掲示板の歴史 その九
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NO.291  『大縁方便経』に説く十二因縁
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/10/21(Thu) 15:09:27
□IP/ 4.27.3.43


さらに、同『長阿含経(第3巻)』所収の『大縁方便経』(一〇一〜一二二)によると次のようになる。(理解しやすくするために番号、傍線、[ ]括弧などを振った)
@老いと死と にはよりどころがある。もし、何が老いと死とのよりどころなのだと問うなら、 A生まれること が老いと死とのよりどころなのだと答えるがよい。また、何が生まれることのよりどころなのだと問うなら、 B存在 が生まれることのよりどころなのだと答えるがよい。また、何が存在のよりどころなのだと問うなら、 C執着 が存在のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が執着のよりどころなのだと問うなら、 D渇愛 が執着のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が渇愛のよりどころなのだと問うなら、 E感受作用 が渇愛のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が感受作用のよりどころなのだと問うなら、 F(感官と対象との)接触 が感受作用のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が接触のよりどころなのだと問うなら、 G六つの感受領域 が接触のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が六つの感受領域のよりどころなのだと問うなら、 H名称と形態と が六つの感受領域のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が名称と形態とのよりどころなのだと問うなら、 I認識作用 が名称と形態とのよりどころなのだと答えるがよい。また、何が認識作用のよりどころなのだと問うなら、 J行為 が認識作用のよりどころなのだと答えるがよい。また、何が行為のよりどころなのだと問うなら、 K無知 が行為のよりどころなのだと答えるがよい。(一〇二〜一〇三)

以下は訳注者である丘山氏による註のリストである。
番号は引用者によって変更済み。上に付加した番号と対照する。

@ 老死有縁
「老死」はパーリ本jarA-maraNa(老い死ぬこと)に相応。最古訳の安世高の訳経以来「老死」が用いられる。「縁」は例えば、『荀子』正名篇「縁耳而知声可也、縁目而知形可也」のように「・・・に縁って」の意から、「縁って来たるそのもと」つまり「よりどころ」の意で用いられる。本経ではこの用言と体言の両方の使い方があらわれる。

A 生
パーリ本jAti(生まれること)に相応し、安世高以来、「生」と訳される。ただし、漢語「生」は「生れること」の意のほか、「生きること」つまり生存をも意味しうるが、縁起説では漢語「生」は前者「生れる」の意。「生存」の意は次の「有」であらわす。

B 有
パーリ本bhava(生存)に相応し、これも安世高以来「有」と漢訳される。「生存一般」をあらわし、迷いの生存、輪廻の状態において生きること。

C 取
パーリ本upAdAna(執着、固執)に相応する。鳩摩羅什以前の訳では「受」と訳されることが多く、恐らくは鳩摩羅什によって確定された訳語。「受」という訳語は、upAdAnaの原義receiving, acquisition; das fur-sich-Nehmen, sich-Zueignen を忠実に訳したもの。しかし、仏教では、grasping, clinging, addiction のような強い意味になる。BHSD. [Buddhist Hybrid Sanskrit Grammar and Dictionary], CPD [Critical PAli Dictionary]. のupAdAnaの項、および中村元『原始仏教の思想』下一〇一頁以下など。

D 愛
パーリ本taNhA(渇愛・渇望)に相応する。安世高訳では、「愛求」、その他は「愛」。原語taNhA(S. tRSNA)は、本来「喉の渇き」を意味する。中村前掲書はこれを「妄執」と訳し、次のように解説する。「ここで妄執というのは、人間存在の奥にひそむ盲目的衝動である。(中略)われわれが渇しているときには、ただ水をもとめてやまぬように、充たされることを求めてやまぬ衝動的なものをいう。前の項の執着固執(取)と比べてみるに、この執着固執はけっきょく煩悩と同一のものであるが、もろもろの煩悩のうちで最も根本的なものは、本能的な盲目的衝動にほかならない。これを渇きにたとえられる妄執(渇愛taNhA)と称する」(一〇五頁)。
なお、この段階において、本経は十二支の縁起説をあげるが、後に再述する際にはいわゆる「無明」「行」「六入」の加わらぬ九支の縁起説をあげる。この箇所に対応するパーリ本も「六入」の加わらぬ九支縁起であり、再述部分も九支説。また、漢訳諸異本も後にでる再述部分では九支縁起をとるが、この段階では、安世高訳『人本経』と僧伽提婆訳『大因経』とは一見したところ「愛taNhA」で終わる五支縁起になっている。そして五支縁起説は、十二支縁起説などのより多くの支よりなる縁起説に先立って成立したものと考えられているが、いわゆる仏教の四諦説(四つの真理)で説明するあらゆる苦の原因が渇愛taNhAであるという真理(集諦)の考えと基本的には同一のものであり、古い時代には恐らく有力な説であったのであろう。

