿シュク如来)の前方にある月輪 | 十六大菩薩の出生の場面で、各尊の曼荼羅配置が説かれる。金剛薩タから金剛喜までの四菩薩については東方の阿シュク如来の四方(前・右・左・後)に順次出生が行なわれる。アーナンダガルバ『一切金剛出生』(sarvavajrodaya)には阿シュク如来の四方であることを明確に説く。[頼注68] | 金剛薩タから金剛喜に至る四菩薩の出生が、阿シュク如来の前、右、左、後の順であることを明確に説く。 | ||
(二) 金剛王菩薩(不空王・金剛鉤)の生起 | ||||
不空王 | 堀内本 amogharAja。[頼注72] | 「みずからの行為を効果的になすことが不空であり、その行為以外の他者の行為をも自在になすから王である」(取意) | ||
象徴的形相 | 不空訳「三昧耶」。[頼注73] | 「金剛鉤などのあらゆる形相」と解釈する。 | ||
不空王大菩薩のお姿となられたかたは、世尊(毘廬遮那)の胸から降りて、一切如来たちの右方にある月輪にとどまり、さらに(世尊に対して)教えを請い求められた。 | [頼注78] | 「世尊阿シュク(如来)の右方」として金剛王の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、一切如来を引き寄せることを象徴する金剛(鉤)」という精神集中に入って、あらゆる有情の領域をあますところなく引き寄せることと、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来を集めるための加護力、すなわち最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。(頼富訳六三) | 不空訳「一切如来鉤召三昧耶名金剛三摩地」。[頼注79] | 「ヴァイローチャナなどを引き寄せるための samaya であり、金剛鉤の姿を所縁とする金剛のように不壊なる三摩地」 | ||
智慧 | [頼注81] | 「揺ぎなき智慧であり、法界を証悟することを特徴とする」 | 「空性に対する智慧」 | |
利益 | [頼注82] | 一切如来を引き寄せて、一切の有情の利益を達成することと解釈。 | ||
(三) 金剛愛菩薩(魔羅・金剛弓)の生起 | ||||
象徴的形相 | [頼注83] | 「この場合の samaya とは、花を先端につけた弓(kusumAyudha)などの形相である」 | ||
満足させる | 不空訳「随染」。[頼注84] | 「大乗に入らしめること」 | ||
摩羅大菩薩 | [頼注87] | 「無上正等覚菩提を修する道によって、所取(客観)・能取(主観)の分別を殺害するから、マーラ(殺害者)である」 | ||
欲望を離れた者 | [頼注88] | 煩悩を断じることによって、三界にとどまることなく、有情の利益をなす行為を行なわない者を、「欲望を離れた者」と称している。 | ||
一切如来たちの左方にある月輪 | [頼注89] | 「世尊阿シュク(如来)の左方」として金剛愛の位置を決定する。 | ||
ついで、金剛弓菩薩大士は、(与えられた)その金剛箭をもって、一切如来たちを殺戮しつつ、この感嘆の声をあげられた。 | [頼注91] | 「仏種性をそなえている者たちを声聞乗から転じさせること」 | ||
これこそは、一切の諸仏の、汚れなき、貪欲に関する智である。(諸仏は)貪欲をもって、(貪欲を)厭い離れたものを殺害し、あらゆる快き状態を、(彼らに)与えるのである。 | [頼注92] | 「諸有情を成熟させ、救済しようとする欲望を離れているもの」 | ||
(四) 金剛喜菩薩(極喜王/歓喜王・金剛悦)の生起 | ||||
極喜王 | 堀内本 pramodyrAja。[頼注93] | 「極喜とは、心が満ち足りた状態であり、それを生じさせることに自在であるから王である」 | 「極喜とは、心が満ち足りた状態であり、無漏の歓びである。それによって光り輝き、(顔が)ほてっているから王である」 | |
ああ、私は喝采をなす者であり、すべて(に対して)であり、一切智者たち(諸仏)の中で、最もすぐれた者である。なぜなら、(私は)概念による認識作用を離れた者たちに対して、必ず悦びを生じさせるのであるから。 | シャーキャミトラの解釈とはやや異なる訳出。[頼注96] | 「誰に対してほめ讃えるのか。一切智者に対してである」 | ||
一切如来たちの後方にある月輪 | [頼注97] | 「世尊阿シュク(如来)の後方」として金剛喜の位置を決定する。 | ||
金剛悦 | [頼注99] | 「金剛という名称によって特徴づけられた悦は、金剛悦である」 | 「揺ぎない悦びをそなえているから、金剛悦である」 | |
(第一の金剛薩タ菩薩は)偉大なるさとり(を願う)心であり、(第二の金剛王菩薩は)一切如来(の有情)を引き寄せることの象徴であり、(第三の金剛愛菩薩は)一切如来(の有情の心)を染めあげる智慧であり、(第四の金剛喜菩薩は)雄大な悦びである。以上は、一切如来の偉大なる(さとりを)象徴するかたがたである。 | 不空訳「一切如来大三昧耶薩タ」、堀内本 sarvatathAgatamahAsamayasatvAH。[頼注102] | 「偉大なるさとりの象徴であるから偉大なる象徴であり、それ(偉大なるさとり)を獲得させる原因である存在に対して、偉大なる(さとりを)象徴とする存在というのである。したがって、その四つの功徳は、諸仏如来たちのあらゆる功徳を獲得するための原因であるから、マンダラにおいて、四つの大印の本性として形成されたのが象徴としての存在者である」 | ||
(五) 金剛宝菩薩(虚空蔵・金剛蔵)の生起 | ||||
(一切如来の心髄たる真言が、世尊毘廬遮那の胸から)現れてからまもなくして、金剛杵の存在に精神を集中することは、あらゆるものが虚空と等しいことを認識する智慧によく通暁していることを性質としているのであるから、その世尊持金剛は、一切如来の胸から、すべての虚空に(広がる)多くの輝きとなって現われ、すべての虚空に(広がる)その多くの輝きによって、すべての世界は照らし出され、(あたかも)すべての虚空の領域のように、(輝きに)満たされたのである。 | 不空訳「一切虚空平等性智善通達故」、堀内本 sarvAkASasamatAjn~Ana。[頼注106] | 「あらゆる事物は虚空と等しいと法無我を証悟すること」 | ||
灌頂をなすこと | [頼注109] | 「毘廬遮那などの諸如来たちや、所化衆を虚空蔵の姿に転じること」 | ||
