以下、如月氏ホームページより転載。
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「重の井子別れ」比較 投稿者:あかねこ 投稿日:2004/09/24(Fri) 17:28 No.3014
先日、歌舞伎座の夜の部に行って参りました。芝翫と孫の国生君による「重の井子別れ」を是非文楽と比較してみたかったので。

「重の井子別れ」をご存じない方の為に↓があらすじです。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/sei0720/kabuki/shigenoi.html

結論から申し上げると・・文楽を見た後では歌舞伎には義太夫の爆発力が決定的に欠けていて物足りませんでした。やはり義太夫狂言は義太夫で聞いて見るのが本来と、改めて納得した次第。

まず歌舞伎の場合、三吉役の子役の出来に左右されてしまうので、観客の関心もどうしても子役に集中してしまいがち(かく言う私も子役がお目当てでしたが・・)、今回の三吉役国生君(橋之助長男)はお人形のように可愛くて素直、口跡がよく申し分のない出来でその熱演に観客の涙を誘っていました。歌舞伎はあくまでも子役の可愛さいじらしさを全面に打ち出しています。しかし原作の三吉は親に捨てられ、11歳で馬追いする少年。「自然生の三吉」と名乗りどこか背伸びして、大人びたところをみせようと、キセルで煙草をくゆらせてみたりする(歌舞伎ではキセルの演出はない)。可愛いだけの歌舞伎の三吉では原作から離れてしまうような気がしました。まあ歌舞伎の場合、子役が変にこましゃっくれていても見られた物ではないですから限界がありますね。芝翫の重の井はさすがに貫禄があり情がありですが、義太夫ものコクが今ひとつだったような、一度、上方の型(そういう型があれば・・)で雁治郎で見てみたら面白かろう、と思いました。

私は文楽の床本と比較しながら歌舞伎を見ていたのですが、「子別れの段」に関してはほぼ床本と同じ詞章を役者と竹本(歌舞伎の下座音楽としての義太夫節)が掛け合っていました。冒頭、東下りを嫌がる御姫さまのご機嫌を、三吉が持っていた道中双六で慰める重要な場面は、文楽では「道中双六の段」として独立した一段。東海道五十三次の名所を歌い込んだ浮かれた華やかな聞き所となっています。それに引き替え歌舞伎ではただみんなで賽を振っている内にお姫様が江戸に一番に着いて・・じゃあ江戸に行きましょうとなる、道行きの華やかな気分がでないので、呆気なくて説得力のないこと甚だしい。折角、葵大夫(竹本の救世主!)が床を勤めていたのに、少しだけでも道中歌の気分を出せなかったのか・・歌舞伎では昔からこういう演出で定着しているのか・・時間の制約なのか・・よくわかりませんが最大の不満でした。

義太夫では「重の井子別れの段」は大和風(初演した大和掾の風)の語り方が口伝として厳格に伝えられているとのことです。越路大夫の芸談を読んでも語る言葉一つ一つに実に細かい工夫があり驚かされます。今回嶋大夫がこの大役を勤めましたが、声に艶と張りのある大夫だけに聞き応えがありました。清介の三味線も好サポートで、ここぞと歌い上げる時の爆発力は凄まじいものが・・この迫力の前に歌舞伎は完全に吹っ飛んでました。義太夫は一人で子供から母親から何役も語り分けるのですから大変。特に子供のカン高い声は初めこそ聞き慣れない観客は笑ってしまうのですが・・これは声色ではなくイキと音で子供の声に聞かせるんだそうです。だから不自然じゃない。「型」の伝承は偉大なことですね。

しかし何と言っても圧巻は簑助さんの重の井!もう神業。私は今公演2度拝見したのですが・・もう最後、三吉を見送る重の井が涙を懐紙で拭うところなど本当に人形自身が泣いていて、その涙を簑助さんが愛おしげに拭ってやっている・・そうとしか見えませんでした。もう大感動!!



