掲示板の歴史 その六
▲[ 180 ] / 返信無し
NO.181  註
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/02/03(Tue) 13:54:48


下記の内容は、これまでの記事で語る機会を得なかったので、こちらに「註」として書いておきます。

▼伝説と史実について

史実でない可能性が高いからといって、かならずしも伝説の宗教的価値は色あせるべきではないが、やはりそれが史実であったか否かは学術的に大きな影響力を持つ。この違いに対する明確な認識と、その均衡の維持もまた、おそらく学術的に重要な意味を持つ要素なのではないかと思われる。
その偽の情報が、実際にどのような需要に応えて造られ、生まれてきたのか、また、その誕生によってどのような社会的・思想的影響が生じていったのかなど、そういったことを知ることは人間存在の本質を窺い知る手掛かりの一つとして捉えることが大切なのではないだろうか。
▼達磨の実在

石井修道駒澤大学教授は、五世紀から六世紀に実在したインド僧で「闊達で寛容な大乗仏教者」だったであろう菩提達摩(ボーディダルマ)という人物は、八世紀に南宗禅によって作られた「厳格なる禅者」としての虚像・達磨と区別されるべきであるとしている。
▼「壁観」

達摩の「壁観」の教えは通常「心を壁のようにする」とか「壁に向かって坐禅をする」などと解釈されている。しかし、石井教授は「大乗壁観」の教えはもともと「虚宗(般若の根本義)を得ることで、般若波羅蜜の実践を目指すもの」であり、それはつまり「智慧の完成」であり、しかも完成でありながら「完成を目的としない完成」であり、理想に向かって永遠に進んでいく実践的な智慧を得ることであると述べている。
(『東アジアの仏教』「禅」一一七頁参照)
▼神会と南宗禅

荷沢神会はもとは神秀に師事したが、後に曹渓の慧能の門下になった。
彼は師の没後、神秀派の禅風を

凝心入定(心を集中して禅定に入り)
住心看浄(心をとどめて浄に入り)
起心外照(心を起こして外界を照らし)
摂心内証(心を摂めて内に証りを求める)

と排撃し、慧能を第六祖であると主張して南宗を確立した、実質的な南宗禅の開祖。
おそらく、現在伝説的に慧能の著作とされる文献(の原型)は彼の手によるものではないかと思われる。
「頓悟漸修」「定慧一体」「見性」「無住」「無心」「西天十三代説」を説き、慧能顕彰運動を通じて南宗の正系を主張、この運動が後の禅思想の方向性を決定することになった。
▼胡適  「偽史研究からの解明」

神会研究の権威、胡適氏(一八九一〜一九六二)はその著作『神会和尚遺集』(一九六八年、四二五頁)において神会を次のように評している。

「インド禅の壊滅者であり中国禅の建立者」
「袈裟による伝法を主張するいつわりの歴史の作製者」
「禅を伝えるインド二十八祖のいつわりの歴史の最も初期の主張者」
「『六祖壇経』の最も初期の原典の作者」
「にせの歴史をもって革命の武器として最大の成功をおさめた人」

上のような研究に代表される「偽史の解明」によって、初期禅宗教団などが実際どうであったかなどがより明らかにされることになった。
▼鈴木大拙 「宗教文献としての解明」

近代研究による「偽史の解明」に対して、鈴木大拙(一八七〇〜一九六六)は偽の歴史が生じるにはそれを生じさせるだけの理由、つまり時代的、思想的、宗教的な背景と需要と必要性があったのだから、宗教的文献としての禅文献のより本質的性格を明らかにする必要がある、と主張している。
▼丘山新  「漢訳仏典の再評価」

丘山新氏は『東アジアの仏教』において、漢訳仏典が注目されるようになった理由を次のように述べている。

@   漢訳仏典のもつ時代的古さの意義が再認識されていること。サンスクリット経典がかならずしも原典ではなく、しかも漢訳仏典の方が古い可能性が高いことなど
A   日本の文化・宗教思想を育んできた諸要素のうち、仏教はその影響の最も強かったものである、という認識
B   中国仏教学の研究対象としての漢訳仏典の価値の再認識
C   白話体の採用、新しい語彙、譬喩の形式、空間的・時間的無限に関する発想といった、形式・内容・発想など多方面にわたる中国文学との関わり(胡適『白話文学史』の指摘)