一切如来たち(宝生如来)の前方にある月輪 | [頼注112] | 「世尊宝生(如来)の前方」として金剛宝の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の宝珠の金剛」という精神集中に入って、あますところなきあらゆる有情の領域のすべての目的を獲得させ、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来の目的の完成という最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。 | 不空訳「一切如来大摩尼宝名金剛三摩地」、堀内本 sarvatathAgatamaNiratnavajraM nAma samAdhiM。[頼注113] | 「菩薩に金剛宝を与えるための三摩地」 | 「世尊毘廬遮那の手にとどまっている大金剛宝を所縁とする三摩地」 | |
そして、その偉大なるさとりを本質とする虚空蔵大菩薩に対して、破壊されがたき宝の芽の灌頂をもって、破壊されがたき宝の転輪王の地位として灌頂をなしてから、一切如来の願望をかなえさせることを象徴する、その金剛摩尼を、両手のひらに与えられた。 | 堀内本 vajraratnANkurAbhiSeka。頼富訳では大正蔵本不空訳「金剛宝形灌頂」を脚注校合や他の諸訳にしたがって「金剛宝芽灌頂」と訂正している。[頼注114] | 「金剛宝の芽の印契であり」 | ||
そして、その偉大なるさとりを本質とする虚空蔵大菩薩に対して、破壊されがたき宝の芽の灌頂をもって、破壊されがたき宝の転輪王の地位として灌頂をなしてから、一切如来の願望をかなえさせることを象徴する、その金剛摩尼を、両手のひらに与えられた。 | 不空訳「金剛宝転輪王」、堀内本 vajraratnacakravartitve。[頼注115] | 「金剛宝とは法部である」 | ||
(六) 金剛光菩薩(大威光/無垢光・金剛光)の生起 | ||||
一切如来たちの右方にある月輪 | [頼注124] | 「世尊宝生(如来)の右方」として金剛光の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の輝きの輪に対して加護力を与えるための金剛」という精神集中に入って、あらゆる有情の領域に対してたとえようもなく(すばらしい)輝きと、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来のみずからの輝きという最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。そして、一切如来の光輝を象徴する、その揺ぎない太陽[金剛日]を、偉大なるさとりを本質とする大威光大菩薩に対して、両方の手のひらに与えられた。 | 不空訳「三摩耶」。[頼注126] | この場合の「三摩耶」を「原因であり、金剛日輪である」と解釈。 | ||
(七) 金剛幢菩薩(宝幢・金剛幢)の生起 | ||||
一切如来たちの左方にある月輪 | [頼注133] | 「世尊宝生(如来)の左方」として金剛幢の位置を決定する。 | ||
(八) 金剛笑菩薩(常喜悦根・金剛喜)の生起 | ||||
一切如来の喜悦 | [頼注139] | 「印契の特殊なある方便によって、一切如来は所化衆に喜悦を生じさせる」 | ||
一切如来の不可思議なこと | [頼注143] | 「微笑みとは分別から生じるのであるが、しかもその分別は仏陀には存しないのである。したがって、存在しないのに生じることが不可思議なのである」 | ||
一切如来たちの後方にある月輪 | [頼注144] | 「世尊宝生(にょらい)の後方」として金剛笑の位置を決定する。 | ||
不可思議なること | [頼注145] | 「微笑みの印契」 | 「微笑みの印契」 | |
一切如来の不可思議なることを出現させることを象徴するその金剛の微笑みを、偉大なるさとりを本質とする常喜悦根大菩薩に対して、両方の手のひらに与えられた。 | 不空訳「一切如来出現三昧耶」、施護訳「一切如来希有出生三昧」。[頼注147] | 「一切如来の微笑みを生じる原因となっているもの」 | ||
これこそは、一切の諸仏の、不可思議なることの出現を実現化し、雄大な笑いをなす智慧である。これは、他の諸師によっては知られることはない。 | 不空訳「他師」、金剛智訳「二乗」。[頼注148] | 外道の意に解する。 | 外道の意に解する。 | |
(九) 金剛法菩薩(観自在・金剛眼)の生起 | ||||
ついで、また世尊(毘廬遮那如来)は、(一切如来の)偉大なるさとりを本質とする観自在大菩薩の象徴的形相より生じる「法に対して加護力を与えるための金剛」という精神集中に(入られた。その精神集中に)入られると、「一切如来の教えの象徴」という一切如来の心髄たるこの真言が、自身(毘廬遮那)の胸から現われた。「ヴァジュラ・ダルマ(金剛法)よ!」 | [頼注153] | 「一切如来法三摩耶とは、三摩地である」 | 「一切如来法とは、聖観自在として変化することである。その三摩耶とは、生起させる原因である」 | |
正しい教えの輝き | 不空訳「正法光明」。[頼注155] | 「(四)法印を修練すること、すなわち正法を説く因であるから、蓮華のような輝きに対して正法光明というのである」 | ||
大きな蓮華の形状 | 不空訳「大蓮華形」、堀内本 mahApadmavigraha、チベット訳 mahAvajra-padmavigraha (施護訳も同様)。[頼注156] | mahAvajra-padmavigraha を支持する。 | ||
揺ぎない蓮華の形状 | [頼注157] | 「金剛のような意志から生じたものであるから、金剛蓮華形である」 | ||
精神集中の智慧や直観力 | 不空訳「一切如来三摩地智神境通等」。[頼注158] | 「三摩地より生じた智慧であるから、三摩地智である。神通とは、五種である」 | ||
勝義 | 堀内本 paramArtha。[頼注161] | この語を持業釈(同格複合詞)と依主釈(格限定複合詞)として二様に解釈。 | この語を持業釈(同格複合詞)として解釈。 | |
さまざまな教法 | [頼注162] | 教法を所証法と所説法とに分類して注釈。 | 聞・思・修の三慧に言及する。 | |
一切如来たち(阿弥陀如来)の前方にある月輪 | [頼注163] | 「世尊阿弥陀(如来)の前方」として金剛法の位置を決定する。 | ||
教えの身体 | [頼注165] | 「世尊阿弥陀の清浄なる法の自性であるから、法身である」 | [世尊阿弥陀であり、般若波羅蜜の法より生じるのであるから、法身である] | |