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お別れ狂言 如月 - 2004/09/25(Sat) 00:55 No.3018


あかねこさん、レポートありがとうございます。
芝翫の重の井をもってしても、ダメでしたか。もっとも結論はなんとなく予想できたことではありますが…。
でもあかねこさんのとても具体的なレポートのおかげで、人形浄瑠璃と歌舞伎の演出の違いがすごくよくわかります。同じ台本でも、歌舞伎はある意味ではとてもリアルなんだけど、役者本位で散漫になってしまう部分があるんですよね。歌舞伎の竹本が人形浄瑠璃の大夫より力が落ちるのはやむをえないと思いますが、逆にもしも越路大夫や嶋大夫のような力のある人形浄瑠璃の大夫が歌舞伎の竹本として語るようなことがあると、それにひかれて演技の鑑賞に集中できないかもしれませんね。これはちょっと難しいところだと思います。
嶋大夫は私が一番好きな大夫なので、今回聴きにいけないのがとても残念です。

さてついでに、私も半可通の知識を披露させて頂きますと、江戸歌舞伎では晩秋に勧進元(江戸三座)が集まって、一年間の役者をすべてくじ引きで決めていました。誰と誰が共演するかは、このくじ引きが済むまで、誰にもわかりません。そしてくじによってどの役者がどの小屋に出るかが決まると、座付きの作者が役者に合わせて、それぞれの役者が引き立つような新しい台本を書き下ろします。こうして毎年暮に披露されるのが「顔見世狂言」で、このため、「顔見世狂言」はほとんど再演されません。ある役者のために書いた芝居を芸風の違う他の役者が演じても仕方がないと考えられていたからであり、また現実問題として、顔見世狂言はストーリー展開が弱く、出演する役者の得意芸を披露することに主眼があったからですね。現在の「顔見世」はこの江戸時代の「顔見世狂言」を引き継いだものではありますが、以上のような経緯から、引き継いでいるのは名前だけという感じです。
さて、顔見世披露を無事終えると、江戸歌舞伎では、一年間同じ顔振れが同じ小屋で共演します。そして秋、一年間共演した仲間が解散するのですね。ですから、秋には「お別れ狂言」を上演して、芝居の一年をしめくくるというわけです。
今回の「重の井子別れ」は、典型的なお別れ狂言ですね。

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「東海道五十三次」 如月 - 2004/09/25(Sat) 09:44 No.3021


あ、それと「東海道五十三次」の53という数は、「華厳経」の入法界品のなかで善財童子が出会う善知識の数からきています。
「重の井子別れ」の内容と直接関係はありませんが、「華厳経」がこういう形で日本人の心性のなかに入りこんでいるという例として、記しておきます。

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53粒の涙 後鳥羽院 - 2004/09/25(Sat) 13:44 No.3024


あかねこさんの名解説で、両者の相違が目に浮かぶようです。
道元の、翳眼の空華、の論理でゆきますと、そのとき、人形は神掛けて本当に泣いているようです。断じて、空泣き、ではなく、実在の「空涙」ということになります。
人形の涙を私も見てみたい、と思いました。

源氏物語も、「雲隠」を数えないと、巻数が54から53になりますね。また、光源氏の行年ですが、正確には計算できないものの、これも、おおよそ53か54くらいになっていますね。
源信の浄土教が盛んな時代ですから、華厳の影響はないようにおもわれますが、気になる「数」ですね。


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今日も文楽♪明日も文楽♪ あかねこ - 2004/09/25(Sat) 22:18 No.3031


拙いレポートお読み頂き恐縮です。印象が鮮明なうちにとちょっ
と急いで仕上げましたので・・言わずもがなの結論でしたね。
皆様のお優しいフォローに助けて頂いております。
今日も友人の代理で急遽昼の部を見て参りました。明日も友人とお約束していて昼の部・・何か浄瑠璃漬けの2週間だったような。歌舞伎と文楽の比較他にもいろいろ印象に残ったのですが、もう少し余裕ができたらまとめますね。
五十三次・・・五十三という数字はそんな意味があったのですね。単に一日で歩ける距離から割り出された数字かと思ってました。ほんとこの掲示板はお勉強になります。