掲示板の歴史 その六
▲[ 235 ] / 返信無し
NO.249  『維摩経』の梵語原典
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/07/05(Mon) 17:27:06


>サンスクリット本は散逸していて、他書に引用として数個の断片が残されているのみ。

記事「No.235」でこのように書いたが、これは古い情報である。
これについては、東京新聞等に次のような記事や速報があったことが判明したので以下に引用する。

維摩経 文字美しく文法正確 原典発見 仏教研究の第一級資料
大正大学(東京都豊島区)は14日、有名な仏教経典の一つで、聖徳太子も注釈を書いた「維摩(ゆいま)経」のサンスクリット語(梵語=ぼんご)の原典を世界で初めて、中国チベット自治区ラサにあるダライ・ラマの故宮ポタラ宮で発見した、と発表した。
発見されたのは8世紀に書写された完本。保存状態が極めて良い上、文字が美しく、文法も正確な第一級の資料という。インドでの大乗仏教の成立や中国、日本などへの広がりを考える上で、画期的な発見。
維摩経は、1、2世紀ごろインドで成立したとされる大乗経典で日本では聖徳太子が、その注釈書を著したといわれる。
同大は1999年7月、ダライ・ラマの書斎を調査中、今回の写本を発見した。縦6センチ、横30センチのヤシの葉の表裏に、7行ずつ経文を記し、全部で約80葉。8世紀のインドの王の侍従が写経したと記す奥付があった。
表紙には経題がなく、経の一章の題があったので、見逃されていたらしい。発見は「偶然だった」(松濤誠達・同大学長)という。
挟まっていた布の書き付けによると、ラサの西約五百キロのツァム地方の名刹(めいさつ)シャル寺の所蔵だったのが、中国の文化大革命で同寺が破壊された際に北京へ運ばれ、最近ポタラ宮へ持ち込まれたとみられる。
[東京新聞(2001年12月15日)]
現存しないと言われた維摩経のサンスクリット写本発見
これまで現存しないと言われてきた仏教経典「維摩経(ゆいまぎょう)」のサンスクリット写本が、大正大学綜合仏教研究所によって中国チベット自治区で発見された。同大が14日発表した。初期大乗仏教の成立過程に新たな光を当てることになりそうだ。維摩経は1、2世紀ごろ、サンスクリット語を用いてインドで書かれたお経。在家信徒の「維摩居士」が文殊菩薩(ぼさつ)との問答を通じて仏教の「空」の概念を説く内容で、初期大乗仏教の重要経典の1つ。聖徳太子も維摩経を学び、著作「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」で注釈を加えたことは有名。現在はチベット語訳と3種の漢訳が伝えられているが、サンスクリット原典は散逸していた。
同研究所は1999年7月、チベット自治区のラサ・ポタラ宮で所蔵文献を調査した際に発見。経文は縦6センチ、横30センチのなめしたヤシの葉77枚の裏表に書かれており、保存状態も良好。奥付によれば、8世紀にインドのベンガル地方で筆写され、後にチベットに運ばれたらしい。原典は現在、ポタラ宮に所蔵されている。
松濤誠達(まつなみよしひろ)・同大学長は「チベット語の経典ができる過程など、今後の仏教研究で大変重要な役割を果たすはずだ」と話している。
[読売新聞ニュース速報(同年12月14日22:13)]
維摩経のサンスクリット原典写本見つかる〜中国・ラサ
大乗仏教の経典「維摩経(ゆいまぎょう)」の、散逸したとされていたサンスクリット(古代インドの言語)原典の写本が、中国・チベット自治区、ラサのポタラ宮にあるダライ・ラマの経蔵で見つかった。大正大学総合仏教研究所が文献調査をしていて確認、14日発表した。
写本は、縦6センチ、横30センチのヤシの葉1枚の裏表に7行ずつ書かれ、計79枚あった。「ゴーパーラ王(750〜770年在位)の治世に王の侍従チャーンドーカが書写した」とあることから8世紀の作とみられる。調査に当たった同大学総合佛教研究所の多田孝文副所長らによると、保存状態は極めて良いという。
見つけたのは99年7月。別のサンスクリット経典にあたっていた所員が一緒に包まれていた経典を調べたところ、維摩経全体の写本と分かった。表題が違っていたため分からなかったらしい。その後、中国政府などと調整、先月末に複写が届いたのを機に公表した。
「維摩経」は、1世紀ころの作と言われ、在家信徒・維摩詰(ゆいまきつ)が修行者たちを論破する様を文学的に描く。聖徳太子が法華経などと共に「三経義疏」に取り上げるなど、日本でも親しまれてきた。これまでに漢訳やチベット語訳は伝えられてきたが、原典は部分的に引用されてきただけで、研究が進めば漢訳などとの食い違いが明らかになりそうだ。
[朝日新聞ニュース速報(同年12月14日20:14)]
<維摩経>サンスクリット語の原典写本発見〜大正大学