正しい教え | [頼注166] | 「(正法とは)『遍調伏品』に説かれる蓮華部である」 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の精神集中の知恵を象徴する金剛」という精神集中に入って、あますところなきすべての有情の本質的な浄らかさと、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来の諸存在に対する智慧や直観力の獲得に至るまでを意図された。そして、偉大なるさとりを本質とする観自在大菩薩に対して、一切如来の教えの身体(165)の灌頂をもって、正しい教え(166)の輪を転じる者として灌頂をなしてから、一切如来を浄めることを象徴する、その金剛の蓮華を、両方の手のひらに与えられた。それに呼応して、一切如来たちは、「金剛眼、金剛眼!」と、「金剛」という言葉によって特徴づけられた名称の灌頂をもって、(その観自在大菩薩を)灌頂されたのである。 | 不空訳「能浄一切如来」、施護訳「一切如来清浄三昧」。[頼注167] | 「一切如来清浄とは、世自在の三摩地を生じることであり、そのための三摩耶とは、(それを)生じさせるための因である」 | ||
さて、金剛眼菩薩大士は、(あたかも)花弁を開くかのように、渇望の浄らかにして、汚れなきを観察することによって、その金剛の蓮華を眺めながら、この感嘆の声をあげられた。「これこそは、一切の諸仏の、渇望の真実を証悟させる(教え)である。この私の手のひらに与えられた教えは、(胸の中の)法にとどめられたのである」 | 先行する「花弁を開くかのように」(不空訳「如開敷蓮華勢」、金剛智訳「彼蓮華葉以開敷故」、堀内本 patravikAsanatayA。曼荼羅を見ると、観自在菩薩(金剛眼)は未開敷蓮華を持っていることが多い)という記述と、次の「金剛眼」という金剛名を関連せしめて、図像的な表現の意味を含めている。[頼注170] | 「右手の三指をもって、青蓮華の花弁を開くかのように、開くことである」 | 「左手で誇らしげに蓮華を執り、胸のあたりにとどめた蓮華の花弁を右手で開き、金剛の眼でもって観察し、すみずみまで理解することである」 | |
(十) 金剛利菩薩(文殊・金剛慧)の生起 | ||||
ついで、また世尊(毘廬遮那如来)は、(一切如来の偉大なるさとりを本質とする文殊室利大菩薩の象徴的形相より生じる「法に対して加護力を与えるための金剛」という精神集中に(入られた。その精神集中に)入られると、「一切如来の偉大なる般若の智慧の象徴」という一切如来の心髄たるこの真言が、自身(毘廬遮那)の胸から現われた。「ヴァジュラ・ティークシュナ(金剛利)よ! | 不空訳「一切如来大智慧三昧耶」。[頼注174] | 「一切如来大智の標幟(cihna)などの本性は、世尊文殊である。彼はまさしく智慧である」 | ||
鞘の形状 | 不空訳「金剛釼」、金剛智訳「剣鞘」、施護訳「金剛剣相」、堀内本 vajrakoSavigraha。[頼注147] | 「依りどころ(鞘)によって、依っているもの(剣)が示されているのである」 | ||
一切如来たちの右方にある月輪 | [頼注180] | 「世尊阿弥陀(如来)の右方」として金剛利の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の般若の智慧の金剛」という精神集中に入って、あますところなきすべての有情の領域のあらゆる苦悩を断じることと、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来のお言葉にしたがう[随順]般若を充たすこととの最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。そして、一切如来の煩悩を断じることを象徴するその金剛の剣を、偉大なるさとりを本質とする文殊室利大菩薩に対して、両方の手のひらに与えられた。 | [頼注181] | 「一切如来たちによる一切有情の煩悩を断じることを象徴する」 | 「三摩耶とは、それを生じる因である」 | |
(十一) 金剛因菩薩(纔発心転法輪・金剛場)の生起 | ||||
「なんと奇なることよ。私は、金剛のように性質が卓越したかたがたのうちの、金剛杵からなる輪である。なぜなら、心が生じるとともに、教えの輪を転じはじめるから」 | 不空訳「金剛勝持」、施護訳「金剛最上法」。[頼注190] | 「金剛のような心を性質としているから、金剛最上法であり、仏陀という意味である」 | ||
一切如来たちの左方にある月輪 | [頼注192] | 「世尊阿弥陀(如来)の左方」として金剛因の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の輪の金剛」という精神集中に入って、あますところなきすべての有情の領域に転じる、退転することのない輪と、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来の正しい教えの輪を転じるという最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。そして一切如来の偉大なるマンダラを象徴するその金剛の輪を、偉大なるさとりを本質とする纔発心転法輪大菩薩に対して、両方の手のひらに与えられた。 | 不空訳「一切如来輪名金剛三摩地」、施護訳「一切如来大輪金剛三摩地」。[頼注193] | 「一切如来輪とは、毘廬遮那の手にとどまっている八輻輪である」 | ||
あらゆる在り方 | 不空訳「一切法」、金剛智訳「一切」。[頼注196] | 「一切法とは、所化衆の心相続に位置する信などである」 | 「一切方とは、発菩提心などである」 | |
(十二) 金剛語菩薩(無言・金剛語)の生起 | ||||
無言 | 梵名アヴァーチャ(avAca)。比較的珍しい尊名の菩薩。[頼注199] | 「法性は言葉の道を離れており、さまざまな文字はやまびこのようであると証語し、彼には文章を語ることがないから、無言である」 | ||
法性 | 堀内本 dharmatAdIni。[頼注204] | 「一切如来法性とは、戯論(言葉による虚構)なき状態である」 | 「一切法とは、無戯論であるということである」 | |
一切如来たちの後方にある月輪 | [頼注208] | 「世尊阿弥陀(如来)の後方」として金剛語の位置を決定する。 | ||
言語活動の達成 | [頼注209] | 「四無礙弁を獲得すること」 | ||
真言 | 金剛智訳「秘」、施後訳「大明」。[頼注212] | 「金剛界品に説かれているさまざまな真言を」 | ||
(第一の金剛法菩薩は)揺ぎない、存在のありのままの存り方の智慧であり、(第二の金剛利菩薩は)一切如来の般若の智慧であり、(第三の金剛因菩薩は)偉大なる輪を転じさせる智慧であり、(第四の金剛語菩薩は)一切如来の言葉の分別的理解を離れさせる智慧である。以上が、一切如来の偉大なる智慧を本質とするかたがたである。 | [頼注214] | 「般若波羅蜜から生じたかたという意味である」 | ||
(十三) 金剛業菩薩(一切如来毘首羯磨・金剛毘首)の生起 | ||||