E 受
パーリ本vedanA(感受、感覚)に相応する。後に再論されるように、苦楽等の印象感覚をうけること。羅什以前の古訳では、安世高、支謙、竺法護は「痛」、僧伽提婆は「覚」とし、またこれらの訳者は前出のupAdAna(取、執着)に「受」の訳語をあてる。このvedanAを「痛」とするのは、その原義に「感受、感覚」以外に「苦痛」の義があるためであるが、仏教の教理からすると適訳ではない。
ところで、vedanAのようなインド仏教の思想用語が、明確な説明もなく、漢語としては特定の思想を背景としては持たないと考えられる「受」「痛」などの一語でおきかえられた場合、その言葉を中国人がどの程度に、そしてどのように理解したか、疑問でもあり興味深い点でもある。これらのことを考慮すると、漢訳からの現代語訳に際して「受」を「感受」とすることに問題はあるが、今はやむをえず仮にインド思想圏での意味を参照にして訳出しておく。以下、「六入」「行」なども同様の問題を含む
ただし、中国でもアビダルマ論書や大乗論書が五世紀以降盛んに訳出され、また専門的にそれらを研究することが六朝後半、特に梁代以降盛んになるため、これらの仏教教理用語も中国人(いうまでもなく仏教者に限定されるわけであるが)なりに受用されてゆく。例えば、隋・浄影寺慧遠『大乗義章』巻第四「十二因縁起」(大正四四・五四七以下)など、その一例である。

F 触
P. phassa, S. sparSa (接触)に相応する。感官と対象と感受作用という三つのものの合一接触(根・境・識の三事和合)のこと。古訳では「更」「更楽」と訳される。漢語「更」には、「代、易、改」などの「かえる、かわる」の意、「歴、経」などの「へる」の意、「互、遞」などの「こもごも」の意などが基本義としてあるが、恐らくは「互」の意をとったのであろう。要検討。

G 六入
この箇所のパーリ本には欠くが、P. saLAyatana, S. SaDAyatana (六つの感受領域)に相応する。感受活動がそれを通して起る六つの領域。内と外との六入があり、内の六入(P. ajjhattika-Ayatana, S. AdhyAtmika-Ayatana)とは心と五感官とで所謂六根(六つの感官)、外の六入(P. bAhira-Ayatana, S. bAhya-Ayatana)とはそれに対応する対象をいう。したがってこれを一語で日本語へ翻訳するのは難しく、仮りに「六つの感受領域」としておく。ただし、九支縁起説をとるパーリ本には「六入」が加えられず、また外の六入の一つである色(rUpa、形態)が次の支である名色と重複することなどからも、「六入」を加えた画院議説の成立の遅いことが推測される。なお、古訳時代もほぼ全面的に「六入」の語が使われた。

H 名色
パーリ本nAma-rUpa(名称と形態、名称と物質)に相応し、安世高訳では「名字」、支謙訳では「名像」などが用いられる。「名称と形態」とは古ウパニシャッドにおいては現象界の個別性を成立させる原理であると考えられ、さらに現象界の一切の事物を総称する名称であった。それが仏教の教理体系のうちに取り入れられ、その最初期には同様の意味で使われていたが、後に名(名称)は個人存在の精神的な方面を、色(名称)は個人存在の精神的な方面を、色(形態)は物質的な方面を意味すると考えられるようになった。さらに詳しくは、PTSD.[= PAli Text Society's PAli-English Dictionary の略] rUpa の項、英訳Dhamma-saNgaNi のintroduction など、また和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』二一三頁以下を参照。

I 識
P. vin*n*aNa, S. vijn*Ana(認識作用、識別作用)に相応し、古訳時代から、「識」の訳語が用いられる。この「識」は仏教ではまた現在の生存活動を代表し、心ともいえ、認識主観の意で、人間存在のもっとも中核をなす機能と考えられていた。
本経後出の九支縁起、およびパーリ本の九支縁起は、この「識」と前支の「名色」との相互依存関係でおわる。

