掲示板の歴史 その六
▲[ 140 ] / ▼[ 150 ]
NO.147  字義を離れて、言妄慮絶せよ
□投稿者/ さくらんぼう
□投稿日/ 2004/01/23(Fri) 01:37:07


> 『法華経』に関しては、たしかに複雑化からの回避のように感じるところも多いのです が、私には『華厳経』がそうであるようにはどうも思えません(^^;)

苦し紛れついでに、言い訳を。(笑)
私が、華厳をそう感じていたのは、おそらく「入法界品」がイメージされていたからでしょう。文殊と普賢が挟み込む善財童子が歩んでいく菩薩道を表現する物語性が、般若経系にはない慈悲行実践に重きを置いたスタイルに感じていたものですから。
まったくご指摘のように、華厳は、複雑な思想体系を構築し、大乗の最終章として威風堂々としたものですね。
菩薩道を具体化する中で、アビダルマ的傾向を見せたのは、「般若経」「華厳経」。
しかし、集成経である華厳経からは、たとえば先の入法界品あたりから、如来蔵思想という「信」に重点を置く思想を生んだり、一方では、十地説のような教判スタイルから唯識という煩雑な哲学をも生んでいく。面白いですね。
一方で、同じく初期大乗経典といわれる「法華経」「浄土教系」。どうも、先の主流派とは違う特殊な教団で育まれたもののようですね。

>>密教の観法には、よく「言妄慮絶せよ」という言葉の締めくくりがあります。
> 勉強になります(^^)私はフィールドワークが出来る環境にいないので、そういった具体的な情報の提供は嬉しいです。


より正しくには、「字義を離れて、言妄慮絶せよ!!」
虚妄分別を離れ、無分別智なる法界へはいんなさい!ってことでしょう。
自己中心性から如何にしたら離れることができるのか?という大閑様の言と
同じ方向性かと。