「なんと奇なることよ。私は、諸仏の、効果的にして、多様な、あらゆる活動である。なぜなら、意識的努力なくして、仏陀を対象とする、揺ぎない活動に着手するのであるから」 | 不空訳「不空」、金剛智訳「不唐捐」、堀内本 amoghaM。[頼注219] | 「確実に」(avasyaM)と言い換える。 | 「確実に」(avasyaM)と言い換える。 | |
一切如来たち(不空成就如来)の前方にある月輪 | [頼注222] | 「世尊不空成就(如来)の前方」として金剛業の位置を決定する。 | ||
さて、金剛毘首菩薩大士は、その金剛杵をみずからの胸にとどめ、一切如来たちを(一切如来たちの)活動性に正しく位置づけながら、この感嘆の声をあげられた。「これこそは、一切の諸仏の、あらゆる活動をなす、すぐれた(活動)である。この私の手のひらに与えられたあらゆる(羯磨金剛杵は)、(胸の中の)あらゆる活動にとどめられたのである」 | 不空訳「令安一切如来羯磨平等処」、金剛智訳「為令作用一切如来羯磨事己」。[頼注223] | 「右手で誇らしげに羯磨金剛鈴をつかみ、左手でみずからの胸のあたりに引き上げようとして金剛書をつかみながら」 | ||
(十四) 金剛護菩薩(難敵精進・金剛慈友)の生起 | ||||
難敵精進 | サンスクリット名ドリョーダナヴィールヤ duryodanavIrya、金剛智訳「難勝闘戦勇健精進」。頼富氏は「インドの叙事詩『マハーバーラタ』に登場するクル族の戦士の名前を意識したものであろう」と推測している。[頼注224] | 「精進とは、善い行いに対して(心が)果敢なることである」 | ||
堅固な甲冑 | [頼注226] | 「金剛杵からなる堅固な甲冑」 | ||
大きな破壊されがたい甲冑 | [頼注227] | 「金剛のような意楽より生じたのであるから」 | ||
一切如来たちの右方にある月輪 | [頼注229] | 「世尊不空成就(如来)の右方」として金剛護の位置を決定する。 | ||
甲冑を身に着けさせながら | 不空訳「被」、施護訳「作勝被甲」。[頼注231] | 「諸有情世界を毘廬遮那などの姿(No bo)になすこと」 | ||
(十五) 金剛牙菩薩(摧一切魔・金剛暴怒)の生起 | ||||
金剛の牙の形状 | [頼注235] | 「世尊毘廬遮那の金剛杵」からなる心から転変したものであり、金剛のあり方と随順しつつ、あらゆるものを破壊することができ、あらゆる敵対者を恐れさせながら、武器としての働きを遂行するのであるから」 | ||
憐れみを本質とする | [頼注237] | 「声聞・独覚たちであっても、覚者という言葉で述べられるので、それと区別するために、『憐れみを本質とする』と語られたのである」 | ||
一切如来たちの左方にある月輪 | [頼注238] | 「世尊不空成就(如来)の左方」として金剛牙の位置を決定する。 | ||
(十六) 金剛拳菩薩(一切如来拳・金剛拳)の生起 | ||||
一切如来拳 | 梵名サルヴァタターギャタムスティ(sarvatathAgatamuSTi)。[頼注244] | 「一切如来に属する秘密の拳という意味である」 | ||
つづいて、(一切如来の心髄たる真言が、世尊毘廬遮那の胸から)現われてからまもなくして、まさしくその世尊持金剛は、一切如来の胸から、一切如来のあらゆる印契の縛となって現われ、世尊毘廬遮那の胸に入り、(その多くの一切如来の印契の縛は)ひとつにまとまり、金剛の縛の形状となって現われ、世尊毘廬遮那の両方の手のひらにとどまった。 | 不空訳「一切如来一切印縛」、堀内本 sarvatathAgatasarvamudrAbandhaH。[頼注246] | 「一切如来とは、以前に変貌したマンダラの諸存在を意味する。それらの印契を結ぶこととは、金剛などに変化して出現することである」 | ||
「なんと奇なることよ。実に揺ぎなき縛である私は、堅固さを性質とするかたがたの規律 [三昧耶] である。なぜなら、あらゆる願いを達成するので、解脱したかたがたも縛るのであるから」 | [頼注247] | 「逸脱したことをなさないという意味である」 | ||
一切如来たちの後方にある月輪 | 北方不空成就如来の四親近菩薩の第四、金剛拳菩薩の顕教名は一切如来拳、真言名は金剛拳(vajrasandhi)、金剛名も金剛拳(vajramuSTi)である。[頼注248] | 「世尊不空成就(如来)の後方」として金剛拳の位置を決定する。 | ||
つづいて、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の象徴的形相の金剛」という精神集中に入って、あますところなきすべての有情の領域の一切如来と諸尊とを身近に想起することによるあらゆる目的の達成と、あらゆる幸福と快き状態を享受させるために、さらには一切如来の全知者の智の印契に精通することとの最もすぐれた目的の達成に至るまでを意図された。そして一切如来の印契の縛を象徴するその金剛の縛を、偉大なるさとりを本質とするその一切如来拳大菩薩に対して、両方の手のひらに与えられた。それに呼応して、一切如来たちは、「金剛拳、金剛拳!」と、「金剛」という言葉によって特徴づけられた名称の灌頂をもって、(その一切如来拳大菩薩を)灌頂されたのである。 | [頼注249] | 「それ(一切智智)がそのまま印契であり、(中略)それに精通するすることが煩悩・所知の両障を離れることである」 | ||
さて、その金剛拳菩薩大士は、その金剛の縛をもって、一切如来たちを縛りながら、この感嘆の声をあげられた。「これこそは、一切の諸仏の、もっとも揺ぎない、印契の縛である。あらゆる諸仏(の目的)を速やかに達成するために、(この)逸脱しがたき、規律[三昧耶]がある」 | 不空訳「縛一切如来」、堀内本 sarvatathAgatAn bandhayan(n)。[頼注251] | 「縛るとは、一切如来の身・口・意を一つにすることであり、一切如来とは、マンダラに変現した諸菩薩と、それによって加持された真言行者だちである」 | ||
(第一の金剛業菩薩は)一切如来の供養の多くの方法の活動であり、(第二の金剛護菩薩は)雄大にして、勇ましき堅固なる甲冑であり、(第三の金剛牙菩薩は)一切如来の広大なる方便であり、(第四の金剛拳菩薩は)すべての印契の智慧である。以上が、一切如来の偉大なる活動(を特性とする)かたがたである。 | 不空成就如来の四親近菩薩は、後世の教学では精進波羅蜜に配当されることが多い。[頼注252] | 「一切如来の大精進からなる活動から生起した諸存在である。すなわち世尊の精進波羅蜜の活動は、不空成就(如来)である」 | ||
五 四波羅蜜(菩薩)の出生 | ||||
(一) 薩タ[土+垂]金剛(女)の生起 | ||||
金剛波羅蜜 | [頼注254] | これを明確に女尊であるとする。 「一切如来の大菩提の智慧の特徴としての薩タ金剛女である」 | ||
一切如来 | [頼注255] | 「五如来」 | ||
