掲示板の歴史 その六
▲[ 173 ] / 返信無し
NO.174  翻訳の面白さ
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/28(Wed) 13:32:04


清水書院刊・三友量順著『玄奘』で、著者は(さくらんぼうさんご紹介の)『シナ人の思惟方法』(中村元著)を引いた形で同情報に触れています。
同著者は「抽象の実体視」「来世主義的な人生観」などに特徴づけられるインド的思惟に比して、中国的な思惟が「具象」「感覚(視覚)への信頼」「現世主義的な人生観」などで特徴づけることができること、その態度は象形文字(ヒエログリフ)に現れていて、それを継承した漢字による抽象的現象の表現「本来の意味とは離れて抽象的な内容を表すものとして了解」させる機能「漢字の音を借りて写し、見る人の視覚にうったえて納得」させる作用の二つに分かれること、またはそのコンビネーションになることを「ダルマ=達磨=法」「マーラ=魔」「ブッダ=佛=覚者」などを例に挙げて説明しています。
漢訳仏典においては、上記二つの機能の連携によって、原文語句の原意とはまた違った独特の理解が為されていたこと、特に音写語については大閑道人さんが仰るように「音写語といえども視覚にうったえる漢字はやはり意味を有していると考えるべきかもしれない」と推察してます。
(ちなみに、「南無」については大閑道人さんご紹介の説とはまた微妙に違った内容を述べられています)

また、「不立文字」との掛け合いではあまり関係ありませんが、岩波書店『東アジアの仏教』二二四〜二三九頁には「漢訳仏典論」と題して丘山新という方が、漢訳仏典の学術的、文化的価値を再評価する記事を書かれているのでご紹介しておきます。[記事No.181]参照