日本や中国に伝わった大乗仏教の経典の一つ「維摩(ゆいま)経」のサンスクリット語による原典写本を中国・チベット自治区のポタラ宮で発見したと、大正大学(東京都豊島区、松涛誠達学長)綜合佛教研究所が14日、会見して発表した。維摩経は、空や解脱などの大乗の基本的な思想が説かれる重要な経典で、これまでサンスクリット語で書かれた原典は現存しないといわれてきた。従来知られている漢訳と異なる記述もあり、今後の仏教研究の貴重な資料になりそうだ。
サンスクリット写本は縦6センチ、横30センチの乾燥してなめしたヤシの葉(貝葉=ばいよう)79枚に墨で書かれていた。8世紀の写本だが保存状態は非常にいいという。奥付けには8世紀から13世紀にかけて東インドを支配したパーラ王朝の初代の王、ゴーパーラ王(在位750〜770年)の治世12年6月29日に侍従であるチャーンドーカによって書写されたと記されている。
維摩経は日本にも伝わり、聖徳太子が著した仏教の注釈書「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の三経の一つとして取り上げられている。
 チベット語訳から和訳し出版した長尾雅人・京都大名誉教授(仏教学)の話 維摩経は中国、日本の仏教にも強い影響を及ぼしたのに、原典がなかった。大変貴重な発見で、今見つかったことの驚きと喜びは簡単に言い表せない。広く研究できるよう、一日も早く出版してほしい。
[毎日新聞ニュース速報(同年12月14日19:40)]
維摩経の原典写本〜チベットで発見
聖徳太子が紹介した仏教の経典として知られる「維摩経(ユイマキョウ)」のサンスクリット語で書かれた原典の写本が、チベットに残されていたことがわかりました。
調査にあたった大正大学によりますと、サンスクリット語で書かれたこの経典の原典の写本が見つかったのは初めてで、仏教の成り立ちや日本文化への影響を探るうえで貴重な資料になると注目されています。
これは大正大学がきょう記者会見して発表したものです。
見つかった「維摩経」の原典の写本は、縦六センチ、横三十センチの長方形に切り取られた七十九枚のやしの葉の表と裏に、サンスクリット語の文字、梵字がびっしりと書かれています。
「維摩経」は紀元前後に成立したとされる大乗仏教の経典の一つで、聖徳太子が注釈書の中で紹介した経典としても知られていますが、これまで伝えられているのは漢語やチベット語の訳本だけで仏教発祥の地であるインドのサンスクリット語で書かれた原典は見つかっていませんでした。
ところが、おととしの夏、大正大学の調査団が、中国のチベット自治区にあるポタラ宮(キュウ)の書庫を調査したところ、この原典の写本が見つかったということで、残されていた記録から八世紀前後に書かれたものとみられています。
これについて記者会見した大正大学の多田孝文(コウブン)助教授は、「見つかった写本はこれまで残っていないと考えられていたもので、仏教の成り立ちや日本文化への影響を探るうえで非常に貴重な発見と言える。分析が終わりしだい、一般にも公開したい」と話しています。
[NHKニュース速報(同年12月14日19:09)]
幻の梵語「維摩経」発見〜大正大がラサで世界初
大正大学(東京都豊島区)は十四日、有名な仏教経典の一つで、聖徳太子も注釈を書いた「維摩(ゆいま)経」のサンスクリット語(梵語=ぼんご)の原典を世界で初めて、中国チベット自治区ラサにあるダライ・ラマの故宮ポタラ宮で発見した、と発表した。
維摩経には三種類の漢訳とチベット訳があるが、その基となる梵語の原典は、断片的な引用が残るだけで、全文は散逸したとみられていた。
発見されたのは八世紀に書写された完本。保存状態が極めて良い上、文字が美しく、文法も正確な第一級の資料という。インドでの大乗仏教の成立や中国、日本などへの広がりを考える上で、画期的な発見。
維摩経は、一、二世紀ごろインドで成立したとされる大乗経典で、日本では聖徳太子が、その注釈書を著したといわれる。
同大は一九九九年七月、ダライ・ラマの書斎を調査中、今回の写本を発見した。縦六センチ、横三十センチのヤシの葉の表裏に、七行ずつ経文を記し、全部で約八十葉。八世紀のインドの王の侍従が写経したと記す奥付があった。
表紙には経題がなく、経の一章の題があったので、見逃されていたらしい。発見は「偶然だった」(松濤誠達・同大学長)という。
挟まっていた布の書き付けによると、ラサの西約五百キロのツァム地方の名刹(めいさつ)シャル寺の所蔵だったのが、中国の文化大革命で同寺が破壊された際に北京へ運ばれ、最近ポタラ宮へ持ち込まれたとみられる。
同大は「この梵語原典は、チベット語経典の記述に非常に近く、その底本の可能性もある。漢訳との比較で、さまざまな事実が分かるだろう」としている。
(了)
[共同通信ニュース速報(同年12月14日18:20)]