金剛の輝き | [頼注256] | 「金剛のような輝きであるから、金剛光明であり、五峯金剛(杵)の形状として生じることである」 | ||
金剛の身体 | [頼注258] | 「五峯金剛(杵)の姿」 | 「五峯金剛(杵)の姿」 | |
(二) 宝金剛(女)の生起 | ||||
宝波羅蜜 | [頼注259] | 「布施波羅蜜の状態としての金剛宝である」 | ||
宝金剛 | インドのナーランダー僧院趾からは、アーナンダガルバの注釈を証明する浮き彫りの三昧耶形が発見された。(大蔵出版『壬生台舜博士頌寿記念・仏教の歴史と思想』所収、頼富本宏「インド・オリッサ出土の種子マンダラ」昭和六十年)[頼注261] | 「五峯金剛(杵)によって先端を特徴づけられた如意宝珠」 | ||
(三) 法金剛(女)の生起 | ||||
世自在王如来 | 頼富氏は、この如来の名称には問題が少なくないと述べる。シャーキャミトラ釈が換言するように阿弥陀如来であることは疑いないが、同経でも後の部分になると世自在王の尊名が消えてしまう。[頼注262] | 「アミターバ(無量光 snaN ba mtha' yas)という意味である」 | ||
象徴的形相 | 不空訳「波羅蜜三昧耶」。[頼注263] | 「般若波羅蜜という意味である」 | ||
さて、世尊世自在王如来(362)は、世尊毘廬遮那の一切如来の智慧を象徴づけるために、法波羅蜜の象徴的形相(363)より生じる「金剛に対する制御」という精神集中に入り、「法の象徴」というみずからのこの印契を、自身(世自在王如来)の胸から表された。「ダルマ・ヴァジュリー(法金剛)よ!」 | 不空訳「法三昧耶」、堀内本 dharmasamayan nAma svamudrAM。[頼注264] | 「法部の三昧耶であり、浄らかな法性の特徴が法三昧耶である」 | ||
法金剛 | [頼注265] | 「法性を説く金剛が法金剛である」 | [般若波羅蜜の理趣が法金剛である] | |
(四) 羯磨金剛(女)の生起 | ||||
あらゆる活動の輝き | [頼注267] | 「十字金剛杵(羯磨杵)のような(輝き)である」 | ||
あらゆる方角に向う | 不空訳「面向一切処」、金剛智訳「面向四方」。[頼注268] | 「先端が四方に向っていること(すなわち羯磨杵の意)」 | ||
偉大なる波羅蜜 | [頼注271] | 薩タ金剛女・宝金剛女・法金剛女・羯磨金剛女の四金剛女に対して、智慧波羅蜜・布施波羅蜜・般若波羅蜜・精進波羅蜜の四波羅蜜を順に配当する。 | ||
六 八供養菩薩の出生 | ||||
(一) 金剛嬉女の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊毘廬遮那は、「一切如来適悦供養の象徴的形相[薩タ金剛]より生じる金剛」という精神集中に入り、この一切如来部族の偉大なる女神[大天女]を、みずから(毘廬遮那)の胸から現わされた。「ヴァジュラ・ラースヤー(金剛嬉女)よ!」 | 堀内本 sarvatathAgataratipUja。[頼注272] | 「一切の如来たちを喜ばすことが喜びである。それが供養である」 | ||
つづいて、(この女神が、世尊毘廬遮那の胸から)現われてからまもなくして、一切如来の胸から、金剛の印契[五頂金剛杵]が現われ、その多くの金剛の印契の端々から、まさしくその世尊持金剛は、すべての世界に満ちている微塵の数に等しいほどの如来たちのお姿となって(現われ)、ふたたび(多くの如来のお姿は)ひとつにまとまり、偉大なる女神金剛嬉は、さまざまな彩り、形態、身体的特徴、たちい振る舞いをそなえ、あらゆる装飾品によって飾られ、その身体が金剛薩タにも似た、如来の部族すべてを掌握する金剛薩タの愛人(276)となって現われ、世尊阿シュクのマンダラの左方にある満月輪にとどまり、この感嘆の声をあげられた。 | [頼注275] | 「それ(金剛嬉女)は、菩提心に対する喜悦を自性としているから、如来の部族すべてを掌握するのである」 | ||
金剛薩タの愛人 | 不空訳「女」、堀内本 vajrasatvadayitA。[頼注276] | 「金剛薩タを歓喜させるかたである」とし、『理趣経』につながる思想を示す。 | ||
「なんと奇なることよ。(私は)おのずから存在しているかたがたの供養であり、私に類すべき他のものはない。なぜなら、(私は)愛欲に対する喜びという供養によって、すべての供養を実動せしめるのであるから」 | [頼注277] | 「愛欲とは、その自性が貪欲されるべきものであるから、世尊金剛薩タである」 | ||
(二) 金剛鬘女の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊毘廬遮那は、「一切如来宝鬘灌頂の象徴的形相[薩タ金剛]より生じる金剛」という精神集中に入り、この一切如来部族の偉大なる女神[大天女]を、みずから(毘廬遮那)の胸から現わされた。「ヴァジュラ・マーラー(金剛鬘女)よ」 | 堀内本 sarvatathAgataratnamAlAbhiSeka。[頼注278] | 「一切の諸仏の宝冠によって特徴づけられた灌頂であり、灌頂とは法王(の位)を獲得する威徳を生じることである」 | ||
偉大なる宝の印契 | [頼注279] | 「宝石のようでもあり、偉大なるさとりを特性とするかたがたを象徴づけるものでもあるから、宝の印契である」 | ||
宝による供養 | 不空訳「宝供養」。金剛鬘菩薩は宝生如来と関連付けられている。[頼注281] | 「宝の供養であり、灌頂の特徴である」 | ||
(三) 金剛歌女の生起 | ||||
つづいて、(この女神が、世尊毘廬遮那の胸から)現われてからまもなくして、一切如来の胸から、一切如来の教え[法]の印契が現われ、その多くの一切如来の教えの印契から、まさしくその世尊持金剛は、すべての世界に満ちている微塵の数に等しいほどの如来たちのお姿となって(現われ)、ふたたび(多くの如来のお姿は)ひとつにまとまり、偉大なる如来金剛歌(は、まさしくそのよう)になって、世尊世自在王のマンダラの左方にある月輪にとどまり、この感嘆の声をあげられた。 | 堀内本 sarvatathAgatadharmamudrAH。[頼注283] | 「浄らかな教えの意味を説く、蓮華の状態のような印契」 | ||
(四) 金剛舞女の生起 | ||||
一切如来舞供養 | 金剛智訳「一切如来作舞供養」、堀内本 sarvatathAgatanRtyapUja。[頼注287] | 「一切如来たちに属する舞踊からなる供養」 | ||
(第一の金剛嬉女は)一切如来の無上なる幸福と快き状態を象徴(とする女神)であり、(第二の金剛鬘女は)一切如来の華鬘(を与える女神)であり、(第三の金剛歌女は)一切如来の詩句(を詠じる女神)であり、(第四の金剛舞女は)一切如来の無上なる供養の活動(をなす女神)である。以上が、一切如来の秘せられた供養である。 | 不空訳「秘密供養」。[頼注290] | 「これらの供養は意識によって観られるべきものであるから、秘せられた供養である」 | ||