J 行
P. saNkhAra, S. saMskAra (形成力、潜在的形成力)に相応する。仏教教理では難解な語のひとつであり、そして種々の意味を有するが、形而上学的なインド哲学では一般に「潜在的形成力」「潜在力」あるいは「前世からの潜在力」というような意味で用いられることが多い(MW.[M. Monier-Williams, Sanskrit-English Dictionary])。例えば『誰阿』巻第一二に「行有三種、身行、口行、意行」(大正二・八五上)とあるが、恐らくは身と口と心との行為が印象として残り、あらゆるものをつくり出す潜在的形成力となると考えたのであろう。なお詳しくは、Franke, SS. 307-318. などを参照。
ところで、このような心理的・形而上学的概念は中国には受容されず、たとえば前掲の隋・慧遠『大乗義章』でも「所言行者、諸行集起、名之為行」(大正四四・五四七中以下に詳論)とあり、やはり漢訳経典で使われた「行」を、その漢語としての意味のひとつである「行為」として理解している。ただし、唯識説的な行為とその印象説(潜在力的な種子)は彼の場合も理解されている。

K 癡
P. avijA, S. avidyA (無知)に相応する。また一般に「無明」と漢訳される。十二支縁起はこの「無明」で究極する。しかし、「無明」がわれわれの苦しみの生存の根源であるという思想は、さらに単純なかたちで最初期の仏教においてすでに明示されている。すなわち、『スッタニパータ』第七三〇偈「この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知 vijjA に達した生けるものどもは、再び迷いの生存 punabbhava に戻ることがない」(中村元訳)。ただし、何に関して無知であるのかについて一定の解釈はない。参考までに他の経典によるひとつの説明をあげておく。『雑阿[=雑阿含経]』巻第一〇「無明者不知、不知者是無明。何所不知、謂色無常、色無常、如実不知、(中略)於此五受陰如実不知不見、無無間等、愚闇不明、是名無明。(中略)所謂明者知、知者是名為明。又問何所知、謂知色無常、知色無常、如実知」(大正二・六四下)。
ところで、漢語「癡」は『説文解字』に「癡、不慧也」とあるように「おろか」なること。一方「無明」は老荘思想の「明」をふまえた造語と思われる。すなわち、『老子』第一六章に「夫物芸芸、名帰其根。帰根曰静、是謂復命。復命曰常、知常曰明」とあり(「知常曰明」は第五五章にも見える)、「明」とは明らかな知恵、真智を意味し、第三三章には「知人者智、自知者明。勝久者有力、自勝者強」とあり、同様の思想は『荘子』駢拇篇にも「吾所謂明者、非謂其見彼也、自見而巳矣」とあり、「明」すなわち自己を知る真智が最高の智とされている。(二五一〜二五五)
また、次に引用するのは同氏による十二因縁の定義である。
十二因縁 パーリ本は単に paTicca-samuppAda (縁起)、『大因経』も「縁起」、『生義経』は「諸縁生法」、『人本経』には相応語は不明。宇井伯寿『訳経史研究』所収の『人本欲生経』注には、「是是微妙本」の「意」をこの縁起に比定するが、根拠不十分。ところで初期仏教の縁起説は、その項目(支)の数に関して諸説があり、基本的なものとして五支、九支、十支、十二支のものがあげられる。このうち十二支を具えたものが最も完備しており、成立的にも遅れると考えられている。本経[=『大縁方便経』]では、ここに「十二因縁」という語が使われ(原本にもそうあったかは疑わしい)、すぐ後にその十二支(項目)が挙げられているが、後に再詳説する箇所ではいわゆる「無明」と「行」と「六入」とが欠けた九支縁起になっている。異訳経典では、『人本経』『大因経』は略説で五支、後の詳説では本経と同じく九支、『生義経』は詳説のみでやはり九支であり、総じて詳説する場合にはパーリ本をも含めて九支で一致する。これらのことからも、ここで「十二因縁」なる語と説があらわれるのは不自然である。ただし、本経と同じく『長阿含経』所収の『大本経』にも十二支を具えた縁起説が述べられており(本シリーズ第1巻一六五頁以下)、さらに検討が必要である。本経典グループはこのように一経のうちに諸支の縁起説を含み、縁起説の生成過程を考えるうえでも興味深いものである。