(五) 金剛香女の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊阿シュク如来は、世尊毘廬遮那如来の供養に対して、供養をなすために、「一切如来を爽快にするものの象徴的形相より生じる金剛」という精神集中に入り、一切如来のこの遊女(294)を、みずから(世尊阿シュク)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・ドゥーパー(金剛香女)よ!」 | 不空訳「一切如来能悦沢」、山田本 sarvatathAgataprahlAdana。[頼注293] | 「一切如来たちを楽しませることであり、般若波羅蜜である」 | ||
遊女 | 不空訳「婢使」、金剛智訳「主香綵女」、堀内本 ganikaM。[頼注294] | 「世間において称される遊女と同様に、般若波羅蜜によってもまた、出世間の楽しみと快適さを生じるのであるから、遊女と語られている」 | ||
「なんと奇なることよ。私は実に、雄大な供養であり、(心身を)爽快にさせる麗しき女である。なぜなら、存在性が浸透するということによって、まったく速やかに、さとりが獲得されることになるのであるから」 | 不空訳「薩タ遍入」、堀内本 sattvAves/ayogAt。[頼注297] | 焼香の供養によって、諸有情に存在性が浸透することであり、諸尊が入るという意味である | ||
(六) 金剛華女の生起 | ||||
さて、(ふたたび)世尊宝生如来は、世尊毘廬遮那如来の供養に対して、供養をなすために、「宝荘厳供養の象徴的形相より生じる金剛」という精神集中に入り、一切如来のこの付添女(299)を、みずから(世尊宝生)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・プシュパー(金剛華女)よ!」 | 堀内本 raatnAbharaNapUja。[頼注298] | 「念などの七覚支の諸三昧は、宝と性質が共通しているから宝である。それは装飾であり、そのような特徴をそなえた供養である」 | ||
付添女 | 不空訳「承旨大天女」。[頼注299] | 「王者の前にとどまり、剣を持つ者は、世間において随行者と称されているが、この世尊女はまた、世尊毘廬遮那の舞いなどの女神の中央にいて、正見という剣を持つ者である。したがって付添女というのである」 | ||
(七) 金剛燈女の生起 | ||||
さて、(ふたたび)世尊世自在王如来は、世尊毘廬遮那の供養に対して、供養をなすために、「一切如来光明供養の象徴的形相より生じる金剛」という精神集中に入り、一切如来のこの女使者を、みずから(世尊世自在王)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・アーローカー(金剛燈女)よ!」 | [頼注302] | 「一切如来たちの法眼は光明であり、それが供養である」 | ||
(八) 金剛塗(香)女の生起 | ||||
さて、(ふたたび)世尊不空成就如来は、世尊毘廬遮那の供養に対して、供養をなすために、「一切如来塗(香)供養の象徴的形相より生じる金剛」という精神集中に入り、一切如来のこの下女(307)を、みずから(世尊不空成就)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・ガンダァー(金剛塗香女)よ!」 | 堀内本 sarvatathAgatagandhapUja。塗(香)とは身体に塗りつけて清める香。燃やして神仏に捧げる焼香とは異なる。[頼注306] | 「一切如来たちの塗香とは戒律儀であり、それが供養である」 | ||
下女 | 不空訳・金剛智訳「婢使」、世護訳「大明妃」、堀内本 ceti。[頼注307] | 「香を塗る仕事をなす者に対して、世間では婢使といっている。したがって、性質が共通しているから、塗香の供養は下女として設定されている」 | ||
七 四摂菩薩の出生 | ||||
(一) 金剛鉤菩薩の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊毘廬遮那如来は、偉大なる存在である「一切如来の誓願を引き寄せる鉤[一切如来三昧耶鉤]の象徴的形相より生じる金剛」という精神集中に入り、一切如来のあらゆる印契の群れのこの指導者を、みずから(毘廬遮那)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・アンクシャ(金剛鉤)よ!」 | 不空訳「一切印衆生」、堀内本 sarvatathAgatamudrAgaNapatiM。[頼注311] | 「それ(印契の群れ)によって先導するのであるから、指導者である」 | ||
つづいて、(この群れの指導者が)発せられてからまもなくして、一切如来たちの胸から、まさしくかの世尊持金剛は、一切如来のあらゆる印契の群れとなって現われ、さらに、その多くの一切如来の印契の群れから、すべての世界の原子の微粒子に等しいほどの如来のお姿が現われ、ふたたび(それらの如来のお姿は)ひとつにまとまり、偉大なるさとりを特性とする金剛鉤の姿となって、世尊(毘廬遮那)の、金剛石と宝珠と宝石(がちりばめられた)屋根の尖った楼閣[金剛摩尼宝峯楼閣]の金剛門の中央にある月輪にとどまって、一切如来たちの誓願を引きつけながら、この感嘆の声をあげられた。 | 東門。[頼注312] | 「金剛杵によって特徴づけられた門である」 | ||
(二) 金剛索菩薩の生起 | ||||
(三) 金剛鎖菩薩の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の誓願を縛る偉大な存在[一切如来三昧耶鎖]の象徴的形相より生じる存在の金剛」という精神集中に入り、一切如来の規律[三昧耶]の締結[縛]という、一切如来のこの使者を、みずから(毘廬遮那)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・スポータ(金剛鎖)よ!」 | 不空訳「使」、堀内本 dUta。[頼注318] | 「三昧耶を誓うという性質が共通しているのであるから、使者である」 | ||
つづいて、(この群れの使者が)発せられてからまもなくして、一切如来たちの胸から、まさしくかの世尊持金剛は、一切如来の規律を結ぶ印契の群れとなって現われ、さらに、その多くの一切如来の規律を結ぶ印契のあらゆる群れから、すべての世界の原子の微粒子に等しいほどの如来のお姿が現われ、ふたたび(それらの如来のお姿は)ひとつにまとまり、偉大なるさとりを特性とする金剛鎖の姿となって、世尊(毘廬遮那)の、金剛石と宝珠と宝石(がちりばめられた)屋根の尖った楼閣[金剛摩尼宝峯楼閣]の法門(320)の中央にある月輪にとどまって、一切如来たちを縛りながら、この感嘆の声をあげられた。 | 不空訳「一切如来三昧耶縛印衆」、堀内本 sarvatathAgatasamayabandhanamudrAgaNaH。[頼注319] | 「一切如来の三昧耶を結ぶため、印契の群れとなったことであり、それぞれ(持金剛)が鎖となってという意味である」 | ||
法門 | 堀内本 vajradharmadvAra。[頼注320] | 「蓮華によって特徴づけられた門」 | ||
(四) 金剛鈴菩薩の生起 | ||||
さて、ふたたび、世尊(毘廬遮那)は、「一切如来の遍き帰入という偉大な存在[一切如来遍入]の象徴的形相より生じる存在の金剛」という精神集中に入り、一切如来の印契のこの僮僕(323)を、みずから(毘廬遮那)の胸から発せられた。「ヴァジュラ・アーヴェーシャ(金剛鈴)よ!」 | 堀内本 sarvatathAgatAveSa。[頼注322] | 「この儀軌によって、一切如来に浸透することになるから」 | ||
僮僕 | 不空訳による。堀内本 ceTa。[頼注323] | 「大印などの本質であり、かれら(一切如来)を満足させるために働くから」 | ||
つづいて、(この群れの僮僕が)発せられてからまもなくして、一切如来たちの胸から、まさしくかの世尊持金剛は、一切如来のあらゆる印契の群れとなって現われ、さらに、その多くの一切如来の印契の群れから、すべての世界の原子の微粒子に等しいほどの如来のお姿が現われ、ふたたび(それらの如来のお姿は)ひとつにまとまり、偉大なるさとりを特性とする金剛鈴の姿となって、世尊(毘廬遮那)の、金剛石と宝珠と宝石(がちりばめられた)屋根の尖った楼閣[金剛摩尼宝峯楼閣]の業門の中央にある月輪にとどまって、一切如来たちに浸透しながら、この感嘆の声をあげられた。 | 北門。[頼注324] | 「羯磨金剛杵によって特徴づけられた門」 | ||
「なんと奇なることよ。あらゆる面ですぐれた菩薩に対する恭敬は。なぜなら、如来たちの輪の中央に、如来(毘廬遮那)が輝いていられるから」 | 施護訳「一切如来像」。[頼注330] | 「世尊毘廬遮那が金剛界大マンダラの状態として美しく輝いていることは驚嘆である」 | ||
「なんと奇なることよ。一切の諸仏の、非常に広大なる状態とは、始めなき生起である。なぜなら、その総数がすべての微粒子(と等しき)諸仏が、実にひとつの状態に達しているのであるから」 | 不空訳「無始生」、施護訳「無始本来生」。[頼注333] | 「始めなき生起とは、世尊摩訶毘廬遮那である」 | ||
八 百八の名称による勧請 | ||||
つづいて、ふたたび、尊き一切如来たちは集まって、この金剛界大マンダラに加護力を与えるために、また、あまりなきすべての有情の世界の救済と、あらゆる幸福と快き状態の達成のため、さらには、一切如来の平等性の智慧と神通力とさとりとの、最高の目的の達成に至るまでを意図された。そして一切如来たちは、世尊、一切如来たちの主、(如来たち)みずからの金剛薩タ、無始無終の偉大なる持金剛(世尊普賢)に対して、この百八の名称をもって勧請したのであった。 | 堀内本 svavajrasattvam、不空訳は「みずからの」を欠く。[頼注334] | 「かれら(如来たち)の本質は金剛薩タであるから」 | ||
金剛喜よ、妙なるかたがたの、すぐれた存在[薩タ]よ、金剛慢[金剛戯]よ、大いなる興奮状態[大適]よ、歓喜王よ、金剛族のすぐれたかた[金剛]よ、金剛悦よ、汝に帰依あらんことを。 | 不空訳「薩タ」、施護訳「妙生勝」。[頼注340] | 「一切如来たちの悦びを正しく生じさせる無上なるかたであるから」 | ||
金剛笑よ、雄大なる笑い[大笑]よ、金剛の微笑み[金剛笑]よ、まったく不可思議なるかた[大奇]よ、歓喜するものよ、金剛族に習熟しているかた[金剛勝]よ、汝に帰依あらんことを。 | 堀内本 vajrAgrya。[頼注348] | 「微笑みに属する無所縁の法施という金剛を指示するかたである」 | ||
金剛因よ、広大なる(さとりの)座[大場]よ、金剛の輪[金剛輪]よ、偉大なる道理[理趣]よ、よく転じるもの[能転]よ、金剛より生起したかた[金剛起]よ、金剛場よ、汝に帰依あらんことを。 | 堀内本 vajrottha。[頼注353] | 「金剛のような三昧より生じたのであるから」 | ||
もし、いかなる人であっても、汝[持金剛]の名称に関する、この吉祥なる百八(種)を保持するならば、その人は、最もすぐれたかたがたによる、「金剛」という名称によって特徴づけられた灌頂などによって、灌頂されることになるであろう。したがって、これらの名称によって、偉大なる持金剛に対して、功徳をそなえたこの(讃)を、常に詠じ、称揚すれば、その人は、まさに持金剛そのものになるであろう。(汝の)名称に関する、これらの百八の名称をもって、我々によって称揚されたかた[持金剛]は、大乗を明らかにさとるという、偉大なる教えの道理を開示されんことを。 | 堀内本 sarvAgraiH。[頼注360] | 「最もすぐれたかたがたによるとは、諸如来である」 | ||
九 金剛界大マンダラの説明 | ||||
さて、次に、金剛界のようであるから、「金剛界」と称せられている、(この)最もすぐれた大マンダラを明らかにしよう。 | 堀内本 vajradhAtupratikAs/aM。[頼注363] | 「須弥山頂の、金剛界大マンダラのようであるということ」 | ||
(次に、修行者は)円輪のような、その(外部のマンダラの)内側の宮殿に入り、金剛の糸によってめぐらされ、八本の柱(369)によって飾られ、金剛の柱の正面部が、五つの月輪によって飾られている(内側のマンダラを区画すべきである)。内側のマンダラの中央(の月輪)に、仏陀(毘廬遮那)の姿を配置[安立]すべきである。 | [頼注368] | 「環状の三鈷金剛杵」 | ||
八本の柱 | [頼注369] | 「四方それぞれに、壁に立てかけられた金剛の柱が二本ずつあるから」 | ||
(次に)仏陀の周囲すべての、それぞれのマンダラの中央に、誓願[三昧耶]にすぐれた四人の女性[四波羅蜜]を、順序にしたがって描くべきである。 | [頼注370] | 「部族の母たちという意味である」 | ||
(また)すべての門の中央に、四種からなる門衛たちを、外部のマンダラの中に、偉大なる存在を配置すべきである。 | [頼注376] | 「弥勒をはじめとする賢劫の諸尊(十六尊)を、大印の姿として、あるいは蓮華座にあるかのように描くべきである」 | ||
さて、つづいて、すぐれた誓願の印契を規定通りに結んで、金剛阿闍梨は(このマンダラに)入り、(その)印契を解いて、(すべての尊格の祈念に)没入すべきである。その場合、すべて(の尊格の祈念)に没入する[遍入]ための、この心呪がある。「アッハ!」 | [頼注377] | 「すぐれた誓願の、とは薩タ金剛女のという意味である」 | ||
次に、師たる金剛阿闍梨は)教えを正しく(十方の諸仏菩薩に)請い求めて、みずからに対して(仏の)加持力を加えることなどを、(教えに)したがってなして、自身の名称を述べてから、金剛(という名称を持つすべての印契)によって、(このマンダラを)完成すべきである。 | [頼注378] | 「自身の灌頂の名称によって」 | ||
金剛阿闍梨は、さらに、金剛弾指(の印契)を結び、指を鳴らしながら、すべての諸仏を集めるべきである。そうすれば、金剛薩タを伴い、マンダラに満ちている諸仏のすべては、瞬時にして(この)マンダラに集合するだろう。 | 不空訳「弾指」、堀内本 satvavajrANkus/IM。[頼注379] | 「金剛弾指の印契」を指示。 | 「金剛弾指の印契」を指示。 | |
つづいて、(金剛阿闍梨は)すべての門において、鉤など(の印契)によって、なすべきことをなし、 偉大な活動にすぐれた印契によって、象徴的存在(すべて)を、(マンダラに)もちきたらすべきである(382)。 | [頼注381] | 「門を開くことをなしてから、金剛鉤の活動の印契によて、毘廬遮那と阿シュクとの部族を召喚し、東門にとどめ、(中略)金剛遍入の活動の印契によって、毘廬遮那などを想いのままになすべきである」 | ||
つづいて、(金剛阿闍梨は)すべての門において、鉤など(の印契)によって、なすべきことをなし(381)、 偉大な活動にすぐれた印契によって、象徴的存在(すべて)を、(マンダラに)もちきたらすべきである。 | [頼注382] | 「マンダラに描かれた毘廬遮那などの身体に、毘廬遮那などの智の存在としての法と羯磨と大との印契の状態でとどめること」 | ||
以上が、あらゆるマンダラにおける、金剛阿闍梨の(なすべき)行為である。 | [頼注386] | 「あらゆるマンダラとは、後述の四品(金剛界品・降三世品・遍調伏品・一切義成就品)に説かれるさまざま(のマンダラ)においてである」 | ||
十 弟子を入壇させる方法 | ||||
(一) マンダラに入る資格 | ||||
つぎに、この金剛界大マンダラに金剛弟子が入ることをはじめとする、詳細な行為規定がある。その場合、まず最初に、あまりなきすべての有情の世界を完全に救済し、あらゆる(有情)に対する恩恵と幸せという、最もすぐれた目的の達成をその理由として、(金剛弟子は、金剛界大マンダラに)入るのである。この場合、大マンダラに入ることに関して、(その弟子が)適切であるのか、あるいは不適切であるのかを吟味することは、なされるべきではない。それはなぜかというのなら、
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[頼注387] | 具体内容として、@父を殺す、A母を殺す、B阿羅漢を殺す、C僧の和合を破る、D如来に怪我をさせる、という五無間罪(無間地獄へ堕ちる五つの罪)をあげている。 | ||
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[頼注390] | 「自在天などである」 | ||
一切如来たちの部族 | [頼注391] | 「如来・金剛・宝・蓮華・羯磨部である」 | 「五部の諸如来である」 | |
学処 | 不空訳「禁戒」、施護訳「受学法等」。[頼注392] | 不殺生などの十善業道を挙げる。 | ||
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不空訳「住正法」。[頼注393] | 「教えを行じているから、正しい教えに励むという」 | ||
(二) 四方の仏を礼拝する | ||||
さて、まず最初に、(金剛阿闍梨は)一切如来に対する四種の礼拝(四礼)を(金剛弟子に)実行させるべきである。すなわち、全身をもって金剛合掌を(した腕を)さしのばし、以下の真言をもって礼拝すべきである。「オーン。一切如来を供養し、つかえるために、私自身を捧げます。一切如来である金剛薩タよ、私に加護を与えんことを」 | 堀内本 sarvas/arIreNa。[頼注395] | 「全身を地につけて」(五体投地のこと) | ||
(三) 覆面をつける | ||||
次に、紅の上衣(を着け)、紅の布で顔が覆われた(金剛弟子)に、薩タ金剛の印契(398)を、以下の真言をもって結ばせるべきである。「汝は三昧耶(誓戒)である」 | 不空訳「以緋繪角絡披」。[頼注397] | 「サフランの色のような」 | ||
薩タ金剛の印契 | 堀内本 satvavajrImudrAM。[頼注398] | 「(如来)部族の三昧耶印に対して、この場合、薩タ金剛印というのである」 | ||
(四) 誓いと金剛水 | ||||
(五) 金剛薩タの加護 | ||||
次に、金剛阿闍梨は、速やかに薩タ金剛の印契を結び、以下のように唱えるべきである。「金剛杵を象徴とするものは、金剛薩タであると、知られている。いまこそ、あなたに、最もすぐれた金剛の智慧を導入させるべきである。金剛の浸透よ、アッハ」 | [頼注403] | 「薩タ金剛(印契とは、外縛)の両方の中指を針のように立てること」 | ||
次に、(金剛阿闍梨は)忿怒の拳を結んで、薩タ金剛の印契を解き放ち、また、大乗を明らかにさとる(真言)を、金剛の語をもって、望むがままにとなえるべきである。 | 金剛智訳「金剛拳」、堀内本 krodhamuSTi。[頼注404] | 「左の金剛拳の一指し指を屈しながら、期剋印の状態にあること」 | ||
彼(の金剛弟子)に(その正しい智慧が)浸透すると、瞬時にして、すばらしい明智が生起する。 | 堀内本 divyaM jn~AnaM。[頼注406] | 「すばらしい、五神通などの智慧」 | ||
(六) 華を投げて仏を得る | ||||
(七) 覆面を解く | ||||
(八) マンダラを見る功徳 | ||||
(九) 瓶の灌頂 | ||||
(十) 金剛杵を授ける | ||||
次に、いずれかの印契の環を結び、みずからの象徴を(弟子の)両手にとどめて、以下のように語るべきである。「いま、あなたは、諸仏によって、金剛杵の灌頂をもって灌頂されたのである。あらゆる仏の状態をことごとく達成するために、あなたは、この金剛杵をとらえよ。オーン。金剛部の主なる私は、あなたを灌頂する。金剛杵よ、立て。あなたは誓戒である」 | 不空訳「自ヒョウ[巾+票]幟」、堀内本 svacihnaM。[頼注412] | 如来・如来部・金剛吽迦羅部・蓮華部遍調伏品・宝部一切義成就品・羯磨部・外金剛部のそれぞれの印契を列記する。 | ||
(十一) 金剛名を授ける | ||||